Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

牛も千里、馬も千里

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西暦の末尾が「1」の年、株式市況にとってはろくなことが起こらないそうです。ついでにその年の干支が「丑」だったりすると、何かしらの要因でつまづくことも少なくなかったとか。真偽のほどは、過去の年回りを点検し、ことしを過ごしていけば、どうにかなるのかならないのかがはっきりするでしょうから、当たるも当たらぬも八卦ってところです。

昨年暮れに木星と土星が何百年ぶりの超最接近したことで、世の中の流れはすでに切り替わっているという説もあります。西洋占星術において「風の宮」に属する星座の人たちにとっては、大躍進の年回りだとか。これもまた真偽のほどは過ぎてみないとわかりませんが、丑年で天秤座の僕は、両方比べてプラマイゼロかよ?

翻って丑=牛。牛乳飲んで育ったうえ、牛肉食って重くなった恩恵を受けていながら、牛には馬ほどの魅力が無くて、有馬記念や東京大賞典を走る競走馬が話題になっても、闘牛場での牛の扱いはもとより、そも闘牛って牛がマタドールに負かされる趣向じゃん。劣ったものから優れたものに乗り換えることを「牛を馬に乗り換える」とも云ってしまうのも、なんだか哀れさを感じます。

早くても遅くても、劣っても優れても、行き着く結果は同じじゃありませんか。慌ててもしょうがない。15年もかかりましたが、地球と月を往復する距離を走り切ったし、あの6月の日から現在、80万キロまであと6000キロを割りました。

牛も千里、馬も千里。走り続けられるなら、走ります。

おはようございます

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2020年はいろいろな著名人が鬼籍に入られ、昭和から平成に移り変わるときもそうだったと思い出していましたところ、昨日、31日午後、家内の母親が老衰にて享年85歳で静かに息をひきとりました。

新年早々そんな話で申し訳ありません。

そのような次第で、喪と年越しが一緒に来てしまいましたので、欠礼のご挨拶も間に合わず、年賀状の発送を急遽中止いたしました。年始のご挨拶もひとまず本日のみ辞退させていただきます。本欄へのコメントも不要ですのでお気遣いいただきませんようお願い申し上げます。

当ブログ、つくばーどサイトの掲示板などは通常運営いたします。

相変わらずのコロナ禍、警戒レベルの大雪です。皆様も安全とご健康にお気をつけ、2021年をお迎えください。

今さらですが20年紀でした

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一番下まで切り取れなかった

なんか10年前にもやっていて、またしても同じ轍を踏んでいますが、2020年はつくばーどサイト開設20周年でした。こんな年回りにコロナ禍なんか呼び込みやがったのは何処のどいつだよ。何一つまともな記念行事ができませんでしたよ。

20年紀なんて言葉があるのかどうか調べてみると、Scoreというらしいですが、2世紀くらい前に廃れてしまったらしく、2度目の10年紀としてTwo Decadesと呼ぶらしいです。

らしかったなあというのは、BLUEらすかるが地球帰還を果たしたことと、ついうっかり「200回目のつくばーど」を独りつくばーどでやってしまったことでしょうか。秋以降、買い出しトライアルを復帰させて、不発にならずに済んだことはもう安堵以外の何物でもありません。テレワークが定着しようとも、やっぱり引きこもっているのは性に合いません。

仲良しの福島県相馬の市長さんに「ウィズコロナというのは、正しく怖れて賢く逃げるものなんだよ」と教えられました。彼はもともとお医者さんです。様子を慎重に見ていればどう対処して回避するかが見えてくるということだそうです。これは「慣れる」ということとは少し違います。慣れは成すべきことを見失いますから。

それにしても、10年の節目の2度目を過ごして、なんだかんだ言って持続していることは、いかに不真面目に歳月を浪費してきたということなのかもしれません。それもぼちぼち残り少なくなっているとすれば、来年も好き勝手にやりたいぜ。という暴言を吐いて、本年を締めくくります。

みなさま良いお年を。

 

輝く太陽背に受けて

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2020年。横浜ではついに設定寸通りに作られたガンダムが動き出すそうですが、「ガンダム大地に立つ!!」をオンタイムで見たときのような関心を持てないのは、やはり自分が歳を取ったからなのでしょう。それを理屈っぽく、背後のドックがでっかい黒子なんていやだ。とか言っている自分がいるのです。

だって、そこは見せたくないだろうし見たくもない部分だろうし。

それでも、巨大ロボにも背中の哀愁があるんだよなあ。

犬小屋を買った

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講評につき再販とのことでしたが、白黒ぶちのビーグル犬を飼う予定はありません。僕はむしろ、黄色い鳥の方が推しなのです。

DVDソフトのキャリアーとして使うつもりだったけど、ケースの寸法は満たしているけど5枚、いいとこ6枚しか入らないわ。一眼レフの入れ物にした方が使い出があるかもしれません。

 

決して立ち読みしないことです

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なんでかって・・・紙の重さを侮っちゃいけません。624頁もあるんですよ。このブログを書いているノートPCより、明らかに重い! 昔出ていたマクロス豪華版記録全集より重い・・・と、思う。

これ全頁立ち読みのまま読破できたら、もうほとんど筋トレですよ。ただし、ときどきぶん投げたくなるような落書き同然のラフ画にも耐えねばなりません。

1970Merry Girl

2 Comments »

いつのまにかっ、和久井映見さんもそんな御年ですかー・・・ って去年も似たようなこと書いたなあと思ったら、彼女は1年違いで猪熊柔と同じ誕生日でした。

和久井さんの熱烈なファン、というわけじゃないのですが、彼女が主演した91年の映画に樋口有介さん原作の「ぼくと、ぼくらの夏」というのがあり、原作は東京・多摩地域だけれど映画はつくば市、下妻市、土浦市などが舞台となっていたのです。

通っている学校の通学路が、うちの奥さんが通った小学校の真横だったり、よく知っている風景がそのまま出てくるのだからそれだけで保存ものなんだけれど、ヒットしていないのでDVD化されていない!

刑事の息子とテキ屋の娘というありがちなボーイ・ミーツ・ガールはそのままで、映画は原作と異なりかなり脚本も変わっていますが、その方が正解だったと思っています。タイガースの楽曲が絡むことから、いわゆる「組の親分=父親」が沢田研二という笑かしも楽しかった。あちこち突っ込みどころもあるのがまた醍醐味。なんせ学園都市から水道橋となりの橋を渡ったらもう筑波山のワインディングで、山を下りたら大竹海岸とか(笑) なんといっても勝ち気と可憐が同居した和久井さんが良かったのよ。

まれびとの行方

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オーストリアやドイツの東、東欧あたりでは、今日は「クランプス」が出てくる日だそうです。なんだそいつは?と紐解くと、聖ニコラウスが子供たちにプレゼントを配って歩くのと対照的に、プレゼントをもらえる資格もない悪さをしていた子供たちを脅し懲らしめる伝説上の生き物らしい。それってなんだか、なまはげの言動に似ているところがあるなあと思いましたが、両者を同列に語るのは無理やりの誘導だという意見もあるので、ほどほどにしなくてはなりません。

クランプス自身も様々な形相のようですが、角が生えているという意匠的類似点と、悪さをした子供に罰を与えるところから、共通の存在に思えるのでしょう。そのなかで、なまはげには際立った特徴があり、彼等は「来訪神」「まれびと」と呼ばれ、限られた一定の時期に人間の前に現れる。クランプスのような土着の伝説とはちょっと異なるのです。あくまでも神であり、その形相に関わらず「鬼ではない」というのが彼等です。仮面ライダー響鬼の立場がありません。

角生えてて、来訪者で、善業を諭す超自然の存在。といったら、「鬼ではなく、神でもない」ことを断ったうえで、勝手に思い浮かべるのはウルトラの父です。悪い子に罰を与えたかどうかは知りませんが、彼は2度目の地球来訪の際、サンタクロースに扮しているくらい、地球の西洋文化に精通しているのです。更には月から逃亡した怪獣に、正月向けに餅つきの手伝いをさせる。うーん、無理やりつなげるなと言われても、これはすべてのまれびとをつなげたくなっちゃいます。

だけど、なまはげなんて案外愛嬌があるし、日本全国に点在するまれびとのいずれもよく見ると異形であってもつい親しみがわくのですが、西洋のこの手のモンスターぶりはどうしてこれほど嫌悪感丸出しにするのか。そりゃこれで脅されたら子供なんかひとたまりもありませんわ。今や虐待というモンスターが矢面に立ち、体罰自体が違法となった世の中だけに、まれびとたちには善行は善行、悪行は悪行だと、世代を問わずに罰を与えに現れてほしいものです。

・・・俺んとこに真っ先にやってきそうだな・・・

region1をダメもとで

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こういうのは勉強せずに過ごしてしまったので、再生できるのかダメなのかは口コミだよりで取り寄せました。「ガンダムORIGIN」も安彦良和さんが手掛けて入るのですが、観たいのはそういうのじゃないんだよ、と。それにしても北米物の「巨神ゴーグ」はこれで全話収録。「クラッシャージョウ」も再生サイズ2種類のディスク構成で、国内版となんら変わらず高画質でおっそろしいほどの安さです。ゴーグは地味と言われるけど、何度観ても面白い。

ホッパー

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『仮面ライダー THE FIRST』の公開から15年が経ちました。『仮面ライダー3号』が『THE FIRST』の造形をある程度踏襲した以外は、『仮面ライダー1号』で「ええっ?」というリデザインが行われただけで、たいていの客演は『新1号』が使い続けられています。ここに上げている1号は『仮面ライダー THE NEXT』の仕様ですが、リペイントとダメージを加えた程度で『THE FIRST』の意匠がベースです。この15年、結局これを越えてくるデザインはなかったと感じます。

『THE FIRST』の造形には出渕裕さんが手を入れていましたが、元々に遡って石ノ森章太郎さんが二次元でデザインしたものをそのまま立体化した、いわば「コミカライズ1号」と「テレビ版旧1号」を比較しても、最初のコスチュームを作り上げた造形屋さんの仕事は素晴らしかった。改造人間と変身の概念が映像上では作り切れなかったにしても、仮面と戦闘服という表現においては、「旧1号」は異形の怪奇性を十分に持ちながら、ヒーローとして成立していました。

「旧1号」のマスクは、ヘルメットに始まり髑髏のデザインを経てバッタの顔立ちへ変遷したことが有名ですが、一歩間違えば・・・いや間違ったから?ヒーローに転じていて、それが無ければ世界征服の尖兵だったわけです。怪奇物という路線で企画された『仮面ライダー』だけに、バッタ型改造人間の姿は二次元デザイン時は生物テイストを滲み出していますが、マスク=仮面の域には少し遠かった気がします。この点において特撮の三次元造形による功績は大きいのです。

『THE FIRST 、THE NEXT』では、仮面という造形、ベルトの機能、戦闘服としての意匠に「ギア」というガジェットをきめ細かく取り入れたことが特色です。趣味的にはクラッシャーをここまでしゃくらせなくてもとも思いますが、「ホッパー」と名付けられる改造人間のいで立ちをよく表現し、これが組織を裏切り正義に転じると「仮面の男」としてヒーロー性が前面に出てくる。もとのデザインが秀逸なだけに、出渕デザインも古さを感じさせません。

いつからか、仮面ライダー〇〇の造形は「モビルスーツ化」してしまったように思えてならないのですが、平成のシリーズが既に昭和の作品群を数で凌駕し、令和のライダーも二人目の主役が登場してくるなかで、様々なしがらみでそうなったのでしょう。もはや改造人間という素体の起用は困難だとも言われるけれど、あのごちゃごちゃしたスーツでよくあれだけ動き回れると感心します。でも、このヒーローの戦闘服や仮面は、程よい軽快さが肝心ではないかと考えます。