経済企画庁は2か月ほど前に景気のリセッションを公言した。80年代後半に膨れ上がったバブル経済の終わりの時だ。ただ、街の風景をなんとなく眺めている分には、不景気がやってくる印象は感じられなかった。
そんなことよりも、どうにかして外回りの仕事をこじつけそのまま直帰を決め込む算段にあらゆる努力を講じた僕は、契約を済ませてあるディーラーへたどり着くことが先決だった。
水曜日の広島市内は桜も終盤。街路樹はどんどん新緑を芽吹いている。ディーラーの軒先には、何台もの軽自動車と一緒に、初めて見るスクエアな赤い四輪駆動車が初期整備を終え、真新しいナンバーを取り付けられ僕を待ち受けていた。
そう、ラジアントレッドマイカと呼ばれている深みのあるワインカラーを、発注時に一か八かで選んだ僕の予想は的中した。これはいい!
本当は、オパールブルーメタリックという、淡い水色の車体色を希望していた。ところが88年にデビューし90年にマイナーチェンジをしたこの車は、昨年秋にまたもやマイナーチェンジが繰り返され、せっかくラインナップされた水色をいとも簡単にカタログ落ちさせたのだ。それに代わって登場したのがこの赤い車体色。あとはチャコールグレーメタリックの黒っぽいやつしかない。ハードトップには定番色のダークブルーメタリック、ロングボディには専用色とみられる濃緑色のダーククラシックジェイドパールがあったが、僕が選んだのは屋根を開けられるコンバーチブルで、赤か黒かの二者択一。ならば選ぶのはこっちだろう。
車検証の記載事項を確認してキーを受け取る。営業マンに送り出されて一度は運転席に座りかけたのだけれど、僕は意を決して車の後方にまわり、リアウインドーを構成しているスクリーンのファスナーを開いた。営業マンが手伝ってくれて、屋根を形作るためのフレームからデッキトップを外すための最初のホック類をぱきぱきと切り離す。ものの5分もせずに屋根部材はすべて取り払われ、四輪駆動車はピラーフレームこそ籠のように残るものの、オープンスタイルのコンバーチブルとなった。
思わず腕組みして見とれてしまう。実はコンバーチブルには車の形を変えてみせるのと同時に、幌をかけていれば黒と赤のツートンカラー、外してしまうとラジアントレッドマイカ一色への変化が楽しめる。自分がオートバイに乗っていたこともあると思う。セダンではなく四駆、それもオープンボディにできるやつを選んだのは、開放系の趣向からだ。
悔しいけれどパジェロJトップは高くて手が出せなかった。地元民としてはユーノスロードスターという選択肢もあったのだけど、僕の趣向とはちょっと違うかもだなと、幾ばくかでも背の高い四角いクルマに乗りたかったのだ。だから、エスクードという真新しいジャンルのコンバーチブルは、僕のニーズを大部分満たしてくれるクルマと言えた。
クラッチを繋ぎ、通りへ走り出す。1、2速はかなり近く、乗用車というよりトラック寄りのギアだが3速からは素直な繋がりを見せる。僕は国道2号線を東へ向かうことに決めていた。