Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

振り返れば二十年

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異論を唱える人もいるとは思われますが、スズキエスクードのオーナーたちがオフライン・オンライン双方のコミュニケーションを始めたのは、エスクード自体がデビューしてからけっこう後のことになります。古参の人たちのお話を聞き取り総括すると、97年から98年にかけてが黎明期のようです。あちこちに小さなクラブができて、これがメーリングリストの普及で一気に拡大していきます。

 

僕は98年の後半にオンラインに参加し、翌年の今頃の時期、オフラインミーティングに出かけて行き、エスクード仲間たちと知り合うこととなりました。それ以前にエスクードユーザーの知人は風花さんと、もう一人しかいなかったことと、関わっていた四駆の集まりに同一車種が1台も無かったので、99年の春がひとつの基点になるのです。

このメーリングリストを、後に解体したのも僕です。400を越えていた登録者のデータを抹消したら、オフラインに残ってくれた人々の数は1割、メールでやり取りの可能な人が3割ですから、そこそこ以上に恨まれたと思われます。だけど二十年もするとコミュニケーションは方法もツールも様変わりしており、持続させるだけではどうにもならないものだと痛感させられています。継続は力だという時代は過去のものかもしれません。

ESCLEV はそういう袋小路にも備えてクラブとはせずに「部室」という性格を与えましたが、部室? 空き家じゃんと言われるのは無理もないこと。だって取材も営業?も、イベントやツーリングも、机の上では成り立たないから。←ひどい言い草

そんな経験値の原点は、二十年前のオフラインミーティングです。僕個人の印象は楽しくなかったけれど、あとで自分でやってみて幹事の苦労も良くわかりました。

自分で始めたときには世紀が変わって、二十年経ったら今度は元号が変わる。それだけやっててなにが進歩したかって、なにも成長していないんですが、面白くなけりゃずっと以前にやめちゃってたでしょう。

巷の声は「初代エスクード、もうすっかり見かけなくなった」ということですけども、そうですか居ませんか貴方の近場には。

いやいや、おっさんから若い人まで、まだ元気に走らせているユーザー、沢山いますから!

 

 

カスタマイズ。

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切ってみた。

洗車した時にフロントのワイパーゴム交換したので、ついでにリアも交換。
リアはもう何年も放っておいたら、とうとう千切れてきたので。
だって合うサイズが売ってないんですもの・・・
ダメ元で、外したフロントのゴムを流用。
金具は元のを使おうとしたら形状が違いました(汗)
仕方ないので、フロントの金具をペンチで切りましたわよ。

今更だけど。
これってブレードごと換えれば良かったんじゃ・・・

Life is a series of hello’s and goodbye’s

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親の兄弟たちからあてがわれたビートルズは自分のものじゃなかったし、教室の全員で歌わされるカーペンターズも違うと感じていた。

それらが嫌いだということではなくて。

クラスメートの女の子たちが、Queenに没頭していたけれど、深夜放送のラジオから半端な長さで流れている「ボヘミアンラプソディー」の楽曲は、僕にとってはうるさかった。

『オペラ座の夜』がリリースされて年が明けて、教室でのフレディ・マーキュリー熱の右肩上がりにうんざりしていた学校と別れての5月、真夜中の田舎では蛙が大合唱を始めていた。そんな時間帯にラジオが「さよならハリウッド」を紹介した。4分半ほどのその楽曲にちょっと聴き入った。

夏、ようやく、街のレコード店で『ニューヨーク物語』を見つけ出したのが、ビリー・ジョエルとの邂逅。すでに4枚目のアルバムだったけれど、初めて自分の楽曲を歌ってくれるシンガーと出逢った。その中に、これもまたラジオ番組ではかからないだろうなと思われる、ボヘミアンラプソディー並みに6分もある「ニューヨークの想い」があった。

まあ長ければいいってものじゃないんだけれど、曲も歌詞もその和訳も、根本的にボヘミアンラプソディーとは違っていた。そこが分岐点だったのかもしれない。好んで買い求めるレコードはビリー・ジョエルだけになっていった(もちろん嘘である。後にイーグルスのホテルカリフォルニアにもかぶれるから)

『コールド・スプリング・ハーバー』(71年のデビューアルバム)は田舎の街では手に入らなかった。上京した後にそこまで遡ってLPレコードがコンプリートされる頃には『グラスハウス』がリリースされていた。前後するが、それこそ後にも先にもチケットを買って出かけて行った公演というのは79年と81年の日本武道館だけだ(これも大ウソで、その後彼女に誘われて日本の某バンドのコンサートに連れていかれる。しょーがないのである。その彼女こそが今の妻であるもの)

閑話休題。

95年に生まれた長女がまだ幼稚園の年長組だったころ、先代らすかるのカーステレオから流れている「レイナ」を聴きながら”All for Leyna”と口真似をしたのを見たときには(そりゃもう何度となくリピートされていただろうから)ウルトラスーパー親ばかな顔になっていたらしいのだが、全然否定する気はない。

 

いやー、あのおっさんも、今日で70歳ですよ。でも、十代で出逢った音楽っていうのは、一生ものになります。今でもBLUEらすかるから流れてますもん。

 

休み中の一日。

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労働対価はビールか。

のまちゃんキレイキレイ。
新月サンがオイル交換とワックスがけしてくれました。
私はサイドモールをポリメイトで拭き拭き。
その甲斐あってピッカピカ☆
ま、翌日にはホコリ被ってましたけどねー・・・

満足は努力の中にあって、結果にあるものではない

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「そんな偉い人の言葉を頼っていないで手伝ってくださいっ」

「他人に変わって欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ」

「いまに見てろーっ」

 

来る日も来る日も基地の営繕に明け暮れていたところへ、物書きの師匠から苺の収穫が終わったから好きなだけとりに来いという連絡があり、最後の最後で大型連休レジャーらしいひととき。

などと言っても、働き者なのは霙で、僕は師匠と縁側で民俗学談義だったんですけどね。

しかし働かざる者への仕打ちは巡ってきます。妻と霙は苺の一部を近所におすそ分けしながら買い物に出かけるということで、我が家分の食卓に出すロット、冷凍庫で保管するロット、ジャムに仕立てるロットの仕分けとジャムづくりを命じられましたよ。とろ火で煮込みながらアク取りを幾度も繰り返し、砂糖を入れすぎてはならぬとかレモン汁の分量次第で透明度が決まるとか、いちいちうるせーよという指示を仰せつかり数時間。

下地づくりの時点で果肉をすりつぶしすぎたような気もするけれど、まあまあの量ができまして。

それじゃあ昼飯にと思ったらば、食パンが無い(笑) 台所を物色したけれど、週末関東人手土産の浜松産うなぎサブレと、いわさきさんが買ってきてくれたすあましかない。サブレにはすでにチョコレートがコーティングされているので、ジャムで食えそうなものは・・・すあま。

上等じゃねーか、食ってやるぜ「すあまの苺ジャムのせ」

 

精神性の最大の要素は「恐れない心」である。

 

ぼけぼけ~

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頭が働かない(いつもか・・・)

何をするでもなく、連休は終了。
新月サンはゴルフ行ったりお客さんのトコで現場仕事が入ったりして働いておりましたが・・・
「部屋の片付けしないとなー」とか休み前には思っていたのに、天気が悪かったり・・・良ければ良いで洗濯やら掃除やらで手を付けられず・・・積み上がったコミックスが雪崩おこしそうです(汗)

外のジャスミンは毎日地味ーに花を咲かせてて、只今八分から九分咲くらい。
ご近所様に迷惑な程の芳香をぶっぱなしております。

来る日も来る日も

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基地の手入れの日々でした。

前半は仙台から持ち帰った物資で埋まってしまった廊下の片付け。後半は草刈りと車庫を占拠しているガラクタの数々を処分。5年ぶりに車庫内に2台を並べて駐車できるまでに戻しましたが、まだ奥に全体の3分の1ほどの物資が積み上げられており、ぷらすBLUEとJB23でないと収まりません。ぷらすBLUE後方の、猪どもが崩しまくった土手も掘削し直さないと、右側に車庫入れするのは大変です。

といって全く外出しなかったわけではなく、街にも繰り出しました。

手入れ道具のいくつかが劣化し使い物にならなかったり、必要になり新たに買い出したりのお出かけ(後楽じゃないのよ)。20袋ほど購入した可燃物指定ごみ袋などは使い果たしましたよ。竹箒の選定については

「直感だ。これは飛びそうというのを選ぶのだ」←まちがってる

基地周辺は天候にも恵まれたので、この機に庭先テーブルの防腐処理も行いました。これは大学でデザインとか美術をやっている霙の手さばきに期待ですが、作業用ツナギが学校だと言われ、僕のダンガリーを1枚供出させられました。

なんか後ろの方にうちのじゃない二代目エスクードが停まっていますが、まあ皆まで言うなの風景(笑)。残りの作業、また週末ごとに消化だねえ。

連中だな、仕掛けたのは

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「まったく。ガンダムのこんな姿は見たくもない」

連休中、つくばーど基地に遊びに来たいわさきさんが渋谷で見つけて買ってきてくれたエメラルドマウンテンは、発売二十五周年を記念して放送四十周年となる機動戦士ガンダムとコラボレーション企画を立てたのだそうですが、世界に2台あるらしいこの自販機は、なんだか企画サイトを見る限りでは渋谷では5日までだったの?

「こいつ、動くぞ?」

などと言っていいのかどうかは今日以降も渋谷にあるのか何処かへ場所を変えるのかの確認ができないといけないんですが、これほど膨大な数のデザイン缶、連休期間くらいで買いきれないし・・・

というわけで、お土産にいただいたのはデニム曹長と量産型ザクでした。

 

ウルトラの父になる ←タロウが

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するとウルトラの父は爺に、ウルトラの母は・・・などと余計なことを考えてしまいました。セブンとゼロのときにも呆れたんですが、ついにウルトラマンタロウもとーちゃんになってしまう三匹目、いやベリアルとジードがあるから四匹目の鰌企画。と思ったらティガにもそういうのがあったような・・・

ウルトラマンタイガ

一目瞭然、中央がそのタイガなんですが、じゃあ両サイド誰よ? と、それはリンク参照。歴代のウルトラマンにもほぼ、他のウルトラマンが客演し群像化してはいましたが、令和のウルトラは平成で進化させた一人三体の在り方を変えるようです。タイプチェンジではなく、一人の地球人に三人ものウルトラマンが宿っている。なるほど全員出てくると主人公と合わせて麻雀ができる(違)

防衛組織とまでは行かないかもしれませんが、民間警察機構という組織所属の主人公はX以来の立ち位置。しかし本人も知らないウルトラの力とは、また迷惑な話です。最近の憑依型ウルトラマンはしょっちゅう主人公の意識に干渉しているし、三人一度にしゃべくられたらいやだなあ。

それにしても、またしても母親不明!?

 

まだ書店には並んでませんけど

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9日に発売されるスーパースージー112号にて、「つくばーどin日光大室」で訪問した日光大室高龗神社のリポートが、クロさんの執筆で紹介されています。

開催から早くも2カ月経ってしまいました。この号をはさんでさらに2カ月くらい先には、再び大室におじゃまして天然かき氷の早食い大会が催されることになっていますが、ことしはいつごろ梅雨明けするのかも含めて楽しみです。

その2か月後には113号が出るので、そろそろ原稿を仕上げないといけないのです。ページをめくってもめくってもジムニーな雑誌の中で、エスクードを取り上げていく梁山泊連載も、次号で60回めになります。エスクードに特化した話題なんてそんなに続くのか?

という懸念をよそに次号は今月11日に取材なので自転車操業(笑) しかしこのエスクード、どこかで見たことが・・・ 真相は当日、鉾田に来ればわかる!