二、三日は側頭筋も脳も腫れが引かないから鈍痛は続くだろうと言われ、といっていつまでも寝込んでいるわけにもいかないので社会復帰しました。
コメントやメールでお見舞い下さった方々、ご心配をおかけしました・・・というより、まだ当事者は心配の真っ最中なんですが、こっちがうなされている間に、西にいる同い年の同僚がいつの間にか癌の宣告を受けていて知らぬ間に入院していて、日曜日に亡くなったという知らせが、電池切れの携帯電話にメール着信していたという2月の始まり。仙台に転勤してから2年経っているうちに、そんなことになっていたとはと、ろくに連絡もとっていなかったことを悔やむばかりです。
震災の日、万単位の人々が亡くなり、行方不明になっていく中、ほんのちょっとのタイミングで難を逃れ、今回、これはダメかと思ったところをなんとか生き延びることができて、運が強いのか頭骨が強いだけなのかわからない現在です。