Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Team WESTWIN Warriors#188

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年次的には半端な昔の2007年。11月25日、我々は京都市右京区の山奥でダートトライアルの耐久レースを観戦していました。これがWESTWINの二枚看板、後藤誠司君と川添哲朗君、さらに諸事情で来場しなかった島雄司監督を除くTeam・WESTWINの方々との邂逅です。この頃彼らはまだエスクードには乗っておらず、このレースではターボ仕様のパジェロミニを扱っていました。で、ここからレースの話を書くと長くなるので、概略だけリンクしております。

確か、対外試合としては彼らは初陣だったはずですが、島監督曰く「私が鍛えた秘蔵っ子です」と語った通り、並み居る強豪相手に二位をもぎ取りました。当然、彼らは二位という戦績には不満だったのですが、クルマの底力を侮っていたとはいえパジェロミニでこの走りなのかと、我々は大いに驚き喜んで、「もしもこの子らがエスクードで戦うようになったら」と、よからぬことを思いつくのです。それは三年後の広島県で実現していきます。

あっ当り前の話ですが、彼らだけでなくみんな若いわ。厳密には僕を除いて、ですけど。96年式のBLUEらすかるだってこの時点ではまだ11年目程度です。僕以外の何人かはさらに遡って島監督が現役ドライバーとして最後の耐久をエスクードで走る姿を見ることもできた、貴重な経験者たちです。狼駄さんなんてインフルエンザか何かで高熱出ているのに「やめとくか?」「行き・・・ます」で連れてこられちゃって大変な目に遭ってます。

ところで・・・浜松で静岡勢と合流してSIDEKICKさんとkawaさんの先導で京都まで出かけたこの日、夜中に市内に入ってコスモスパークへの道順確認で路上駐車しているのが、京都っぽい唯一の写真なんですが、ここって現在のストリートビューを見るとだいぶ変わってしまってます。なにしろエドワード・ヒースロー教授が京都に住み始めてまだ二年目くらいの頃ですから。でもコスモスパークに対して、クルマの向きがまったく逆なのが謎です。

 

しかし32年は耐久した

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G16Aのクランクプーリーがカバーを削り取るようなずれを起こし、パワーステアリングベルトが外れてカバーを吹き飛ばしたことが故障の原因でした。うっかりと言えばうっかりですが、エンジンマウントの痛みに気がつかなかったのです。フィガロといい幌車といい、似たようなところが霙の運転中に立て続けに壊れながら大事に至らず幸いでした。霙の走らせ方は丁寧だということをあらためて知りえる機会ともなりました。

Team WESTWIN Warriors#187

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我々がモミの木の下でカレーライスを堪能している頃、福岡県ではTDAの激戦が繰り広げられていました。

「今回TA74Wは、ホイルを16から15インチへ変更し外径のサイズダウンと、マフ ラーを交換することで立上りの改善をやってみました。 走った感想としましては、1速から2速へシフトアップ後の4000回転から5000回 転までの立上りのもたつきと、2速のギアの入りにくさを感じました」

川添哲朗選手からの報告によれば、リミテッドクラス、アンフィニクラスの両方にエントリー。リミテッドクラスでは、ヨコハマジオランダーATタイヤを使用し、決勝まで進 みましたが、決勝前にパワステのベルトが切れるというアクシデントがありま した。が、ステアリングの重さは車を流すことでカバーし、優勝をもぎ取ったそうです。

アンフィニクラスではアドバンラリータイヤを使用し、本戦に挑みましたが 、ラリータイヤのグリップ力をパワステ無しでコントロールすることが出来ず 、敗退。うむむむ、なんでしょうこの因果。74Wと同じ日にうちのぷらすBLUEがベルト脱落でパワステが故障しているという・・・

「前回、コース上でフルバンプさせたときに下回りをぶつけています。このときエンジン周りにもダメージをもたらしていたと思います。あの状態で車を流せるんだからたいしたものです」

島雄司監督は、川添君が訴える「非力感」は、車体の軽量化にかかっていると考えているようです。川添君は彼は彼で、休眠中のTA51Wを52Wとニコイチ化でアンフィニに投入と提案しているそうですが、はてさて74軽量化とどちらが現実的なコスト論になるのやら。ともあれリミテッドクラスにおいては三代目エスクードの重量はともかく、ショートボディのディメンションが有効であることを証明してもらえました。

あっちを直せばこっちが壊れ

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フィガロ修理の代打で霙がぷらすBLUEを使っていた数日の間に、それは起きていたらしいです。

「ばんっっっていう凄い音と同時にステアリングが切れなくなって」

これが基地の敷地内だったからまだ良かったんです。赴任地にてそうなっていたらどうにもできない。

この故障は、タイミングチェーンがすっぽ抜けしてカバーを吹き飛ばしたものでした。主治医によると

「チェーン自体は断裂もしていなくて、なんともきれいに外れてました」

そんなこともあるんだなあと思ったけれどその程度では済まない状況。そもそもなぜタイミングチェーンがはじけ飛んだかといえば、経年劣化でエンジンマウントがつぶれてエンジンが定位置から手前にずれてしまい、傾斜も付いていたと。そりゃあチェーンのかかり具合にも悪さするよねえ。

「というわけで、歪んだクランクプーリーも交換です。カバー側も穴が開いちゃってますから交換しないと水でも侵入したらおしまいだし」

まさか・・・またぞろ部品が出ないとか・・・

「今回は調達できました。直せます」

あーもう心臓に悪いぜ。

あらまぁ・・・

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偶然見つけてしまいました。これはインドネシアのユーザーさんのことを紹介したリポートでしょうか? グランドエスクード/XL‐7をとことん改良してオフロード走行性能を高めた事例なのですが、なぜかというと確か、かの国に出荷されていたモデルはバックヤードでいじらないと四輪駆動車化できなかったと聞いたことがあるので、例えば日本から直接個体を輸入しなければ、部品調達レベルで相当な労力を要するのです。

それはそれとして、このステッカー。

嬉しいというかこっ恥ずかしいというか。インドネシアのスズキのクラブとはしばし交流がありましたが、三代目の登場以降ミニバン傾向に流行が移って、クロカン四駆のユーザーは減っていったとも伺っていただけに(現に今はコンタクト無いし)、こんな形でこれを眺めることになろうとは。

こちらは日付が古いので現在の様子は不明ですが、とあるバックヤードビルダーのFacebookで見かけたもの。このTD01Wは現地から送られてきた写真で見覚えのある個体です。インドネシアのクラブには初期ロットのステッカーを20枚くらい送ったことがあります。が、使われているかどうかは確かめられなかったので、偶然の巡り合わせに「あらまぁ・・・」とにやにやせずにはいられなくなるのでした。

eVXは初代エスクードの再来なのか?

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「ドライバー」ウェブリポートのeVX評論は予想以上に好感度の高さで紹介しています。細かいことはそちらをご覧いただくとして、これが市場に登場するなら国内ではCセグメントクラスの扱いとなりますが、評論ではすでに四代目エスクードよりも一回り大きいと言及しており、そういうサイズが三代目で実用化されていたことは過去の話で忘れ去られている感もあります。二代目のグランドエスクードも然りですけどそこまで遡っても仕方がない。

ただ、ここまで厳つい(あくまでもコンセプトモデル段階ですが)いでたちは、果たして初代の再来と言っていいのかどうか。35年前のデザインセンスとの直接比較はせず、これからのスズキはこうなのだといった見方をしてあげた方がいいような気がします。その点、これを実寸レベルでコンパクトと括れるかどうかは別として、ライターさんが「エスクードの後継と言えるかもしれない」と綴っているところは正しい論評だと思います。

それともう一つ。性能については何もわからないままなので、世界戦略車として「求めやすい価格帯」というのが注目すべきメーカーコメントです。初代において15インチや16インチというタイヤホイールの価格というのはぎりぎり納得できる単価でしたが、17インチに拡大されると「えっ?」と目を丸くしたものです。そこに20インチを標準で持ってきているのはコンセプトモデルだからでしょうけど、買った後のコストのうち、タイヤは避けて通れない宿命を背負っているのですが・・・

 

 

なんにもやってませんけど

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2003年に立ち上げたESCLEVは、スズキエスクードやマツダプロシードレバンテの、ポータルサイトとまでは行かなくとも、オーナーズサテライトをめざそうと思っていました。ESCUDO・OWNERS・SATELLITEというサブネームを持つことはほとんど知られていませんが、これはESCLEV以前に有志が運営していたメーリングリスト・EОSから引っ張っています。まあそのMLを解体したのも僕ですから、多少の良心の呵責はあったのです。

たとえばSSC出版には、何度となく「ESCLEVはクラブではありません」と訴え続けましたが終始「エスクードクラブの」と扱われました。そこを理解してもらえないことは覚悟していましたが、ESCLEVはインターネット通信を介したユーザー間の交流の場所以上のことは出来まいと、立ち上げまでの経験でわかっていました。だからESCLEVはサイトも含めて「部室のようなもの」で通しています。

ツーリングや宴会、オフロード走行会といった行事は、個々の有志が手をあげ告知や連絡網に使っていただければ充分なので、最低限のコンテンツは作りましたがろくな更新もやっていません。唯一一所懸命になったのは、三代目エスクードがデビューした折、おそらくどんなクルマサイトよりも情報収集とお知らせ系ウェブページを役立ててもらった程度でしょう。あとはエスクード誕生20周年から30周年にかけての記念企画のみです。

ほとんど他力本願ですが、サイト作りだとかイベント設営だとか、誰でもいいからやってみなさいよと吐露したいのが本音(吐露しちゃってるじゃん)。自分自身では記念企画だって作りきれなかったでしょう。数多のユーザーさんによる手厚い協力をいただけたことで、三度の記念企画はどんなメディアにもできなかったことを実現しましたし、ツーリングや走行会、アウトドア遊びのイベントもいくつかこなすことが叶いました。

部室なので、開店休業状態は、まあみっともないけれどそれで構わない。時が来れば「お前なんかもう要らないよ」と新しいクラブなりサイトが産まれていくでしょうから、「そんときゃいつでも隠居するぜ」の気持ちで過ごしてきました。案の定、エスクードの35周年というタイミングに、雑誌連載は打ち切られるという趨勢も巡ってきました。

その35周年の年回りが、偶然にもESCLEV自体の20年目と重なっていました。立ち上げの頃にはそんなところまで気づいていません。実態はなんにもやっていないのと変わらないですが、20年続くとも思っていなかったのです。SNS全盛の今ですから、ユーザー間の交流だってXだとかinstagramに移行していくのが当たり前です。

ただ、誰でも行き来できる場所とは、IDやパスワードで防御するのではなく、オープンサイトであるべきだと考えているので、異論を認める分僕の主義も通してほしい。20年目の心境とは、そんなものです。蟷螂之斧なんだか梁山泊なんだか、そこまで行ってないだろうと笑われるのか。そういう危ういところを歩んできました。

世界中のエスクードやX‐90、グランドエスクード、プロシードレバンテ、それらの海外仕様のユーザーさん全てに、ありがとうございますと一言申し上げます。

先祖返り・・・しきらない大きさ

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ビッグサイトに行ってる余裕なんか無いので現物を見ていませんが、「eVX」は電気自動車としての世界戦略第一弾コンセプトモデルであるとか。全長4,300mm×全幅1,800mm×全高1,600mmというサイズは、スペアタイヤを廃してからの三代目エスクードをちょっとだけ低くしたディメンション。この大きさに依存していくのは、仮に市場に出てくる場合、来年国内投入されるジムニーロングとの差別化というか、ジムニーロングへの忖度なのでしょう。

インターネット上のポストを眺めていると、スズキのコンパクトSUV(もう僕なんかはSUVという時点でどうでもいいんですが)に対する意見は二分していて、現在の四代目では小さいという声と、待ち望んでいるのは初代サイズ、というのが代表例です。

もっとも、登場した頃のグランドエスクードだったら全長4575×全幅1780×全高1740mmに達していました。この全幅は二代目がワイドボディ化されたサイズを踏襲していますが、今考えると1700mmを越えたという驚きに対して、二代目にはさほどの大きさも窮屈さも感じなくて、グランドエスクードのみが歴代最大級の全長(最大時は4600を上回った)故に「なんか細長くてでかい」と云われていました。

三代目も初代と並べさえしなければ(笑)、そんなに大きいとも思わなかったのです。だから国内ではミドル級、北米あたりならまだコンパクトの域にいるのが「eVX」。ひとつ疑問に感じるのは、航続距離500キロという数字は、EVの世界ではボーダーラインなのでしょうけれど、大陸を走るぜという海外において、使い物になる数値なのかどうか。そこにはインフラの完備という課題もありますけど、日本列島だって青森から下関まで走り切れない(ガソリン車もですけどね)

 

17年目の32年もの

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2006年10月10日の再登録で、手元にやってきたのが15日。幌車に乗り出して17年になります。その幌車は既に32年前のクルマになっています。前所有者、あちこちぶつけてグリルや前後バンパーを壊していましたが、車体自体は塗装も健全。純正鉄ちんホイールと言い当時物のデューラー682を履いた姿と言い、びっくりするほどのノーマル車だったというのは(廃車時に元に戻したのかもしれませんが)、買い付ける側としては小躍りするような物件でした。

仕組みとしては掌握していましたが、幌をどの手順で開けていくかまでは熟知しておらず、幌の理と言えばってことではまたにさんに相談したら、夫妻で動画を撮って解説してくれ、頭の上だけでも二通りの開口ができることを知りました。それで頭上だけ開けて走っていたのですが、幌乗りと言えば狼駄さんで、実際にオープンへの作業を手伝ってくれたのは彼です。長期の連休の際は、幌を取っ払ったまま車庫に置いて、そのまま出かけていました。

70000キロ台後半だったオドメータは3回、リセットさせています。それだけ酷使していながら、G16Aという1600ccの四気筒は、オイル下がりを起こしていましたが、1年半ほどかけて復調させたら、実は2500のV6よりも故障は少なく、シンプルさの強みとブロックの頑丈さを見せつけ、32年してこの始動の軽快さかと驚かされます。誰にでもそんな1台は巡ってくると思いますが、僕の場合は「こんなのに乗っちゃってこの後どうしよう」の2台のうちの片方です。

ひとまず復旧

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32年物のラジエターコアは穴だらけでした。純正部品がまだ出るのは助かりましたが、部品代は諭吉9人分です。

・・・保管費用どんだけ上がっているんだ?

ちなみに社外品だと諭吉8人分。