結構大粒の雨が降ってる最中、日が差してきました。
東の空にくっきりと虹。
うーん久しぶりにアーチ見たー。
夏の夕立の後って感じ。
少しずつ夜は涼しく・・・ならないんだなぁこれが・・・
盆休みのこと、叔父貴夫婦が帰省してきて「終活」を始め、自宅内の全面的な片づけをしているのだと言う。いくらなんでもまだ・・・多少早いんじゃないの? と受け答えをしていたわけです。
すると、
「捨てずにしまっておくことにしたんだけど、見せようと思って持ってきた」
とA4サイズの紙きれを広げるのです。
それは日付までは書かれていなかったものの、霰5歳くらいで霙3歳くらいのときに描いたと思われる絵手紙でした。妻に聞いたら
「あー・・・そういえば『お礼に何か書きなさい』って言ったことがあったよねえ」
との証言も出てきました。
ふーん・・・あいつらそこそこの絵心はあるんだなあ。あの当時、叔父貴が乗っていたアエラス(エスティマ)の特徴をなんとなくつかんでいる・・・
この20数年、何度かエスクードの絵を描いてよと頼んだことがありますが、あいつらただの一度もこのリクエストに応えたことはねーんです。
霰はどこだ!・・・あー会社か! 霙はどこ行った!・・・クラス会か!
まそんなわけで? 台風来ていたらしいですが、つくばーど基地に関してはマイクロバーストの発生によって、なんかずーっとジョーダンじゃねーよってほど暑くていい天気でしたよ。衣類から布団から(布団はコインランドリーに持って行った)洗濯機に放り込んでも投げ込んでも、車庫の屋根下では瞬く間に乾燥完了でしたよ。
でもって直らせた奴らに至っては「こんなん描いたっけ?」「描いたんでしょうねー、あるんだから」と、まるっきり忘れてましたよ。
地方によっては、あるいは教育特区などに指定されている自治体では、ぼちぼち子供たちの夏休みは終了間近です。最近は霰や霙の頃ほど馬鹿みたいな数量の宿題課題は出ていないそうですが、自由研究やってこいと言われると、何をやればいいのか大いに迷ったり思い浮かばなかったりするものです。
で、そんな子供たちに救済策・・・にはならんと思うけどね。
唐突ですが、水戸市の商圏をがらりと変えてしまったショッピングモール。かなり巨大です。これってどれくらいの差し渡しがあるんだろうと、車両の距離計と地図ソフトで計測してみました。
基点となる交差点から、建物がおさまっている区画は直線なので、これを測ると長い方で450m、短い方が350mありました(左図は後述の関係により違う数字になっています)
この縦横寸、空想科学的にどんなスケールなのかというと、こんな数字絶妙に当てはまっていきます。
艦籍番号 SCV-70またはLMSD-71
分類 強襲揚陸艦
艦級 ペガサス級(またはホワイトベース級)
全高 93m説あるいは97m説(艦橋まで約83m)
全長 262m説あるいは250m説
全幅 202.5m説あるいは110m説
モールの建物は上から見るとS字にうねっていますが、あのホワイトベースがミノフスキークラフトで低空から接近してくると、こんな感じの大きさなのであろうと。ぼーっとアニメを見ているだけじゃなくて、そこで語られているスケールを実際にイメージするのは案外大切なことです。
というわけで、身近な巨大建造物と、空想科学的乗り物などをスケール比較するという自由研究は・・・まあ多分提出したら怒られるでしょうかね。
常磐道で起きた煽り運転による傷害事件について、奇妙な出来事がありました。8月9日早朝、仕事に出かけるためその常磐道に入ろうとしたICで、珍しく検問に出会ったのです。
が、免許証の提示は求められず、丁寧な対話で、煽り運転が横行しています、もしそのようなことに遭遇したら距離をとってください。引き離せないと危険を感じたときは運転中でも110番を呼んでください。という指導を受けただけでした。
9日早朝ですから、例の事件自体が起きていません。あれを知ることになるのは12日になってからのニュース映像。ただ、10日の早朝には霰を職場に送っていくためやはり常磐道に乗っていました。
今考えると他府県ナンバーの白いやつに追い越されているような気がしますが、ま、こっちなんかスズキだし(笑・・・ってはいられない)ドイツのSUVなんかには相手にもされず事なきを得ていたのだと思います。
しかしそのことよりも、前日の早朝に、それと思しき話をもって注意喚起されていたという事実。ひょっとすると、7月に発生していたという愛知や静岡の事件を悪質とみなし、警察側ではある程度車種についての特定情報を手に入れ要所において網を張っていたのではなかろうか。
現に、僕は・・・どうやらSUVとみなされ料金所手前で停められましたが車種も色も異なるから対応が柔らかかった。僕の後にやってきた大型トラックは停止を求められませんでした。これが常磐道への入り口というところがなんだか因果めいてなりません。
不幸にして翌日、よりによって同じ路線で例の事件。被害に遭ってしまった人には同情を禁じえませんが、注意喚起の手際のよさに対して、それでも未然に防げないのねーという現実(悪く解釈すれば泳がせていたのかもしれない)、その後波状攻撃のように解禁される情報量とあっさり逮捕の幕切れまで、いろんな意味で怖い話だと思いました。だもんだから、この途上に総出でネットスネーク勢が無関係の人を同乗者だと晒してみたり、炎上狙いの「なりすまし倅」が現れたりのド素人展開には呆れてモノも言えません。
でもねー、結局運転って性格が現れるね。先日の相模川帰りの圏央道追い越し区間(いやそいうい言い方はしないか)で、相模ナンバーの古いラングラーに煽られましたよ。こっちが追い越しを終えて走行車線に戻るまで待てないのかよ。
世に盗人の種は尽きまじ。
今はNewおだてぶた(さん)というハンドルを使っていらっしゃる彼は、以前はTA31Wに乗っていて、これにありったけの改造を施し車高を上げて大径タイヤの太いのを入れてワイドフェンダー化。写真の奥にいる先代らすかるなんか地味なもんです。しかしそのためにディーゼルエンジンのトルクも奪われクロスカントリーでは難儀していました。ヒルダウンは良くてもここを登ろうとすると、エンジンを回さないと進めないし、回すと猪のような猛進となるのです。
しかし何がすごいかって、あのエスクードで関東圏や信州で開かれていたエスクードのミーティングに、夜通し岡山県から参加していたことです。
ディーゼルエスクードは岡山でも排ガス規制によって乗れなくなり、長いこと音信が途絶えていましたが、四代目エスクードの登場時にいち早く、それこそふたみさんやCyberKさんたちと同じくらい超初期の1600を購入しており、十数年ぶりの再会となりました。
相変わらずカスタム化には余念がなく、テンロクですがグリルを当時のヨーロッパ仕様に変えたり、未だに事例の少ない2インチ上げのサスペンションに交換したり、オフロード向けの性能を見出そうと頑張っておられました。
岡山から厚木までの650キロはやはり夜通し走ってきて、無給油で到着。現地には一番乗りで現れます。お互い車種は変わったけれど、エスクードに乗り続けていてよかったなあというひと時です。
こうして四代揃ったエスクードのなかで、確かに四代目は方向性を異にしているのですが、「モノコックモノコック言われたってモノコックなんだからしょーがないでしょ」と思いながらも、エスクードなんだから少しでもオフロード向けにしたいというユーザー層はいるのです。
このあたりのことは、来年になってしまいますがスーパースージー誌上でも主張していきたいと考えています。
1929年8月19日、世界一周途上の飛行船グラーフ・ツェッペリンが霞ケ浦航空隊基地に寄航し、土浦の街は大騒ぎのお祭り状態だったと、僕の祖母がよく話してくれました。祖母はこの年二十歳でまだ独身、でっかい飛行船が来るってんで土浦の職場も休止状態となり、同僚たちと隣町の航空隊近所まで歩いて見物に出かけたそうです(なんかそういう血を受け継いでいるよね、俺って)。調べてみたら月曜日ですよ。おおらかというか大雑把というか、そんな時代だったようです。
1929年と言えば、これも祖父母から聞かされた昔の事件として、3月に石岡市中が大火に見舞われ大被害が出ていた年です。祖母は玉造から石岡経由で土浦に働きにに出ていたのだから、影響は無かったんだろうか。と思っちゃいます。が、土浦では寮に住み込みだったらしいし、昔は鉄道(常磐線じゃなくて日本鉄道・土浦線と言ったらしい)がだめでも、霞ケ浦を使った舟便で土浦まで行き来できたようです。
さて飛行船は4日間、霞ケ浦に滞在したそうで、その間この異国のクルーたちをどうやってもてなすのよ? と土浦の人々も困った挙句に作り出したのが、海軍料理をベースにしたカレーライスだったとかで、これが戦後埋もれていたのですが90年代にレシピを復活させ、今でも「ツェッペリンカレー」として食することができるようになりました。昔のそれは野菜ごろごろのカレーに蓮根を加えたりワカサギを入れちゃったりいろいろと煮込んだらしいですが、現代のツェッペリンカレーは蓮根のみ、土浦の名産品として加味しています。
祖母からは蓮根入りカレーを作ってもらったことがないので、我が家にはツェッペリンカレーは伝わっていませんでしたが、よく出かける喫茶店「蔵」では、設えを変え乍らメニューに残し続けています。昔は週末のみとか1日何食分かの限定でしたが、現在はレギュラー化されました。奇しくも、ことしの8月19日も月曜日なのです。が、現代の世の中そんなにおおらかで大雑把じゃないので、盆休み明けに夏休くっつけるのも顰蹙買いそうだから先日、食ってきました。