「関東でも雪になるでしょう」
という気象情報も、どーせ空振りだろうと思っていたら。
朝、雨戸開けてびっくり。
とは言っても、車の上と屋根や木の上に積もっていたくらい。
道には全く痕跡すら・・・
寧ろ、どうして車だけ白いのかっていう疑問。
地熱が高いという事なのかしらん???
(当然、庭にも積もってませんでした)
「関東でも雪になるでしょう」
という気象情報も、どーせ空振りだろうと思っていたら。
朝、雨戸開けてびっくり。
とは言っても、車の上と屋根や木の上に積もっていたくらい。
道には全く痕跡すら・・・
寧ろ、どうして車だけ白いのかっていう疑問。
地熱が高いという事なのかしらん???
(当然、庭にも積もってませんでした)
DRIVER誌からのもう1ページの別コラム。これはイグニスのデザインについて「過去のスズキ車から取り入れられた面影」を引き合いに出していますが、この話題は同誌に限ったことではなく、僕も似たようなことを昨年書いています。ただし、面影(雑誌はこういう言い方はしていません)という好意的な解釈はしませんですよ。第一、「単なる熱抜き」をデザインの一部として成立させていることと、「ガーニッシュとして表現」しただけのこととでは、仕事の質がまるで違います。
その意味では、なんにもないところから・・・とはいえ初代エスクードはすでにプジョー205によく似ていたのだけれど・・・作り上げたものと、伝統という言葉に助けられてあっちこっちの面影を持つ新車の産みの苦しみ方も違うでしょう。
だから、こういう些細なデザインについてエポックを見出すような話は、デザイナーにとっては針の筵なのではないかと思います。となれば、見出しを立ててうんちく論に掲げるとか、ましてや営業サイドがこれをセールストークに持ち出すなどというのはもってのほかじゃないかと。
ただ、この話題からひとつ別の視点も気づいたように感じています。
他社の各セグメントごとに、つまり全く車格もテイストも異なる車たちに、たとえばラジエターグリル側のデザインを無理やり統一させちゃう一点強引アイデンティティーによるへんてこな印象を受けるよりも、なんとなく「あれっ? ここってさー」という程度にデザインを持ち込んでくるやり方の方が、結果的には上手なまとめ方なのかもしれません。