中秋の名月と十五夜が重なるという夕暮れ、相馬の港で昇ってくる満月を眺めていました。BLUEらすかるはあの天体までの距離を走り切り、そこから既に8万キロも離れてしまったことになりますが、そのことはつまり、帰還まで丸々30万キロの道のりを残していると宣告されているようなものです。仮に、それをこの個体で走ることが出来たとしても、現在のペースを維持して6年から7年を要する。それはそっくり、自分自身の仙台勤務とラップする予見につながっていきます。もうエリア88か銀河漂流かスペースラナウェイか、アンドロメダ2001(最後のは判る人がいないな)。のほほんとやっているようにしか見えないようでも、僕も被災者のはしくれではあります。
幸いにも生活環境を失うことは無くて済みましたが、何かが壊れてしまったようなメンタリティの中で、2年半を過ごしてきたのです。さらっと還ることはできず、さりとて逆立ちしても地元に根を下ろしている人々と同じと言うことはできず、この中途半端さは中途半端さの中でこたえることも多々あります。震災の年に作戦室を訪れた人がいま、この部屋に来たら、転勤当時からまったく家財道具が増えていない様子に、きっと驚くことでしょう。
まあときどきダウナーにもなりかかるというわけですが、こういうダークゾーンの一歩手前(仕事が忙しくて堕ちる暇もないのよ)のあぶないときに、来客があるのはきわめてありがたいことで、一緒に昼飯を食って雑談をする程度の短時間ながら、はまたにさんが出張で仙台を訪れ、駅から真っ先に事務所まで来てくれて、気分転換させてくれました。
いや、先週ふもとっぱらで会ってもいるんですけどね。それはそれ、これはこれで訪ねてきてくれることが嬉しいじゃないですか。そんな出来事があったので、独りきりで中秋の名月を眺めるときの気分は、冒頭のような前日までのそれとは切り替わっておりました。相馬のこのあたりは多くの犠牲者の出たところですから、浮かれているわけにはいきませんが、人っ子一人いない夕暮れのなかで、そっと合掌して帰路につくのでした。
本日の表題、与謝蕪村さんとは季節も内容も場所柄もまったく関係ありません。