Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

勝者のカツ丼

勝者のカツ丼 はコメントを受け付けていません

開店直後に出かけていっても残りわずかという謎のカツ丼。そのバアイスが調味料になっているのかいないのか、この蕎麦屋のカツ丼はうまいのです。でも、注文は早い者勝ちゆえにツーリングで立ち寄ったときには一度も食えていません。今度こそは、今日こそは・・・

写真はさらに贅沢にもミニかけそばセット。

ところで、争奪戦になるかどうかはともかく、この蕎麦屋は本日の集合場所ではありません。集合は午前10時に東筑波ユートピアです。お間違えの無いように。

お父さんに挑む

お父さんに挑む はコメントを受け付けていません

なかなか巧妙

あの移動体通信大手の「白戸家」シリーズが、9日の夕刻と夜に一度ずつ、間違い探しのCMを放送していました。8日のニュース宣伝で聞き知っていたので、これをチェックしてみたところ、わりと判りやすい。ということは、応募者はかなりの数に上るから、全問正解できても記念品が当たる確率は低いよなあと思いながら、同社Webサイトに行ってみると、Web限定の間違い探し も行われていました。テレビ放送の「7つの間違い」に対して、こちらは間違いが17もあるのでした。うーむ、なかなかやってくれます。

しかし一連のシリーズをチェックすればいいのだと、正解編が流れるまでそれらを見ていたら、なんと、正解編の映像は、過去に流れたCMとはまた微妙に違っているということが判明。結局、Webで流れている二つの映像から、違いを割り出さねばならないのでした。上級編だけあって、巧妙です。

七曜の星

2 Comments »

とりあえず写ってます

七曜の星・七曜星と綴り、ヒチョウノホシ、ヒチヨノホシ。シチョウセイ、ヒチョボシなどと呼び習わす地方があると聞き、調べてみると前者が青森、茨城、群馬、静岡、長野、岐阜。後者が山形、岩手、青森、北海道と福岡に飛んでいました。

いやー、ヒチヨノホシってなんとなく好い響きに聞こえるんですが、どの辺の方言なんだろう? うちの近所では、昔からそんな呼び方聞いたことがありません。

北斗七星は「春や夏の星座」に分類されますが、それは天体観測の時間帯に、天空にいるかいないかの問題らしく、秋と冬の夜は、地平線近くで観測しにくいというかららしい。

実際にはそうでもないような気がしますが、我が家が宵っ張りだからなのだろうか? 天空の北斗七星はこの季節でも、ちょくちょく眺めることができます。でもって、左下のほうに輝いているのが北極星。

ちょっと離れすぎ

前回の朝霧高原では、三脚無しのいんちき撮影であったため、手ぶれしているばかりか富士山と組み合わせることにも失敗しました。それが下の写真です。せっかくの月明かりの夜だったのに、なんとも情けない。今回(上の写真)はそれから2週間後。三脚を使っていますが、今度はほぼ真上を見上げるような位置関係となり、富士山と組み合わせること自体不可能でした。

なかなか思うようにはいかないものです。

北斗七星は、本来おおぐま座の一部を構成している尻から尾の部分であり、独立した星座ではないのだそうです。それでもこの判りやすい柄杓の形は、完結した星座と言っても差し支えないかもしれません。言われてみれば、子供たちに「あれがおおぐま座」というふうに、おおぐま座そのものを示す星の配置の説明はしていなかったですねえ。

ことしの北斗七星の写真は、霰と一緒に撮ったのですが、霰が生まれた15年前の今日(表に立っていると、病院の駐車場の舗装が凍り付いて、靴がはりついてしまうほど寒い真夜中でした)にも、北斗七星がくっきりと天空に浮かんでいたのを覚えています。

すれ違ったままの30年

すれ違ったままの30年 はコメントを受け付けていません

1980年というと、まだ未成年だったようなそうでもないような、もうすっかり何をしていたか覚えていません。世の中の動きはこんなだったようです。そういえば、当時住んでいた東京の行きつけの喫茶店では、しょっちゅう「異邦人」が流れていたような気がするし、テレビの歌番組だとTOKIOの記憶が残っています。

まだウォークマンを持っていなくて(というか、ウォークマンって結局一度も手にしたことがなかった)、車のカセットデッキにはレコードプレーヤーから録音した適当な曲を放り込んで、Ride On Timeを買いに行って歌っている人の素顔をはじめて見てぎょっとした(達郎さん、すいません)のでした。

あーやっぱり、ながらで聴いていたことは聴いていたのだけれど、ビートルズは引っかかってこない。ポール・マッカートニーの成田逮捕で始まり、ジョン・レノンの死去に終わったといっても過言ではないこの年、たぶん熱を入れていたのは伝説巨神イデオン・・・と書くとそっちへ行っちゃうので、ここはビリー・ジョエルと逃げておこう。ビートルズをまったく聴かなかったわけではなく、カーペンターズを聴かなかったわけではなく、エアロスミスだとかビリー・ジョエルに傾倒していた時期。「ダブル・ファンタジー」は買っていなくて、「グラス・ハウス」に聴き入っていたのです。

それじゃこの原稿の意味が無いよ。となってしまうのですが、こればっかりはすれ違ってしまった世代なのですね。そのすれ違いで言うと、さらに1年前の1979年夏。家族で草津へ出かける道々、軽井沢に立ち寄ったことがあります。その日にジョンとその家族が滞在していたかどうかは定かではないですが、もしも彼らが避暑に来ていた時期と一致していたら、唯一のニアミスだったのかも。翌年(80年秋・・・なので、相手はれいんさんじゃねーな)、自分の車でデートにやってきた軽井沢には、ジョンは訪れていないはずです。写真の見晴台は今世紀に入ってから撮影しているものだから、まるっきり的外れか。

一時期通っていた近所のカフェレストランには、初来日のときにビートルズを撮影したというNICONとプレスタグが飾られていたのですが、その元カメラマンがやっていたお店も、いつのまにかなくなってしまった。僕自身はことごとく時間軸にずれを持ったまま、ジョン・レノンがこの世を去ってから30年。そしてむりやり日付だけにこじつけていくとすれば、15年前ならこの日の夜遅く、僕には父親の、れいんさんには母親の扉が開き始めたのでした。

もういいかげん・・・

2 Comments »

 

空家になったかしらん???

やっぱり大きい・・・

先週の土曜あたりは、最後の一匹が頑張ってたんだけど・・・。

新月サンが「そろそろ切り取ろうかなぁ」と言ってます。ちゃんと確認してからにしてよねー(笑)

忘年会間近

9 Comments »

恒例となってきた忘年会と走り納めが、11日と12日に開かれます。初日は筑波山周辺の林道ツーリングとカツ丼争奪がひそかなイベントとなっているふもとの蕎麦屋の昼食。夕方から一部我慢比べ(違うって)を含む忘年会。二日目はオフロードコースの走行会というプログラムです。自車にて走れるメニューには参加、それは無理というところは見学の選択が可能な自己申告制です。

準備のやり取りはこちら。参加者募集中です。

高気圧が ある

2 Comments »

配置研究中

先週金曜日の低気圧は、昨年のつくばーどin朝霧高原Ⅱ開催日(初日未明)に襲来した暴風雨と、よく似ていたのではないかと思われます。この日初日はAレイドの第一回目を行っていましたが、午前中はCP探しをしていられるような天候ではありませんでした。そのおかげで逆に、夜から翌朝にかけては上空に高気圧がやってきて、見事な富士山を眺めることができています。ことしの朝霧高原Ⅲは、つい2週間前のことですがやはり快晴に恵まれ、験(げん)の良いイベントになっています。

そうだとすると、土曜日早朝に出かければピーカンの富士山が撮影できるのではないかと思い至り、家族の予定を聞いてみると微妙に休みがかみ合わない。しかし天気図を見れば高気圧は日曜日にも関東や東海地方を覆いつくしているので、日曜の早朝に朝霧行きを決定したのであります。

「ずっと前に写真を撮ったあたりに行くわけね?」

「そのときみたいな写真を撮る、ですね?」

という霰と霙の質疑は、8年前に開催されている最初の朝霧高原のことを言っています。このときも前夜が小雨、当日快晴のめぐり合わせで、富士山との相性は抜群に良いのです。がしかし、

「いまお前ら2人が一度に屋根に乗ったら、へこむからやめてくれぃ」

「屋根の上の元祖はわたしなのだ」

「既得権をふりかざすなーっ」

「というわけでこれは、じゃんけんですね」

などと、マイナス3℃まで冷え込んだ夜明け前の中央道にて、屋根上の権利争奪戦が繰り広げられました。いやいや、撮るのは日が高くなってからなんだから、今から騒いでないで少しは仮眠しろよと河口湖側から静岡との県境を目指し、ちょうど日の出の頃に現地近くまでやってきたので、決定権に基づき一度練習。そのまま日の出の写真を撮ってみましたが、空が青空にならないのでこれはボツになり、日が高くなるまで仮眠と朝食。だいすけさんとミキさんご夫妻に、偶然にもこちらを見つけてもらい、なんだかんだ言って朝霧高原って験の良いところだねえと、初期の目的地であるふもとっぱらに向かうのでした。

富士山上空には申し分ないほどの高気圧がやってきており、撮影は無事に完了しております。と、ここまではいいのだけれど、今からこんなことやっていて、年賀状を年内に発送すること自体間に合うのか? それがかなり心配。

懲りない結果、こういうことが

2 Comments »

えっ? またっすか? という展開ですが、合宿や特訓ではありませぬ。午前中には引き揚げるです。

と書いてみたら、早速に朝霧高原の総合幹事であるSIDEKICKさんから「顔出しましょうか」と連絡をいただきました。が、今回はきわめて私的な道楽でやってきているため、わざわざ出てきてもらうのは申し訳ないので「お気遣い無く」と返信。SIDEKICKさん、ありがとうございます。

 

撮影が主目的であると同時に、朝早くに富士山を眺めて、昼過ぎにはうちへ帰って撮った写真を眺める。などというミッションが、地元の人でなくとも可能だと言ったところ、霰や霙は興味津々なのです。

「あたしたち、友達の家で2時から集まるんだけど」

「楽勝です」

「えーっ、それってどこにも寄らずに写真だけ撮って帰るつもりなの? 霰たちの都合は却下しようよー」

「まあそうですけど、どのみち写真が主目的だから10時には帰路につくぞ」

不服申し立てのれいんさんの機嫌をなだめ、早朝(上の写真はつくばーどのときのもの)、撮影の段取りを決めてから道の駅で朝食とって仮眠をしていると、

「ほらやっぱり雷蔵さんだよーっ」

という元気な声。

天気の良い日曜日。ドライブにやってきたという、だいすけさんとミキさんご夫妻でした(元気な声はミキさん)

普段は道の駅はスルーして出かけてしまうそうですが、この日はたまたま立ち寄ることになり、駐車場に入ってきたときに、うちの車と、中で寝こけている僕を見つけてくれて、缶コーヒーやらスモークチキンやらを差し入れにきてくれました。

「朝霧高原のつくばーどの日が夜勤と重なって、参加できなくって」

「じゃあ、初ジープ参加で、新年会のときにでも二人で遊びにきてよ」

「雷蔵さん、被写体をシルエットで撮るときのこつを教えてー」

「それはこれこれこうして・・・」

もうちょっと一緒に行動できれば、らいとにんぐ朝霧高原にできたのですが、お互いに「行ってらっしゃい!」で道の駅を出発したのでした。だいすけさん、ミキさん、差し入れご馳走様でした。懲りないふもとっぱら詣での結果は、良いことだらけでした。

これが この赤錆びた鉄の塊が

8 Comments »

1945年に轟沈した戦艦が254年もの間原形をとどめていて(実際には真っ二つだか三つだかになって沈没していますが)、あまつさえ地球の海が干上がるほどの遊星爆弾の攻撃にさらされていながら直撃も受けず、こつこつと地下から改修を施して宇宙船にしてしまうというセンスオブワンダーも裸足で逃げ出す物語の冒頭について、話が盛り上がってしまいました。

普通なら、そんなことはありえない。しかしこれがないと話が始まらない。でもなんでわざわざ沈没船を改修するのかというところに、実は突破口があるのです。

当時、石津嵐さんが書き下ろした最初の小説版において、日本海軍はこの戦艦を建造するとき、鉄板と特殊合金の二重構造で設計を行っており、偽装した鉄板の下の特殊合金は海中や大気圏外においても気密性を保持でき、腐食もしないという性能を有していたため、2199年にも原形をとどめており、宇宙船の船体として使用に耐えうるという内容が書かれていました。多少なんてもんじゃない強引な設定ながら、これを知っていると、あの赤錆びた鉄の塊が一皮剥けるという展開は放置していられるのです。だからといって、内側をあれだけいじれるって技術の説明にはなりませんが。

今度の映画では、そのあたりをどう解釈するのかスルーしちゃうのか、興味ありますねと言ったところ「じゃあ観に行きましょう」という展開に。取引先の専務殿とですよ、いいのかほんとに? 戦艦といっても、頭に「宇宙」がついてるんですよ。いやさ、SPACE BATTLESHIPっすよ! と狼狽するものの、よくよく聞いたらこの方は古代進のファンをン10年という、まさしく歴戦の勇士でした。

まあなんとなくそんな本編外設定はスルーされているような気はするのですが、だいたいそんな特殊合金が20世紀に開発されていながら、冥王星会戦の沖田艦隊はぼろくそにやられるような船ばかりというのが納得できないんですよね(でも、沖田艦はとりあえず生還しているし、ゆきかぜも土星に漂着はしていた、という船の強度はなにげに描かれている)

週末は代車生活。

7 Comments »

やっぱり、このデザインが好き。

のまちゃん検査中。

駐車場に油染みがテンテンテン・・・ついでに始動でガッとか変な引っ掛かりがおきてたので入院(笑)火曜日に連れて行かれたけど、週明けかしら帰ってくるの。