気仙沼市の被災地に打ち上げられている漁船の解体を来月から開始する旨を、この漁船の所有者である水産会社が、気仙沼市に対して申し入れたそうで、
「遠い将来のことより今を生きる人々のことを大切にしたい」
というのが、所有者の意思表示。事情を知らないと奇妙な言葉に聞こえるかもしれませんが、この漁船は学者が保存を提唱し、気仙沼市が震災の記憶を風化させないための「メモリアルパーク」として残そうと、今月末まで水産会社から無償貸与の形で現状保管しているのです。
市は、保存の意向を諦めておらず、市民の意向調査や保存に必要な費用負担の検討をするため、さらに半年間の猶予をと食い下がりますが、会社側の意思に変化はない。というより、現在地から港湾への移設こそ費用や保証の問題から断念したものの、会社側は従前から解体の意向を伝えながらも、どちらかといえば好意によって今日まで船体に手を出さずにいると言っていいかもしれません。
腰をあげるから半年待て。と言う市と、今が大事。と返す会社のどちらが正論かと考えると、所有者の言い分こそ汲み取ってあげなくてはならないのではないか。仕事柄、何度かこのメモリアルパークの意義やら実現化についての相談を、そのプロジェクトに絡んでいる人から受けたことがありますが、そもそも僕のところに意見を求めてくるのが筋違いなうえ、聞き取りするだに何度説明されても腑に落ちないことが多く、それはつまり所有者の意思が介在しないところで勝手に進んでいるプロジェクトだからだったのです。
漁船に限らず、公民館の屋上に打ち上げられた大型バスや、横倒しになった鉄筋コンクリートのビル、水産加工油の詰まったタンクなど、すべてメモリアルパークの材料として語られていましたが、ビル以外のほとんどは姿を消しました。ビル自体も解体が進んでいきます。そのような状況になったからこそ、保存推奨派にとって漁船は唯一インパクトを残す存在とも言えるのでしょうが、しかしこれを永久保存したとして、本当に震災の記憶を継承していくものとなるのかどうか。
未だに疑問です。
そして今回、その場にいたわけではないから人づてに聞いた言葉でしかないのだけれど、水産会社の言う「遠い将来よりも今を生きる人々のことを」という返答は、案外すべての答えになったのじゃないかと感じます。
津波の怖さ、被害の大きさを忘れてはならない。それは、鎮魂の意味を込めてその通りだと思いますが、継承すべきは形よりも次への備えであって、震災以前の賑わいを取り戻すことのほうが、ずっと弔いのための行動ではないだろうかと。
先日、岩手県の沿岸の街で、復興のために住民の意見を取り入れ、新しい街の形を作ろうという行動が開始されました。ここも学者が街から委嘱されて音頭をとっていますが、
「この街には独特の精神風土がある。そんな街の人々の意志を風土そのものとして取り入れる。それで街の形が新しいものに変化したとしても、刻まれる風土の中には、亡くなられた人たちの意志さえもが宿るから」
というものでした。
どちらが効果的な復興の取り組みとなるのか、それはそれこそ遠い将来の評価。よもや、市が船をまるごと買い取る、などと言い始めやしないかと心配になります。