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  ~懲りない傾向~

五七(ごしち)日

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ドライブ中有の途にある母を供養するため、海の日の連休は三十五日法要を行います。故人はどちらかというと山girlな人で、リュックサックの荷造りの仕方は教えてくれましたが、シュノーケルの使い方は教えてくれませんでした。どのくらい山girlだったかは親父に聞けば話が早いけれども、早いだけでなく長いのでやめておきます。というより、たぶん聞かなくても話し始めることでしょう。僕が生まれる以前のことですが、北アルプスやら南アルプスやらの主要峰はすべて登頂しているという、けっこう見かけによらないお袋なのです。そう言われてみれば、一番古い記憶は野辺山の野原でキャンプをしたことで、粉末のメロンソーダを水筒の水で溶いて飲ませてもらったときの情景です。

親父と、親父の兄弟は全員山岳部出身で、お袋は親父と交際したばかりに山登り(実は岩も登れた)の手ほどきを受ける羽目になったのです。これが僕に受け継がれなかったのは、60年代に入ってからのこと、この兄弟どもがそろってモータリゼーションの洗礼を受けてカーキチ(死語)に転向してしまったからです。しかもそれぞれの愛用する車と同じメーカーの車には乗ってはならぬというくっだらない不文律を作りやがった親父たちの煽りをくらい、僕の場合は親父のお下がりのホンダZから始まったものの残されていた開拓地はスズキにしかなく、ジムニーからエスクードに至る人生が待ち受けていました。

「いいじゃないのよ。四輪駆動車に乗った男どもは今まで一人もいなかったんだから。ジムニーかっこいいわよ」

お袋はそうやって褒めてくれるのが上手でした。まさかとは思うのだけれど、いつしか不文律は消滅して、親父がジムニーに乗り出したのは、この逸話をお袋から聞いたからではないのか?という気もするのですが、

「あんたが乗ってた頃はよかったけどさー、そりゃ乗せてもらうんだったらエスクードの方がゆったりしていて楽だわよ」

なんてことを言って笑っていた話は、親父にはできませんです。