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  ~懲りない傾向~

原典知らぬは減点ぢゃ 和邇さんの手記080

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整備振興会の会合に行った際時間つぶしに隣接する予備検査場でよもやま話をしていたところ、JB74が光軸調整に入ってきました。
車検ではなく初日に5ドアを発注したのでこのあと買取業者に引き渡すンだとか。
オーナーさん23歳の青年でしたがノマドのネームの由来を知らないとのこと。
オヂサン3人でご教示させていただきましたが、ベル・エアどころかエスクードノマドの存在すら知らなかったという驚愕の事実。しかも

『名義変更しなくても買い取ってくれるとこあるから、イマイチ格好悪いけど契約入れときましたw』

だと。
ワニの餌にしてやろうかヽ(`Д´)ノ

 

和邇さんが説明したという「ベル・エア」とは、1950年代にシボレーが売り出していたフルサイズパッケージのクルマのことです。その人気によって派生していったのが1955年の・・・

「そこまでぢゃライゾ―!」

・・・出たな新帝国のマッドエンジニア。

「エンジニアではない科学者ぢゃ。まあいい教えてやろう。それは我が盟友・ドクターエメット・ブラウンが次元転移装置の構想を思いついた1955年。前年にドリームカーとしてコンセプトが世に送り出されたベル・エアベースの新たなモデルが誕生したのぢゃ。それこそがシボレー・ノマドである」

フルサイズアメリカンビークルで2ドアのハードトップ風ステーションワゴンのことね。

「そのとおりぢゃ。お前たちエスクード乗りは1990年登場のロングモデルをノマドと呼んでおるがな、ノマドのサブネームはそれより35年も前に生まれておるのぢゃ。そんでもって70年も経った今になって、ジムニーノマドをエスクードの再来などと浮かれておる巷の有象無象にゃあきれてものも言えん」

思いっきり言ってるじゃねーか。

「ともかくぢゃ、当時からシボレーはGМ傘下のブランド。後にスズキもGMと蜜月を過ごす中でエスクードが開発されておる。スズキの社員はベル・エアやノマドの歴史にも触れておるはずぢゃ。Chevrolet Nomadに対してEscdo Nomadeと末尾にeをつけてフランス語圏風にアレンジしておるがな、原典をたどるとシボレーに遡れんこともなくもないのぢゃ」

 

なんですか宿敵同士が喧々諤々でございますが、まあまあ70年も前のクルマのことを昨今の若者が知らなくてもそれは無理からぬことでございます。

それでもなんというか彼の物言いが癪に触りましてね、気持ちの上でひと呑みにしてやりましたよ。

 

咲きました。ということは・・・

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さすがの最強寒波に阻まれ、乾燥しきって雨も少なかったことも重なり、例年より少し遅れましたが17日夕、開花しているのを確認しました。状態から見て16日に咲いたのではないかと思われます。といっても天狗の森一番桜は大島とか緋寒の類なので油断できません。これに釣られて「花見設営っ」などとやってきたから、つくばーど®の花見は毎回、耐寒我慢大会になってしまうのです。案の定本日から再び強烈寒波第二陣が居座るらしいです。

だからといって花見をやらない天狗の森なんてつまらんのよ。

後日お知らせを出します。3月20日の春分の日を目途に準備します。その週末には市と観光協会の桜祭りイベントがあるようなので、混雑を避けます。でもおおむね一か月の時間がありますから、ソメイヨシノもちゃんと咲いているはずです。

それでも寒いかもしれないけどね。

くろかんノマドの記憶

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20年前の今日、「くろかんノマド」と呼ばれ仲間に馴染みだったTD01Wが現役を退くこととなり、天狗の森で開かれたつくばーど®の新年会に来てくれました。このときの所有車は信州在住で番長格の儂さん。ヘリーハンセンリミテッドのノマドからこのカタログモデルに乗り継ぎ、そのあとラダ・ニーヴァに乗り換えていきます。当時儂さんは「エスク道」というサイトを運営していて、林道ツーリングからクロカンまで幅広くこなしていました。

「くろかんノマド」を誕生させたのは、90年代にオフロードコースやトライアル競技で走らせていたエスクード乗りたちの一人、遠州在住のだいすけさん。この頃のオフロード派は、不利と言われたエスクードのなかでも足回りに利点を見出し、さらにライン取で泥や岩場に挑んでいました。だいすけさんはそれだけでなく、このノマドで常時リッター16~18キロで走っていたエコランドライバーでもありました。儂さんは彼からノマドを譲り受け「何年かでも」と延命させてくれました。

2005年は三代目エスクードが登場してくる年回りでしたが、二代目はもちろんのこと初代の現役率はけっこう高かったと思います。僕はだいすけさんや儂さんのように果敢にクロスカントリーに乗り出せる腕前が無かったので、エスクードの性能を引き出す彼らがうらやましく、何か別の取柄は無いものかとマラソンクラスを勝手に立ち上げたのです。この日のつくばーど®において、うちの先代らすかるは積算走行距離40万キロを刻みました。

節分ですがつくばーど®も

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「なんでそんな日に新年会なんか設営するのっ」

雫さんがお怒りなのは、この日の節分行事で裏山山頂の神社に朝から手伝いに出なくてはならないからです。その山頂を眺められるごく近くでつくばーど®in天狗の森04が開かれるわけです。いやその、ことしの節分が2月2日だってことをうっかり忘れてましたよ。

こっちも大損失で、娘らもいないからうちのエスクードを2台(幌車は霙ごといない)持って行って頭数にしようという目論見が水の泡です。そのうえ「豚汁と塩むすび食べたい!」という雫さんの要請も出る始末で、プレイベントのように昨日、一足先に食ってきましたよ。週末限定チーズケーキは現在、紅はるかを使ったスイートポテト風味だそうです。残念ながら厨房が小さいので、きんぴらキーマカレーはメニューから消えました。

転んでもただでは起きない夫婦なもんで、水泡に帰した我が家のエスクード2台体制もやってしまえと、これ見よがしな場所に並べてお店に行っていたのですが、色と言いマーキングと言い傍から見たらどこかの営業車にしかとらえられないんじゃないかの風景。それでも同じクルマが2台あるという異質な眺めに、遠巻きに見ていると覗き込んでいく人もけっこういました。というわけで、月遅れ新年会の本戦は本日10時からです。参加者少ないのよ遊びに来てよー。

さて先ほどお開きとなりまして基地に戻ってきましたが、雪になるとの天気予報に期待していたのに霙までで積もることなく、しかしさすがにFORESTHOUSEも常連が少し来ていただけで来客数はほとんど伸びず。20人前とっといてと頼んだ手前、豚汁の売れ行きに影響を出してしまいました(焦)

当日の様子はこちら

柚子風味はまた来年

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ATAGО FORESTHOUSEで来月の「つくばーど®in天狗の森04」について打ち合わせに出かけたら、知らぬ間にチーズケーキがメニューに加わっていました。あの狭い厨房でよくこれだけ色々な献立を作り出せるなあと感心します。1ロット2ホールで24ピースが限度だそうです。この日は柚子ジャムが使われていましたが、柚子は使い切ったとのことで、次に来るときは別のテイストになる予定だとか。このチーズケーキもなかなかの美味さです。

つくばーど®の月遅れ新年会で振舞う豚汁ですが、器が不ぞろいになります。そりゃそうですよね、一番嵩張る形状ですから、20食分同じものを置いておけない。「器持参でやりましょうか」と言ってみたんですが、そこまで気遣わないでと笑われました。

残り11000000kmの旅

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この記事がアップロードされる午前0時ごろ、東の空に火星が上がっていますが南岸低気圧の影響で空模様はよろしくなさそう。天文ファンの間では2018年以来の火星と地球の大接近が話題となっており、今回は約9608万kmと言われています。以来、と言われている2018年には約5759万kmという大接近でした。が、最近は事例にのぼらない2003年の超接近というのがあり、この年は約5600万㎞に近づいていました。ここまで近づく次の機会は2035年だそうです。

つくばーど®サイトでやっている「エスクードMilage」は、この2003年に記録された火星までの距離を「エントリーしてくれるすべてのエスクードとその派生車の走行距離を足して更新し続け、そのうち火星までたどり着く」趣旨で、ノリと悲壮感の企画として2006年から始まっています。

往路の半分は5年で消化し、ユーザー数も300に達していますが、乗り換えや交流途絶などの年月も重ねているため、その後は年々距離の伸び数も鈍化しています。それでも2024年末で約4500万㎞まで進んでおります。あと約1100万㎞、そのうち辿り着くだろうという目標なので、いつのことになるかまったくわかりません。この数年のペースを見ると、1000万㎞進むのに6年ほどかかっていたものが、さらに半減しているので、2035年の再び超接近には間に合わないかもしれません。

マイレッジエントリーと距離更新は、つくばーど®サイトの掲示板に専用スレッドがあります。「なんてあほな企画なんだ」と笑っていただけたユーザーさん、そういうあほなノリに足を突っ込んでみませんか?

 

エスクードMilage2025が始まりました。

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みんなのエスクードの積算走行距離を加算して火星まで行こうという、聞いて呆れる見て笑われる「エスクードMilage2025」が元旦より始まっています。2006年にスタートしてから300台を超える参加をいただき、現在、目標となっている2003年の火星大接近(約5600万キロ)まで約1100万キロくらいに近づいています。本年はSuuuさんとTA01Wさんがカバー写真を提供してくれました。アンカーにはうちのが使われています。さあ今年も淡々と距離を伸ばしていきますよ。

20年目の斗折蛇行

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唐代の文学者であり高級官僚であった柳宗元(りゅう そうげん)が綴った「斗折蛇行」という言葉は、北斗七星のような折れ曲がる星座の配置と、蛇の進むが如くうねりを、道や川の続く様として表しています。この言葉と関わるわけではありませんが、彼もまた優秀な役人であったのに、上層部の政変で左遷の憂き目にあった男でした。

人は大なり小なり紆余曲折な暮らしを続けていますが、そのことはさておきうちのスズキエスクードTD61Wは、乗っている自分が言うのもなんですが、これほどこの言葉が似合うエスクードを他に見ない道のりを走り続けています。海外に持ち出された古い個体には、おそらくうちのエスクード並みの積算走行距離を刻んでいる物があるかもしれませんが、少なくとも日本という国内において、あと約50000キロでオドメータがリセットされるような(リセットされるかどうかスズキもわからないと言っているという)個体は無いと思います。

この個体は90000キロ直前で下取りに出された1台でしたが、二人目のユーザーとの出逢いは20年前のことです。これまた自分で言うのかの話ですが「厄介な奴に見つかっちゃったよね」の始まりが、2005年の夏のこと。そこから文字通り「とせつ・だこう」の日々が繰り広げられています。走ったし壊したし壊れたしで、見てくれ以上に満身創痍です。「斗折蛇行」と言いながらも、走らせる意志と走る力が微塵もぶれていないことだけ、この個体の見どころです。

まだまだ行先は各地に折れ曲がって所在し、そこへたどり着く道のりも未踏でうねうねと曲がっているのですが、今年も淡々と走り続けるのみです。

 

遅くなりましたが報告しますと、12月30日夜、急な鳩尾の痛みと嘔吐で倒れまして、県立総合病院に電話をしたら救急外来が混雑しているけれど、来るだけ来てみなさいと。雫さんに運転してもらって駆け込んでみると電話のときのピークは過ぎたのかもともと混雑していなかったのか、すんなり診察に回されました。

ここら辺の経過はほとんど覚えていませんが、あとから情報を加えると、触診とか心電図とかCTスキャンでわかったのが胆石。しかも胆道と胆嚢の接点に確認されステンドを入れて胆道確保の必要アリと。しかし場所が悪く胆嚢を傷つける恐れが出ていてそれやっちゃうと最悪重篤化と脅されたようですが、朦朧としていたのでそのまま内視鏡処置へ。

この頃すでに意識はありません。内視鏡は口から入れられたようで(マウスピース咥えていた)すがあれが体内を蛇行した感覚が無い。←干支的な表現できたよ

この一連のフェイズ進行の最中、胆石は発見場所から砕けて落ちてしまったらしく、ステンド処置も必要なく内視鏡自体も短時間で抜き取られ。朦朧としたまま病室までストレッチャー搬送され点滴の管につながれておりました。

年越しのさ中にお騒がせして申し訳ありません。膵臓も弱ってるってことで診察は続いております。

Gott nytt år 2025

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今夕点火します

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振り返ったら2015年からやっている、コロナ禍で一回、昨年実妹の危篤で一回休んでますけど「焚火の忘年会ことつくばーど®inらいとにんぐつくばーど基地」を今夕開催します。

まあ寒空に直火の焚火囲んで晩飯食って歓談するだけですが、ご自分用の椅子は持ってきてください。基地からの提供は「なめこ汁」に決まりました。

面白いことに、参加された面々は全員現役かОBの二代目エスクード乗り。2000のショート、ロング、V6‐2500、グランドエスクード経験者という顔ぶれとなりました。

当日の様子はこちら

これにて今年の行事はすべて完了です。

 

あとですね。毎週火曜日に掲載している「マイティジャックを取り戻せ! 完結編」は、おかげさまでどうにか脱稿しまして、最終話は火曜日の大晦日ではなく明日30日の月曜日に掲載します。