Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

狂喜乱舞(オーバーな・・・)

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トマトに続き、ちっちゃっ

トマトに続き、ちっちゃっ

いや、そのくらいの喜びようで(新月サンが)

スーパーで売られている半分くらいのサイズが7個。
毎日見ていたはずの新月サンが気付かないうちに
出てました。
「三つ出てるっ!」と言うので、見に行ったら
手前側の見えないところにも出ていて、計7個。
一気に食べたらもったいない(笑)ので、まずは冷奴の薬味に三つほど。

天の川楫の音聞こゆ・・・

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andromeda-PIA04921-ga天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも

という柿本人麻呂の歌が七夕では定番ですが、七夕の伝承というか民話というか、牽牛と織女の物語は周知のこととして、万葉集に綴られているこの二人を詠んだ歌は想像以上にたくさんあります。もうそれこそ読み手の感性で、女々しかったり雄々しかったりちょこっと艶っぽかったりいろいろです。一つだけ共通しているのは、星空を見上げてその世界で繰り広げられる逢瀬を、太古の伝えから想像していることです。そこには現世の誰かと誰かが重ね合わせられていたかもしれませんが、時間軸も空間軸も、実は宇宙的スケールです。

しかしながら、万葉集自体が太古の文献となった今でさえ、天の川とやらを渡河した人類はただの一人もいないという、宇宙規模の中の、ヒトの存在のなんとちっぽけなことか。だからこそ万葉集の時代にすでに星の世界を詠みあげている壮大さが引き立ちもするのです。

ただひたすら仕事に励む織女をねぎらって婿を与え、その新婚生活がやがて織女の仕事に支障を来したものだから、それを怒って牽牛と引き離してしまったかと思えば、それはそれで忍びないよねと年に一度の逢瀬を許すという天帝の気まぐれにも困ったものですが、ななな、なにがどうしたんでしょうか?と翻弄される牽牛も哀れです。

が、この牽牛こと彦星にもなかなか勇ましい歌をささげた人々もいたようです。

年に装る 我が舟漕がむ 天の川 風は吹くとも 波立つなゆめ 

とか

天の川 打橋渡せ 妹が家道 やまず通はむ 時待たずとも 

とか

天の川 波は立つとも 我が舟は いざ漕ぎ出でむ 夜の更けぬ間に

こういう歌なら、我々の時代が太古と呼ばれる頃に、外宇宙に乗り出すアストロノートの口ずさむ流行歌にもなるかもしれません。