Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

オーバーホールへ

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来年の車検時にやろうと思っていましたが、オイル漏れを1年放置するのは危険と判断して前倒しで入庫です。さすがにこれは主治医のところでは対応しきれないので自販に持ち込む段取りをしてくれたのですが、今のスズキ自販は軽自動車等のリコールによる作業で受け付けられないとかぬかしているそうで、ついでに「エンジンばらして整備し組み直すスキルを持った社員が、もう平須にはいない」というマジですか?な答えが返ってきたとか。

主治医は、BLUEらすかるのエンジンをいじったことのある整備士さんの居所を追跡して、近場の自販系営業所にひとりいらっしゃることを突き止めて、そこへ入庫となりました。軽整備で済むのかオーバーホールが必要なのかを見てから見積もりを出すと、整備士さんは言ってくれているのですが、そういうことならこの先の将来が不安じゃんと考え、迷わずオーバーホールでやってほしいと念押し依頼です。

てことで、年内に仕上がってくるかどうかわからないので、8日の買い出しトライアルには、ぷらすBLUEで出かけること決定。というか、当面、霙からクルマを借り戻すことになります。

ばかねっ

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「未来少年コナン」の再放送をなにげに観ていて、冒頭で有名なナレーションによる地球文明崩壊の年が2008年、物語はそれから20年後という設定に、なーんだ今、記事に書いてもかすりもしねーわと苦笑いしていて、それでも調べてみたら当たりくじ?を引き当てました。

コナンの物語がどのくらいの時間経過を持つのかわからないのですが、2028年の内に最終回の「大団円」を迎えている場合の話。

あのダイス船長のもとへ嫁ぐそれ自体があっと驚きの、「ばかねっ」が名台詞となったモンスリーさん、このとき28歳なんだそうですが、こんなめでたい最終回が2028年だとしたら、あれですよ、「スズキエスクード誕生40周年」という年回りとぶつかっているのです(彼女は2000年の生まれだそうです)。いやー、1台くらい大変動から逃れて、大型島となったのこされ島(の反対側。という設定ね)あたりで走っててくれないかなー・・・

まあまさしく「ばかねっ」な思い付きでした。

しかしほんとに「ばかねっ」な話で、ということは、超磁力兵器が使用され地軸がねじ曲がり5大陸のほとんどが海に沈むこととなったた2008年7月って、エスクード誕生20周年でイベントやってたまさにその頃じゃん。

 

・・・で、「大団円」をもう一度見直してみたんですが

バラクーダの修復時間

ドンゴロスたちが所帯を持って赤ん坊がいる

あらー・・・結婚式って2028年よりあとってことかー

水蒸気吹きまして

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うわーラジエターパンクしたか! と、びっくりするような湯気がエンジンフードの隙間やラジエターからもうもうと・・・

と思ったんだけれど水温計は正常で、開けてみたけどホースもコアも破損なし。どうやら雨ざらしの車体と、エンジンブロックから漏れ出していたオイルが走行しているときの過熱で籠っていたようです。

主治医のところで液体パッキンを入れてもらい経過観察ですが、どのみち対症療法ではらちがあかないので、オーバーホールを行うため近日入庫です。

四半世紀の価値

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日付まで覚えていないのが痛恨の極みですが、スズキX-90は今月、発売から四半世紀を刻むこととなります。誕生となるとその2年前の東京並びにヨーロッパでのモーターショーに遡るものの、量販車としての登場は1995年10月のことでした。私的なことを言うと、うちの霰と同い年で、もしも、ですけど霰が(12月に)生まれる予定がなかったら、最初に乗った初代ヘリーハンセン・リミテッドからの乗り換えに引っかかっていたかもしれません。

奇しくも我が家は「子供が生まれるしね」という慶事により、ヘリーハンセンからカタログモデルのV6-2000ハードトップを選択していました(ノマドじゃないのかって突っ込みはもう手遅れです。まあうちにはノマドも1600があったし)

国内では1348台という総販売台数と、この風貌がずっと尾を引き、ことあるごとに失敗作だの迷車だの言われてきましたが、そんなことをうそぶくあんたちょっと考えてみなさい。

台数不明ながらヨーロッパじゃそこそこの人気を博し、コミューターからバリバリのクロカンマシンまで、それこそユーザー思いのままにかわいがられいじり倒されてきました。国内で売れなかったのは事実として、これを手にする度胸と愛嬌が無かっただけのことで、日本人その程度のクルマ選びなのよと、スズキ初のV6だし子育てあるしとハードトップのエスクードを95年に買い替えた僕自身が、自戒せねばならぬと思っています。

当時からX-90は、極めて高いスペシャリティテイストを持った四駆だったのです。そう、SUVじゃなくて、四駆、です。そして、この時期既に開発がスタートしていた二代目エスクードには、初期のデザインイメージにコンバーチブルがありました(初代のデザイナー・片岡祐司さんによるもの)。X-90は片岡さんの作ではなかったと思いますが、まさにその姿を予見しています。結果だけを引っ張ってきて珍車扱いするセンスの方が四半世紀、動脈硬化してるってことです。

クボジャー 歌う

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久保田利伸が自動車のCМと関わるのは、ダイハツシャレード、トヨタランクルプラド、クライスラーグランドボイジャー、フォルクスワーゲンに続いて(かな?)五度目のチャレンジですが、そこに四代目エスクードが巡ってくるのは何かの縁ですね。奇しくも四代目はハンガリー産ですけど、久保田氏って静岡の出身(浜松じゃないのも誤差範囲内)。「Boogie Ride」本日、配信限定でリリース。うーん、どうせならこういうジャケットでCDがほしい。

Team WESTWIN Warriors#151

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「SX4、少しづつですが手を入れ始めました。現在、哲朗が、軽量化を図るべくリアシート等取り外しております。画像の作業風景はバンパ-が外れないよう穴を数箇所開け、結束バンドで縛っているところ(笑)」

9月の連休に入ってきた、島雄司監督からの連絡でした。耐久レースは25日なので、今だともっと進んでいるか、試走レベルに仕上がっているかもしれません。

 

ところでこの記事を読んでくださっている皆様・・・・

25日、開催延期ですってよ!

主催者がフェイスブックではアナウンスしているようですが、現段階でかなりの人たちが知らないらしく、島監督も人づてに知らされたそうです。どうも恋の浦を使用している上位の運営団体の様々な競技がコロナ禍のあおりで玉突きにずれ込み、耐久レースにも影響が及んでしまったらしいです。

「まあまあひどい話なんですが、俯瞰的には腹を抱えて笑ってしまう話もあります」

前回のレースに、敗退したとはいえウエストウインが参戦していたのを見聞したライバルが、ウエストウインのSX4の話も聞きつけ、極秘にチーム編成を行い車も準備を始めて「島君を当日ぎゃふんと言わせたる」とほくそ笑んでいたそうです。

「先日そこに所用があってお邪魔した時、『25日のレースが中止になっちゃいましてね』って、知らんぷりして教えてあげたときのリアクションときたらもう・・・」

今回は裏話の方がほんとにおもしろいです。が裏話ゆえに細かいことは書けません。ただ、聞くところによると20以上のチームが参戦しているレースの上、けっこうたくさんの学生が資金をやりくりして車を用意し耐久を楽しんでいる風景を見られるというところが重要です。

こういう部分に丁寧なアナウンスも無く、ふたを開けないと中止もわからないばかりか参加者の努力が日程(今のところ12月13日との話)によっては水泡に帰すかもしれないなんて、主催者はもっと真摯にビジネスと向き合うべきでしょう。

 

2度目があるなら3度目も?

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スズキが創業したのは1909年10月の、創業者鈴木道雄氏による鈴木式織機製作所立ち上げがルーツでした。ゆえに2009年に創業百周年記念事業でもあった(と思われる)歴史館が開館されていました。

が、ことしも創業百年。鈴木式織機製作所が株式会社化されたのが1920年3月であるためです。ただこの時代、同社はまだオートバイも自動車も手掛けていませんでした。

1936年、鈴木道雄氏は初めてオートバイ用エンジンの研究を命じ、自転車に取り付ける補助エンジンに始まり、実際にオートバイとして開発されたコレダCОが登場するのは1954年のこととなります。国が自動車取締令を改正し、オート三輪や小型車などにようやく認可が出るのが1930年だったからです。戦争による中断を挟み54年の6月、社名が改称され、ようやくスズキ自動車工業株式会社が誕生したのです。

そういった歴史について今になってあれこれ言うのも無粋なので、夢のある話に持って行きます。つまり、2020年の百周年は、偶然にもマツダと同い年の会社という地域の基幹産業同士の縁を持っている(ほとんど話題になっていませんが)年回りだけれど、1954年からの百周年なんていうのも、絶対にありそうです。すごいな、三度も百周年を迎えられるなんて。しかもその時は「ゴジラと同い年」って言うことができるのです。

それはまた極論、のもう一つの視点

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買い出しトライアルから妙高小谷線探訪に移動している本日なので、閑話休題として、9日に触れた「それはまた極論を言うなあ」のフォローをしておかねばなりません。

どれだけSJ30が好きなんだよ?と揶揄してしまった同記事をもう少し展開すると、この二代目ジムニーをデザインした故小栗克彦さんに辿り着きます。機能を重視して無駄を省くシンプルさを追求したのが、小栗さんのジムニーでした。

そこには、レンジローバー(現クラシック)を目標に据えたモノ作りがあったそうで、初代エスクードをデザインした片岡祐司さんも、「小栗さんが言っていた、スズキはレンジローバーを目指すべきという言葉が参考になった」と話しています。クラシックレンジは1台にラグジュアリー、エステート、パフォーマンス、クロスカントリーの機能を盛り込んだことがアピールポイントでした。1970年の誕生なので、奇しくも初代ジムニーと同い年です。

クラシックレンジの持つ機能性とコンセプトは、小栗さんなりにSJ30に注ぎ込まれました。だからこそ二階堂裕さんはこのモデルに惚れ込んだのでしょう。これは片岡さんも「ずいぶん先のことを考えていらした」と語っており、まさしく当時、国産車にそんなコンセプトの自動車はなかなか見られなかったわけです。だから都市型四駆などと揶揄されたものの、初代エスクードはクラシックレンジを追いかけたSJ30を苗床にしたと言っても過言ではないのです。

片岡さんのデザインを基に開発の進んだ初代エスクードの諸元は、二階堂さんによる企画でした。悪い言い方をすれば、ジムニーのコンセプトを守るために次期ジムニー計画を破棄させたのが二階堂さんですが、きちんとそれを回収してエスクードが誕生していく。このストーリーを知れば、ジムニーロードに書かれた二階堂さんの主張は頷けるのです。まあそれにしては、生みの親なんだけれどエスクードよりジムニーなおじさんなので、そこは突っ込みたいのですが。

挑戦するかどうかは本人次第

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ぷらすBLUEを預けてからこっち、霙自身の運用距離はそれほど大したことはなかったのですが、就職してから片道結構な通勤に使い始めています。といっても往時のとるねーどらすかるや今現在の「時々」のBLUEらすかるほどではありません。

しかしいずれ、BLUEらすかるは今以上に距離が出なくなるでしょうから、霙の運用は今後、大きなものとなるのです。

試算してみると、現在250000キロ台に入ったことから、あと5年、霙が「もう乗らない」と言わず、また、壊れずに走り続けると、現状の通勤において、ぷらすBLUEも月までの距離に届くのです。それくらいの年月は行けると思うのですが、距離という物理障壁にどれだけ耐えてくれるか。あとは彼女にその気があるか、です。少なくとも、簡単な距離ではないのですが。

 

とりあえず車検は彼女の財布が通しましたよ。 ←運行管理代行者じゃなかったのか?

リアルとフィクションの間に

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М78という星雲は、オリオン座の三ツ星の方向約1600光年の彼方に実在し、今から240年ほど昔の1780年にフランスの天文学者ピエール・メシャンが発見しました。発見歴に78という数字が混じっているところが、2020年という年回りのエポックです(書いててそれには意味がないとも気が付いた)

この星雲は、しかし、あのウルトラの一族が住んでいるМ78星雲とは別の天体です。彼らの故郷と太陽系は300万光年という距離を隔てています。

この際、どっちのМ78でも構わないんですけど、まあどう足掻いてもBLUEらすかるが辿り着ける場所じゃあないです。М78を示すんだったら、下二桁が78のときに見てみたかったのですが、残念ながらこの車を見つけたときには8万キロ以上になっていましたので、それから15年、ようやく上二桁で実現しました。

これがまた、数字は狙って撮影できたのに、日付が9月11日と、外してしまいました。BLUEらすかるは2005年9月5日に陸運登録され、9月10日に大勢の友人たちに出迎えていただいたのです。うへー、78よりそっちの方が重要だったじゃんかよー・・・