Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

これ企画します

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その昔各社からリリースされた様々なサイズのエスクードのミニカーを、いかにもそれっぽく撮影して展覧会にする。

という企画を立てます。

エスクードやビターラならば初代から現行モデルまで世代は問いませんし、プラモデルでも可です。所有していない人には済みませんな企画でごめんなさいです。

9月いっぱい、エントリーを受け付け、10月につくばーどサイトでウェブ展覧会を設営します。簡単なコメントと共に写真をお送りください。屋外に持ち出してもよし、室内にホリゾントやジオラマを作っても良し(いやさすがにラジオラマはないか)。画像ファイルのサイズは横フレーム固定・横660ピクセルで天地はトリミングしてもかまいません。ミニカーのスケール感を払しょくし、実際の車体サイズに見せるところがポイントになると思われます。

送り先は雷蔵まで。果敢な参加をお待ちしております。

 

でもって注意事項です

 

この時期、屋外撮影はミニカーのタイヤを地表の熱などで溶かしてしまう恐れがあります。炎天下の撮影は熱中症の危険もありますので、対コロナ装備も必要ですが、暑さと熱には十分お気を付けください。

また、ローアングル撮影は効果的ですが、地表は輻射熱も手伝い50℃以上に熱くなっており、ミニカー以上に自分自身がやけどを負います。寝そべって撮るのはリスクを伴い、周囲から奇異の視線も受けますのでご注意を。

在宅勤務してるなあ

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実際に撮影したのは6日の夕方、給油しに出かけて必要な買い物と必要でない買い物をして基地へ戻ったときのものです。

775577kmを刻んだのが7月25日ですから、平均すると1日100キロしか走ってない。「経済的ですわー」と言ったら、同じペースで通勤している霙からは「そんなことはありませんっ」と言われてしまいました。

でも暑いのってこれからだよね

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暦と実際の季節はどうにも摺合せしにくいです

 

でもってウェブの方は三人展に拡充

 

さらに「生兵法は怪我の元」にsuuuさんが参戦

Team WESTWIN Warriors#148

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「後藤さんが乗っていたエスクード、僕がもらっちゃってもいいですか」

島雄司監督に、梅津知浩くんがそう言ったそうです。いずれそうなるだろうというビジョンは出来上がっていますが、今はまだその時ではない。彼は今、1600のエスクードを自在に操るためのステップにいますから。

ところがその梅津くん、僕にこう言うのです。

「(だから)普段使いのできる街乗り用のエスクードが欲しいんですよ」

後藤誠司くんのエスクードも梅津くんのエスクードも、ナンバーを取れる状態ではありません。梅津くんが島さんに言った言葉は、レースにおいて。僕に言った言葉は、レースに勝つために片時も離れずエスクードを走らせたいという野心、です。

「私はとても不思議な感慨に浸っていますよ。後藤君が子育てのために戦線を離れて夫婦でむつまじくやっているなか、うちの店で何が起きているかというと、TDAのことを知ってくれた若い人たちが、後藤君のエスクードを見学に来る事象が増えているんです」

TA51Wは、半ば伝説のエスクードになり始めているそうです。後藤君の走った10年近くの戦績は、伊達ではないということですが、事実上そのエンジンが休眠してしばらく経っています。にもかかわらず、見学に来る人がいるとは。

「そこへ来てチヒロの言い分が、あれで走ってみたい。ですから、あらためて後藤君の刻んだものの大きさを噛み締めますし、チヒロや見学者の感じていることも胸熱ですよ」

梅津くんは今、雑誌やインターネットを駆使して、この世代のエスクードの情報をかき集め、むさぼるように読み解いているそうです。その途上、エスクードの構造や走りに関して詳しい人と仲良くなれたというので「そりゃよかったね」と思ったら、その人ってTA01Wさんだったという「さもありなん」な逸話もついてきました。

梅津くんが後藤くんや川添哲朗くんの域にたどり着くまで、ざっくり10年と見積もったとして、それでもその頃の彼はまだ20代。これが何よりも強い武器です。エスクードなんて初代モデルは「40年前のクルマ」になってしまうのです。今の時点でだって、10代の若者が30年前の・・・51Wは20年ちょっとですけど、そんな骨董レベルのクルマに強い執念を抱いていることは、確かに感慨深いことです。

川添くん曰く

「ごっちゃんの子育てが落ち着いて、『とーちゃんの背中』を見せたくなるまで、あと2年か3年ってところじゃないでしょうか」

そのちょと先のある日、梅津くんがどれだけ力をつけて、後藤くんとマッチレースの一つも繰り広げることになれば、楽しみは前倒しです。勝敗はさておき、そうやって梅津くんがウエストウインの後押し役を背負っていく日は、いつか必ずやってくるはずです。

 

この雨に打たれて

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エンジンは別にどうということなく快調なんですが、無段階間欠のワイパーが動かなくなってしまいました。

おいおいおいおい・・・わざわざそこで止まるか!

しかしまあドライバーに付き合って体調不良しなくてもいいのにねえ。

アポロ11帰還の日

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もう51年も前のこととなります。人類初の月着陸を果たしたアポロ11号のクルーが、地球帰還を果たしたのが7月24日。このミッションは、月面着陸はもちろんのこと、無事に帰還したという点が後世に残る最大の偉業だと思います。翌年の春、大阪万博に連れて行ってもらい、我慢に我慢を重ねて行列を並び、「月の石」というのを間近で見物しました。それから半世紀・・・うわぁ、半世紀だってよ、15年かけて自分のクルマの積算走行距離でおなじ数字を刻んだわけです。

実際、2度目の往路だってできるかどうかわかりませんでした。だから、先代らすかるで月を目指していたころは、もっと訳が分からない衝動で走り続け、途方もないことを始めている自覚もなく、夜空を見上げては月を探していたのです。還ってこられなかった最初のミッションは失敗です。無駄になったのかもしれません。今、僕が持っている記録を、いつか誰かが乗り越えていくでしょう。と、期待半分「できるものならやってごらん」半分です。帰還は生半可じゃないね。

ナッツの日だそうですが

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曰く、「夏に」ってことで

 

あと、こんなのも

現物だってわかんないもん

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国産名車コレクションのエスクード・ノマドの車体色が、実際の濃紺よりも明るいと感じた人は多いと思われます。それはもう許容範囲内で生温かく見てあげるしかないのですが、現物なんかこんなでしたから、色味なんて場所も含めて曇天で撮るか晴天で撮るかで大分変ってしまいます。ノマド登場時の濃緑色であったダーククラッシックジェイドパールも、日が当たっているとかなり緑を強く反射していました。うちで乗っていたG‐リミテッドノマドも、曇天だと黒になってしまうことも。

それに輪をかけて、写真の二台を見比べ、ダークブルーメタリックはどっち? と問いかけたら、どっちを指さしますか? エスクードに限ったことではなく、車の車体色としてカタログに記されているネーミングは、かっこよくも難解です。単に白といっても、それこそ三原色それぞれを加味した様々な白があるわけですし。

マミポコさんのエスクードとBLUEらすかるは同じ車体色でマイアミブルーメタリックⅡと呼ばれますが、この「Ⅱ」が未だに何を示すのかわからない。ツートンカラーだからか? でもそのツートンの青でない部分は、マミポコさんのはマーキュリーシルバーメタリック、BLUEらすかるはキーンゴールドメタリックと使い分けられており、少なくともツートンの色子弟ではなさそう。でもってマーキュリーシルバーとかキーンゴールドって、なんですかその色彩?って重ねて言いたくなっちゃう。

それを差し引いても、写真のコンバーチブルは、今だったらグレーイッシュミディアムブルーとか言われるんでしょうか。実際に見ると「DIC 2397」が近いはずなのですが。でも88年にエスクードがデビューした時、この色は単純にダークブルーメタリック。隣の93年式ノマドはディープブルーパール。いつから複雑かっこいいネーミングが始まったんだ? と思い出してみると、89年1月の初の限定モデル、G‐リミテッドのファンタジーブラック/ミディアムグレーメタリック2トーン(なんだこの長さは)で、カタログモデルだと・・・あ、デビュー時のスペリアホワイトがスズキ定番とはいえ、既にもうその域ですね。

 

 

 

 

Team WESTWIN Warriors#147

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うっかり失念していました。TDA2020の第2戦が、12日に開催されまして、ルーキー梅津知浩選手がリミテッドクラス、アンフィニクラスともに第二位を獲得しました。これほど早く表彰台に上がってくるとは驚きですが、ウエットで泥のコースコンディションに助けられて、他車のハイパワーぶりが封じられたということだと思われます。

しかし快挙は快挙、リザルトは現実です。

「勝ち抜き戦の最中、これはだめだと思って、途中でラリータイヤに交換してもらいました。オールテレーンじゃトラクションがかかりません」

梅津くんは素早い判断で泥対策を講じたそうです。なぜそれができたのかというと、チーム内外の様々な人たちが繰り出す助言を、ひとつひとつ聞き取り実行に移す実直さが功を奏したようです。島雄司監督によれば

「このところ私は主催者側の立場で、現場ではあまり面倒を見ていません。その分、あそこはこう走れ、こういうときは退け。といった声が、あちこちから聞こえてきて、ああ、かわいがられているなあと思わされます。チヒロはそれらに対してとても素直です」

しかしタイヤ一つで走りが変わるとはいえ、それほどのコンディションで、タイヤだけでどうにかなるものかとたずねてみると、今回は事前にリアデフ付近にバラストを加え、車体後部が必要以上に跳ねないよう対策を施していました。

もう一つの作戦として、梅津くんはトーナメントの中で、大きなゼッケンを取得して対戦相手を引き当てられるような駆け引きを試していたようで、これは川添哲朗選手譲りの頭脳戦ともいえるでしょう。

さてその川添君ですが

「あっ、今回僕は出なかったことにしてください」

って言われても、クルマ泥だらけじゃん。

残念ながら、燃料ポンプの不調でまともに走れなかったそうです。そういうこともあります・・・が、ポンプ類だけの不調かどうかが心配。燃料圧送系全般にトラブル要因が潜んでいるかもしれません。

ここでそんなもん使うなよ

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内視鏡検査で休みを取った午後。雨が上がり薄日も差してきたので、1/24エスクードノマドの屋外撮影をやろうと思い、車体を台座から取り外そうとしたら、なんと三角ねじで固定されているではありませんか。

おいおい⁉ 我が家じゃ三角ドライバーは配備されてねーよ。なんだってこんなものの固定にわざわざこれを使うんだよー・・・

やむなく台座固定のまま撮りに出かけたはいいのですが、やっぱり興ざめです。

車体色については、曇天の順光で撮ると、なんとなくノマドのそれに近くはなります。ただこいつ、運転席のドアが開くはずなんですが、きっちり収まっていて爪の先程度ではびくともしません。リアハッチ右下にESCUDOのロゴはあるけれど、本来その下に貼られているはずのNOMADEのデカールは付いていません。たぶん見落としではなく、モデルとなった個体に付いていなかったのでしょう。