ほんのりピンクに色づいたので、 白イチゴ収穫してみました。 お味は・・・ ちょっと酸っぱめだけど・・・普通。 うん、まあ、普通が一番だけどね。
収穫。
お客様よりいただいておりますご予約注文ですが、メーカー都合により本日現在当月内の発売が確定しておりませんのでご連絡申し上げます。
※本日以降のお日にちで、今月中に入荷の可能性もまだございます。その際は直ぐにご連絡差し上げます。
※当店で取り扱うホビー商材はメーカー都合により発売時期が延期になる事がございます。
24日時点で、First43のエスクードはそういう状況だそうです。
以前もこんな感じだったので、驚くに値しませんし、ほっときゃ届くだろうから(販売中止にならなければ、ですけど)。これを考えると、ドアロップのときが異例の前倒し入荷だったのです。
というわけで、再び「果報は寝て待て」っすよ。
びっくりしたなぁもー
先日の河北町訪問の際、山形市から寒河江まわりの東根市あたりまでは、知らないわけではありませんでしたが自分の知識だけだと「同じところをリピート」するのが関の山。それはおもしろくないよなと、山形在住のしろくまさんと、仕事で知人の乙姫さんに打診して、コロナ禍だから会いに行かないけど、そこへ行けというところを紹介して。とお願いしておりました。しろくまさんからは河北町の紅花資料館を勧められ、豪商の屋敷を再利用した施設を見学(写真が無いっ)しました。
しろくまさんは、「昼時には冷たい蕎麦」を軸に沢山のお店を教えてくれましたが、どこにしようか迷った挙句、こちらは乙姫さんの勧めてくれた洋定食屋の「三幸」へ向かいまして、「混雑するので予約した方がいいです」と言われてはいたもののめんどくさがって一見の訪問。しかし昼飯の作戦として開店と同時に訪ねる戦術が功を奏し、この日一番最初の揚げたてフライ盛り合わせ定食を注文。ロース、フィレのとんかつで、米沢豚というブランドがあることを初めて知りました。
コロナ禍となると、山形市内の公共施設は閉所かなと懸念しながら出かけてみると、県立博物館は念入りな消毒殺菌作業が進められていて、見学可能。あれです、縄文の女神です。何年か前に来た時にはカメラを持っていなくて、ガラケー内蔵のものでの撮影でした。というか、国宝指定の展示物が撮影可能というところが素晴らしいのです。砕かれた状態で出土したという4500年前の土偶の復元体は、全国のどの土偶とも異なる美しさがにじみ出ています。
博物館が所在する山形城址公園を前回訪問したのは4年前の6月でちょっと蒸し暑かったのですが、今回は湿度も低く木陰がいざなうわけです。東北在住中にはできなかった昼寝の真似事もできました。このあと娘らの土産を買いにどら焼きの店にも行ったので、和田酒造さんも含めて、短時間ながらずいぶん効率の良い移動になりました。しろくまさんと乙姫さんのリモートガイダンスの賜です。お二人に御礼申し上げます。
縁は異なもの味なもの(恋愛ものじゃないですが)
山形県河北町に220年を営む醸造業があって、この蔵元八代目にあたる和田多門さんが、どういうわけかうちの親父を「先生」と呼んでくださるのです。うちの親父は団体職員あがりなので教員でも政治家でもなく、そんなふうに呼ばれることは無いはずなのです。
親父の忌明けも済んだので、その報告と挨拶を兼ねて、和田酒造さんをお訪ねしまして、謎だと思っていた件についてお話を伺うことができました。
結論から言ってしまえば他愛もない話で、親父とその遊び仲間が以前、酒蔵見学にやってきて、造り酒屋の製造システムに組み込まれたボイラーや給湯に関しての技術論を説いたらしい。その道に関しては専門家でしたから、窯の時代から給湯器の近代にいたる歴史の貴重さを、親父は解説できたのだと思います。
けれども、そんな珍客に親愛をこめて先生などと呼んでくださった多門さんの人柄がありがたいことでした。
「うちのような小さな酒蔵は、地域の顧客に支えてもらって成り立つんですよ」と、多門さんは話してくれましたが、和田酒造の主たるブランドである『あら玉』(おめでたい、新年という意味)は、河北や山形の地域を超えて有名な銘柄になっています。そのひとつが親父の遊び仲間での話題で、それが昔の常磐線通勤の、帰宅列車内での酒盛りというかーなり不名誉な場で語られていたであろうことを想像すると気恥しいですが、縁というのは味なものとあらためて考えました。
珈琲を飲む蕎麦屋の図
珈琲のために出かけたのではありません。お冷ならぬ湯飲み茶碗でお茶が出ているこの店は、実は和風喫茶でもありません。
まあね、その昔、煮込みハンバーグを出す蕎麦屋にも行きましたから、蕎麦屋で珈琲が出ることくらい驚くに値しません。が、セルフサービスですけどエスプレッソマシンが置いてあって、(良識の範疇で)おかわり可能というところがエポックなのです。
蕎麦は二八で山芋のつなぎ感がわかる標準な歯ごたえですが、水切りが上手なのでつるつると行けます。ただそばつゆが今風で甘め。わさびを入れても甘め。
この組み合わせは中通りから会津にかけて時々出会った蕎麦だなあと思ってうかがったら、店主は福島県出身の人でした。関東で濃いめのそばつゆになじんでしまうと、これは甘めな上に薄い。むしろ蕎麦よりもうどんで食った方が合うのかもしれません。
それよりインパクトがあったのは天ざるの天ぷらの盛りです。品書きからは「海老とキスの天ざる」を頼んだので、これほど野菜天を盛り合わせてくるとは想像していませんでした。
海老二尾、キス一尾、茄子、南瓜、蓮根、オクラ、山菜、舞茸、椎茸という大盤振る舞い。「魚坊主」って、釣りと魚をイメージしたらそりゃまずいんじゃないか? な店名なんですが、釣果で言ったら大漁です。
ここはパリですか?
1927年の5月21日、チャールズ・リンドバーグは単独飛行での大西洋無着陸横断を果たし、表題のような言葉を発していたそうです。「トイレは何処よ?」とも言っていたとか。そりゃまあそうでしょう。しかしそれらの問いかけよりも前に、「英語を話せる人、いない?」から、歴史的着陸のドラマは始まっていたようです。後にアスラン空軍・風間真大尉も同じようなことをつぶやいていますが、リンドバーグの方は史実。ただし「翼よ~」は後付けの名言だそうです。
地球と月の距離を車で往復するのに15年もかかったけれど(しかも約80000キロおまけがついてのスタートだったし)、地球一周は1年もあればどうにかなりました。ということは、ニューヨーク~パリの大西洋横断と同等の陸路だったら、大雑把に6000キロ弱でしょうか、1か月ちょっとあれば走り切れます。が、リンドバーグの場合は33時間29分でこなしています。そこが航空機と自動車の決定的な速度差です。
彼もへろへろになって飛んだわけですから、我々が一気に6000キロを走り通すなんていうのは無謀もいいところだし、33時間運転し続けるなんて考えただけでもういやです。コロナ禍でツーリングイベントができなくなり、今、長距離移動はとりあえず不要不急にあたらない仕事としての運転ばかり。距離や道のりに面白いエピソードを重ねてイメージでもしないと哀しくなるのです。
リンドバーグはサンドイッチ4つと水筒2本を機内に持ち込み飛んだそうですが、あちこちで給油できて食事にも立ち寄れる分、我々は恵まれています。持ち込みと言えば、21世紀はマスクだの消毒液だのってのが今どきの装備だなあ。いや、無理やり比べる必要もないけんだど。