Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ロックリバーへ(ほとんど関係ない)

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ラスカルほっとゆだ7年前に岩手県で開かれたエスクードのオフラインミーティングがありまして、そこに出かけたときに、こんなところまでオーバーランして戻ってくる途中、少し遅い朝風呂に入ったのがここでした。まだエンジン載せ替え前のBLUEらすかるでしたが、いかに乗り易くて遠出の疲れない車であったかがわかります。なぜって、茨城からとうほくニュージーランド村に行くのに、八郎潟経由の末寒風山で折り返してくるのって、普通はバカ呼ばわりです。

その駅前は今でも当時のまま(7年くらいならそんなに変わらないか)。おまけ、としてでも載せたかった看板も健在です。

レイトショーの帰り道

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風立ちぬ戦争を知る世代がどんどん高齢化して、その事実を伝えられる「すべ」が限られるようになった現代において、それを何かの形で残そうという人々の努力は、大事なことなのだと感じます。宮崎駿さんも、齢72を過ぎており、

「ポニョから5年かかって風立ちぬです。これ作ったらもう次は無いよ」

と、文藝春秋8月号の対談で語っている(終盤、次のために頑張る旨の発言もありますが)

幼少時に世界大戦を経験した宮崎さんは、作風はリベラルながらも戦争については大の嫌いな思考の人。しかしご存知のように機械が好きで乗り物が好きで、戦闘機を含むあらゆる飛行機が大好きであるという矛盾を内包することで知られています。だから、零式艦上戦闘機に至る単座戦闘機を開発した史実上の人物である堀越二郎氏を手掛ける際、模型雑誌ではそのキャラクターを豚として描き、一線を引いていました。よって、同作品(今作・風立ちぬ、の原点そのもの)に映像化のオファーが立った時は固辞されたとか。説得の末に堀辰夫氏の世界観をごちゃまぜにするというからくりを交えて、今作のプロットが成立しました。

つまり戦争は嫌いだが戦闘機は好きであり、美しい飛行機と言えば零式。しかしあまたの堀越二郎論には納得がいかないから、自分としてはこういうことじゃないのか?と考えた。という物語を組み立て、災害や富国強兵に翻弄されながらも堀越や堀が生きた時代を通して、戦争を鏡写しにしようと試みたのかと、そんな感想を抱きました。

祖父母や親父の戦争体験を効かされた記憶と照合すれば、堀越や菜穂子は、悲恋の道行きではあっても恵まれた環境下にいます。そこは、それ以上突っ込んでしまうなら高畑勲さんのやった作品にならざるを得ないし、そもそも宮崎さんはそこにスポットを当てるつもりは無かったから、照れ隠しで作ったという「紅の豚」をやりたいけれど、日本の戦時であれはできない。ならば堀辰夫の世界観を用いて(このへんはすべて想像です)としながら、戦争に翻弄されるけれど、自ら目指した道を地に足をつけて進む男を描こうとしたのだと感じます。

ちょっと尺が長かったかなという気もしますが、飛行機は好きだが戦争は嫌いなのだ、という作り方には、なるほどそうするのかと思わされ、それほどに打ち込んだものだったにもかかわらず、堀越の仕事は国を滅ぼしたとまで背中にのしかかる言葉まで用意してくる。その一言を堀越に告げた、時空を超えた堀越の友人ジャン・カプローニ伯爵は、堀越の過ごした10年をどのように評価したのか。それは映像を見ていただくとして、僕は伯爵のつぶやいた「あれが君のゼロか」のすぐあとのシーンだけが嫌いです。

「なんでああいうふうにしたんだろう?」

なんてことをつぶやきながら、レイトショーの帰り道。これにつきあってくれた霙が言うわけです。

「お父さんはきっと『そんなの飛行機雲描くだけでいいじゃん』と思ったんだろうけど、それじゃ主題歌タイアップべたべただもん」

この一言で、僕はこの映画を支持することにしたのです。

なぜって、「千尋」のときには冒頭のクモ爺が出てきたところで怖さに耐えられなくなって大泣きしてリタイアとなった彼女が、こんなこと言って対話につきあってくれるんですから。

同業の方々はパンツを脱いだの脱がないのと言いあっているそうですが、それそこそれは同業者による宮崎感ですわな。それぞれに得意技かましてくればいいと思うので、その話には興味はありません。

 

特製とふつう

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特製とふつう手前が「ごくふつうのラーメン」、奥が(逆さになってますが)「銀河鉄道の夜」。その差100円。味覚と好みは人それぞれなので多くは語れないものですけど、特製ラーメンこと銀河鉄道はうまいのです。

では、ごくふつうの方はどうなんだといえば、名前が普通なだけで、もちろんうまいのです。

 

つくばーどin種山高原

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種山が原1かわねこさん
Datezoさん
sugiさんとマサキくん
コムロさん
suuuさん
雷蔵

という顔ぶれで、種山高原はほぼ晴天。パジェケンさんは残念ながら夏風邪でリタイアでした。

たぶん大味なミーティングになっちゃうんだろうなあという懸念をよそに、特製ラーメンと普通のラーメンとの違い分析だったり、1型と4型の3代目エスクードの互換性や相違点研究だったり、外付けパーツを2代目から3代目にどれだけ移植できるかの検証だったり、短時間で話題盛りだくさんでした。

しかし予定外の展開は、ここ数年フラットダートで走りやすいんだよーと案内した林道が、雪解け以降7月までの豪雨続きでざっくりえぐられ、全体の7割近くにわたって深いクレバスが刻まれていたことでした。

種山が原2「今までダートしか走ってないので初まともな林道です」って、まともなのか?かわねこさん

「夏前の竹岡林道を走っていなかったら、ことし最大最悪のコンディションかな」とsugiさん

「SUVでも四駆でも、やっぱりローレンジが無ければだめだね」のコムロさん

「サイドステップというよりサイドシルガードでしたねえ」なDatezoさん

「でもテンロクは軽いから乗り越えも楽だよ」というsuuuさん

 

思い思いにクレバス攻略を堪能してもらえました。倒木ばかり気にしていたのが甘かったというか、クレバス越えは何処の林道でもあるもんだよとタカをくくったのが仇になったというか・・・

種山が原3僕だけ、タイヤバーストです。はいはい、どうせへたくそなんです。クレバスから這い上がるときに、突き出ていた礫に擦り付けてしまったようです。季節柄、熱を持っていてサイドウォールも軟になっていますから、ひとたまりもないです。

「ほらなー、だからスペアタイヤは廃止しちゃダメなんだよ」 ←どうせ言い訳

しかしスペアタイヤも銘柄・サイズとも統一しておくことは必至です。

「見栄えなどではなく、機能論として必要です」 ←やっばり負け惜しみ

そして関東勢には帰路の東北道断続渋滞が待ち受けているのでした。いやもうそんなのまともに付き合うわけなどなく、宮城県に入ったところで高速は乗り捨て、最初の渋滞を国道で回避。仙台近辺は海側の高速へ逃げ切り、そのまま相馬市まで走って山越えして、裏道にて福島県縦断。雷蔵・コムロ組は6時間耐久トラバース作戦で帰還するのでした。

「渋滞で6時間かかるよりなんぼかマシだいっ」 ←コムロさんの体力考えろよ

スーパー銭湯に避難したsugiさんとマサキくんの方が絶対に正解。

待てよ? それだったら作戦室で一休みしてても良かったんじゃないか? ←今頃気がついた

 

 

暑いよ~ん。

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好みの味だった♥

好みの味だった♥

汗だくで猫と一緒に扇風機に張り付いて過ごしています。まぁ窓という窓が開いているから、仕事で留守にしている普段よりはマシではないかと・・・
新月サンには「・・・エアコンつけないの?」と言われるんですけどねぇ・・・なんとなくつけそびれて夕方になるのよね。

で、暑いといいながら本日の昼ご飯。あっついラーメン食べてきました。行った事がなかった〝鶏そば〟屋さん。(新月サンがよく前を通るんで、気にはなってたらしいです)餃子まで〝鶏〟餃子と書いてある、鶏出汁のラーメンでした。スッキリサッパリのスープがとっても美味しかった♪「アンタ鶏好きだから、たぶんストライクだろうと思って」と新月サンが笑ってましたヨ。

高原へ

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taneyama本日開かれるつくばーどin種山高原は、つくばーどの冠をつけたミーティング(時々独り紀行ってのもあり、1回だけ本人不在がありますが)で数えると、通算125回めにあたります。東北で設営するのは何度目なのかと思ったら、26回め。さらに、つくばーどの冠がついていないものが3回、Fレイドも3回ありました。

けっこうやってた。まんべんなく6県すべてで開いていました。さらに言えば、地元から離れて開いた最初のつくばーどは、2度にわたって猪苗代(正確には郡山市から磐梯町にかけて、か)における林道ツーリングなのです。

種山高原は、3年ぶり。前回は宿泊を伴っていました。今回は口火が切られたのが10日前という、あちこちから怒られそうな展開なので、泊まりがけする段取りなど間に合いません。

それでも来てくれる人は来てくれるということで、開催できること自体がありがたい。行っちゃいますよ、岩手。

って、どうせお前は仙台からだから近いだろう? と言われるのは必至ですが、実は、これからつくばーど基地を出発するのです。だから、東京からよりは近いけれど、ちょっくら片道400キロ走って来るのよ。

・・・片道? わはははは・・・ いやその、月曜日の仕事が水戸市なので、また来た道を戻るということです。

 

もうじき8年め

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0815b2005年の9月に80000キロ台の個体として手に入れてから、なんだかんだでもうすぐ8年めを迎えます。この差し引きをすると、自分自身で走らせた距離が、ようやく月軌道にさしかかったところ。気の長い話です。

消耗品である足回りやタイヤ、排気系パーツはともかく、エンジンも載せ替えてはいますが(フロントグラスなんか7枚めくらいだし)、フレームと車体はそのまま使ってます。

とはいっても、こいつは本州しか走っておらず、その本州も西側は広島県までしか達していない半端ものではあります。

0815厳密には差し引きによる月面到達にはまだ至っていませんが、そこまでたどり着きつつある、460000キロ。これを刻むのには好天のロケーションに恵まれました。

それでも目標にはほど遠い。まだまだ道のりは果てしないのと一緒です。

 

 

雨と晴の境界

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夕立連日30数℃の炎天下に幌を取っ払って出かけるのはいくらなんでも危険なので、ビキニトップを装備していますが、これだと時ならぬゲリラ豪雨には太刀打ちできないのは当然。コンバーチブルだったら純正のままのリアシートは撥水シートですなどと言えたのは新車時代の話で、20数年経っていたら、たぶんそれは機能しないと思われます。

仕事で土浦まで出て、同行した部下をTXの駅まで送り届けたら、東京も基地の方面も土砂降りとの連絡。

下妻・栃木の方の空にも第2陣のような積乱雲が発達していて、迂回してもずぶ濡れになりそうで、これだと素直に常磐道で帰宅した方がましかも。と、天測しながら北上していくと、降りるインターチェンジ付近でぽつり、ぽつり。

しかし、それは夕立が去った後の名残の雨粒に過ぎず、水たまりの出来た道路には西日が反射していて、結果的には雨に降られずに車庫に戻ってこられました。

よーし、うむうむ。よーし。俺は雨男ではない。

でもこれだけ暑いと、ビキニトップか幌かなんか関係ないほどエアコンが青息吐息・・・

トマトのその後。

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やっぱり育たなかったか・・・

やっぱり育たなかったか・・・

一応腐りもせず育った大玉トマトは、無事に食卓にあがりました。
但し「大玉」にはなりませんでしたけどネ。
サイズ的にはミディトマト。

味はまぁそれなりに濃くて美味しかったです。

インターバルタイマーの人

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観測1基地上空を飛び交うペルセウス座流星群の観測。

霙はぼーっと夜空を見上げているだけでなく、手元の台の上にニンテンドー3DSを展開して、撮影可能な最高感度の設定で写真を撮っているのですが、なんと5秒おきに3秒シャッターが切れるというインターバルタイマーを駆使しています。

携帯ゲーム機にそんなモードが備わっているとは・・・ とはいってもそこはゲーム機なので、流れる星はとらえられず、カシオペア座の一部の星がなんとか写りこんでいる程度なのですが。

観測2 こんな感じ。

しかし仮にこれで流星群が鮮やかに撮れてしまったら、一眼レフカメラの立場がないよ。

ことしのペルセウス座流星群は、早い時間に月が沈んで空がよく眺められる良いコンディションでした。それでも、背後の南西方向の空がこれだけ明るいのは、上空に薄雲が広がっているから。基地の真上も雲の流れがありましたから、流星群は見えたり見えなかったりです。