Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

出生の秘密

出生の秘密 はコメントを受け付けていません

散策よもやの話ですが、自分に降りかかってくるとは思いもしなかった出生の秘密は、お袋の遺品の片付けのさなかに発覚したのです。

お袋は県南の雑貨商の次女として生まれ、高等学校は県南の女子高に通っていました。ただその頃はすでに学校自体は共学化されていたらしく、後に高校野球の強豪となる硬式野球部が存在していたようで、先輩の女生徒がマネージャーのような仕事をしていて、お袋はさらにその手伝いをしていたそうです。この先輩の女生徒は卒業後、当時野球部の顧問だった教諭と結婚され、その後もお袋とは交流が続きます。

余談としてその顧問のもとで野球部のコーチを務めていた青年が、この学校を強豪校に押し上げていくのですが、それはまた別の話。お袋は卒業後に都内の証券会社に就職し電車通勤を始めます。

この頃、僕の親父は都内の大学に通う貧乏学生だったようですが、恐れ多くも乗換駅となるホームで証券会社に勤める娘を見初め、早い話がナンパしやがったわけです。ここから先にはまだミッシングリンクが数年分残されていますが、後にこの二人は駆け落ちをしたことが、お袋の生前の逸話語りでわかっていました。

この駆け落ちがお袋の実家に許されるきっかけは、要するに僕自身が長男として生まれたことに始まるのです。そこまでは僕自身も知る両親の馴初でしたが、今回遺品の中から古い抄本が出てきて、そこに記されている両親の婚姻届日を観たら、僕が生まれるわずか三か月前のことでした。

つまりはうちの親たちって、できちゃった婚だったのよ。

いやはや・・・さすがにそこまでは知らなかったよ。入籍くらいしていただろうと思い込んでましたよ。家内を嫁に迎えるために正攻法で当たって砕けた僕の方が、よっぽどまともじゃんかよ(溜息)

人には歴史があるものです。

今宵収穫。

2 Comments »
出来たよぉぉぉっ!

出来たよぉぉぉっ!

無事熟しました。

変な病気にも罹らず枝葉も元気♥

第二弾は・・・採れるか?
(一応ちびっこいのが二つ三つ成長途中)
ミディトマトはもう少しで赤くなるかなー。

お詫び(TB妙高高原の中止)

お詫び(TB妙高高原の中止) はコメントを受け付けていません

tb-m00たぶん、主催者自身の都合でミーティングを中止させていただくのは初めてだと思われますが、8月9日開催予定だったつくばーどin妙高高原Ⅺを、当家の事情により中止せざるを得なくなったことについて深くお詫びいたします。すでに「次を楽しみにしています」「ひとまず落ち着いたら夜会やりましょう」と励ましのお言葉を賜っておりまして、少しでも早く軌道修復しようと心がけています。

今月の見通しだと、確実に基地へ帰っているのが20日の三十五日法要のときなので、この日の夜あたりなら夜会も開けますが、三連休の中日になんて、予定が空いている人の方が少ないですかね。ひとまず石岡あたりで夜会の設営を考えていきます。

今だから言ってしまうと、実は6月19日、掲示板には別の書き込みをするつもりでした。月曜の23日が秋田出張のため帰省はできないので、土曜日にあたる21日にターゲットを絞って「くらんぼんってどうやって行くんだっけ?」と19日に書き込んで、東松山まで昼飯でも食いに行こうかと企んでいたのです。

そういうときって、何かとうまく行かないものです。

そしてそうこうしているうちに、BLUEらすかるが50万キロまであと3000キロちょっとに迫ってきました。不確定要素はまだ残っていますが、このXデーが妙高の日に当てられていたため、中止の代替行事を基地の地元で何かできないものかと考えてもいます。まあこればかりは達成しないと意味がないうえに、ちっとばかり虫が良すぎるかもしれませんが。

 

どいてくれませんかねぇ・・・

2 Comments »
使えないではないか・・・

使えないではないか・・・

洗濯物を取り込んだ時の一時置きに使っている・・・
バケツ?
たまに入って寝てるのよねー。

確かに底面が丸まってしっくりくるくらいだけどさ、
邪魔だからどいてくれるかなぁ。

再開 母よ

4 Comments »

flight表題は間違っておりません。再会、と書く方が著名なことは承知の上です。本日より出稿を再開いたしますという意味合いであります。

6月19日未明、母が急性心不全で急逝しました。単身赴任する際に親の死に目には会えまいと思っていましたが、予想外に早く巡ってきまして、泣くほどのことはないにしても慌てさせられたのが当日でした。

家族すらも(第三者は)信じない世の中らしく、昨今は病室においても医者と看護師の前で息を引き取らない限りは警察が介入して検視するのです。

自宅においてはなおさらのことで、所轄の刑事課の半数がやってきたとか。世知辛い話だなあと思いましたが、友人に教えていただいたらこの行政と司法の仕組みは戦前から成り立っているそうで、彼らも都度、その心構えで対処してくれているのですよと。なるほどその通りです。

それらの騒ぎがすっかりおさまった後に、ようやく帰省しました。近所の遠縁の美容師の娘が化粧を施してくれた顔立ちは、ただ眠っているだけだろうと勘違いするほどに穏やかに微笑んでいるようでした。

享年七十八かと数えていたら、菩提寺の住職が、

「満何歳、という言い方は誕生日のその日のみに使うもので、御母堂は七十九歳と三か月というのが正しいのです。つまり数え年なら八十歳に入っている」

と教えてくれました。実は翌日が親父の満七十九歳の誕生日で、本来なら九か月早い生まれの親父ですが、お袋は最後の最後で数え年を使って追い越して行ったようです。まあそういうおちゃめな人ではあったのです。

倅としてはしてあげられることはしてきたつもりなので、悔やむことはありませんと言えるはずでしたが、遺影に使うための写真を探していて気がついたのは、親父や家内や娘たちと一緒の写真はあるものの、僕と二人で写っているものが最近の写真には無いんだなあということ。まさしく後悔先に立たずでした。

昨日の風花さんの「花」は、ノウゼンカヅラ。これ、お袋の好きな花でした。