釜石駅前ロータリーに据え付けられたモニュメントは、重さ4トンの鉄鉱石とステンレスアーチによって形作られ、かつての釜石製鐵所から移設された高炉の火を灯し続けています。1989年に高炉が休止された折、その火は消されたわけではなく、製鉄所内で維持されてきて、釜石市における近代製鉄発祥の歴史が150年を刻んだといわれる2007年に、このモニュメントにも移植されたのだとか。
あの日、釜石の中心地に比べて標高の高い駅前にも、津波の余波はありました。つまり市街地はほぼ壊滅で、ここに至る商店街も、建物が残っていても泥の色一色という時期が長く続きました。
僕が在りし日の釜石を訪ねたのは、おととしの転勤直後、2月末のことでした。子供の頃に連れてこられた釜石とは異なり、製鉄の街の活気は薄れていたものの、つくばーど基地の田舎に比べたら、やっぱりでかい街だなあと感じたのが、今のところ知りうる釜石の姿でした。この2年、釜石や鵜住居、大槌などに出向く仕事が多いので、リアルタイムで立ち寄るこれらの土地は、それこそ見たこともない変貌ぶり。たくさんの人々が生命財産を失い、しかし子供たちが奇跡的な避難を成し遂げ、そして大人たちが今、街の立て直しに奔走しています。
ものづくりの火のモニュメントのそばには、釜石復興の鐘が新たに建立され、鎮魂と再生を願い街を見守っています。