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  ~懲りない傾向~

聖刃で来るなら聖楯もいらないか?

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と思ったんですが、エスパーダというライダーは出てくるようですが、エスクードはお呼びではない令和ライダー第二弾。「仮面ライダーセイバー聖刃)」。だから、ほんとにもう勘弁してくださいというほど仮面ライダーの記号からはみ出してしまっています。それでもクウガ以降の歴代ライダーには石ノ森章太郎さんの未使用スケッチを参考にしているというのだから、その未使用スケッチを網羅した画集でも出してほしいわ(昔クウガの豪華本にそういうページがあったけど)

令和第一号のゼロワンが、終盤で自らゼロツ―へパワーアップし、「仮面ライダー」における1号と2号を一人でやったかと思っていたんですが、どうやらあればクウガとアギトを一人でこなして、セイバーには平成ライダー3番目の龍騎と、意匠的には4番目のファイズを持ってきて、この一人で「仮面ライダーV3」(V3とライダーマン)を掛け持ちしているようなポジションに見えます。右肩の龍は憑依してるのか、戦闘において分離するようです。眉間の角が各ライダーの特徴らしいですが、複眼周囲の龍と炎のデザインが、石ノ森原案の「クロスファイア」の名かもしれません(金色のモールドはXライダーまで含んでいるのか?)

ゼロワンの社長業から、今度は作家(小説家)の主人公。どこかで絶対に「ペンは剣よりも強し!」とか言い出しそうな気もしますが、むしろ言ってもらった方が、この格言が本来の原典とは大分改変されて使われていることも広められるかも。

鷲が舞い上がった日

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航空自衛隊が最初のF‐15Jをマグダネル・ダクラス社から引き渡されたのが1980年7月のことで、この原型となるF‐15は、遡って72年6月にロールアウトし、同7月27日に初飛行を行ったそうです。以来48年、いよいよF‐35型の導入でF‐4EJがいなくなってしまう年回りですが、15はまだしばらく現役で稼働していくのでしょう。ノックダウン生産でしたし、アメリカが知らないような仕様もある(わけないと言っちゃダメなんだ此処では)かもしれない。

まさか幻魔大戦まで持って行くのか?

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医者にかかる前に読んでいました「8マンvsサイボーグ009」。両者、原作者が「幻魔大戦」においてどちらが真の原作者なのかのトラブルを引き起こした経緯があるだけに、平井さんも石ノ森さんも、あの世で「こりゃー困ったカードだねえ」などと苦笑いしていそうな連載開始です(と思っていたら、桑田二郎さんまでもが鬼籍に入っちっゃた)。ついでに言うと、地底帝国ヨミ編で009を心中完結させているファンの神経を逆なでしそうな第1話という感じです。

しかしまあ、「8マン」って書くと、なんだそれは?と読み違えたらかっこ悪いネーミングなんですが、「エイトマン」と表音すると、それなりにかっこよく聞こえるのは、もう僕なんか刷り込まれた世代だからでしょうかね。

009は009で、この前はデビルマンと共演させられるし、それ以前にもスカルマンと対峙させられるし、完結しきれていない分好き放題いじられています。今回、一見8マンと絡むようでいて、プロットの後ろの方に幻魔大戦の最終ステージが待ち受けているような気がしてならない。

・・・まさかなー、途中で平井陣営から「犬神明」が出てきちゃったらどうしよ。そんな大盤振る舞いはないでしょうけど、そんなことになったら、つり合いを取るために石ノ森陣営でも誰か出さなきゃならんよね。

ナッツの日だそうですが

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曰く、「夏に」ってことで

 

あと、こんなのも

美しい機体

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DX超合金からVF‐1Sのロイ・フォッカースペシャルがリリースされるということで。またまた先の劇場版一条機塗り替え版なんて、と思ったら今回はテレビ版になぞって細部のデザインをちょこちょこと変更するなどの良心はあるようです。と言いながら、挿絵がなぜVF‐4Gなのかって? 僕の中ではバルキリーを超越して美しい機体だから、こっちがあればもういいのだよという負け惜しみです。だからさ、DX超合金レベルで出てきてほしいのです。

VF‐4Gも可変戦闘機ですがバルキリーではない。ライトニングⅢという機体名称があります。マスの集中としてバルキリーはどのモードでも完成されていて、非の打ち所がないのですが、だからこそライトニングⅢの三胴式機体構成が斬新なのです。しかもこの機体は漫画やゲームを除けば、アニメ動画としては「フラッシュバック2012」にしか実機が出てこない。ただ、ガウォークまではいいんだけれど、バトロイドモードはもうちょっと何とかならんのかと思います。

ところで「フラッシュバック2012」では、一条輝はこれに乗って移民船メガロード01とともに宇宙へ旅立っていくようにも見えますからたぶん大団円なんですけど、リン・ミンメイが喪服を着ているシーンもある。劇場版以前に出版されたマクロス本には、輝は新型機のテスト中に墜落し殉職という年表があったと記憶しています。その記述の新型機って、VF‐4というかYF‐4だったんでしょうね。

 

 

「ご唱和ください、我の名を!」・・・ええっ?

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先月下旬から放送の始まった「ウルトラマンZ」を、なにしろ「Z」ってそれはさー、と訝りながら観てみたのですが、「Z」ってだけどさー・・・と思わせない仕掛けやら展開やら密度やらスピード感で、結局あっけにとられてしまいました。すでにベータカプセルとスプーンを間違えるなどという、更迭覚悟のギャグコミカルは伝説の彼方。融合変身の際に「ご唱和ください、我の名を!」などと叫ぶウルトラマンは、おぢさん想像もできませんでしたよ。

久々に登場する、それなりに規模を持つ防衛組織「対怪獣特殊空挺機甲隊ストレイジ(STORAGE)は、地球防衛軍日本支部(GLOBAL ALLIED FORCES JAPAN)の対怪獣ロボット部隊。で、扱っているのがかつてのカプセル怪獣(セブンガーとウィンダムを所有しているらしい)となれば、どこかでМ78星雲との繋がりがあるのでしょうか。そこは無視? とはいえ、そうかセブンガーなんかを繰り出してくるところが、もうその世代が下手をするとお爺ちゃんになってしまったのか。

だからうっかりするとひい爺ちゃんとか呼ばれかねない(まだ孫もいませんけどね)初代ウルトラマン世代であり、「合体の術」を会得したレインボーマンを知っている年頃の僕には、マーチャンダイジングだとか玩具商戦だとかでいろいろと縛られてしまったウルトラマンは、ちょっと哀しい。ただ、ことしの「ウルトラマンの日」(本日)は54年めという繋ぎの年回りですが、「Z」ってひょっとして55年めまで引っ張るのかもなあと注視しております。

そういえばSAGA

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新型コロナウイルス問題のため、2020年F1は第一、二戦ともオーストリアで開催され、一戦目が「オーストリアGP」、二戦目を開催地の名前として「シュタイヤーマルクGP」と呼ぶようです(どっちもレッドブル・リンクのことですが)

ということは、本年度は・・・いつからやってないのかもう興味が無くて知らないんですが、ドイツにおいてF1が開催されない。

なんでかって、そりゃドイツじゃ第15回サイバーフォーミュラ選手権の第六戦が開催されるからです。そっちに集客力を持って行かれてしまう懸念もあり、オーストリアで二戦連続という対策を講じた・・・などと、「サイバーフォーミュラSAGA」が制作された頃、2020年がこんなことになるなんて誰も予見できなかったでしょうよ。でも、コロナの話をそっちのけするなら、ドイツとオーストリアのGP事情はそういうことになっていくのかもしれません。

ν-アスラーダ AKF-0が、スーパーアスラーダのフルモデルチェンジ版として登場するシーズンでもあり、このマシンが翌年までスペックアップを経ながら戦うこととなります。スーパーアスラーダ01自体が常識はずれなマシンでしたが、これに続くAKF-11の後モデルとして、もう常軌を逸した変形(形状記憶合金でうにょっと車体が変形する)をします。そのデビューが、オーストリアにF1を固定させたドイツGPからで、おそらく明日あたりが決勝となるはずです。ちなみに予選は7位で通過しています。

AKF-0はけっこう好成績を残す名車となっていくのですが、まだ見ぬ2021年、今度は延期された東京オリンピックとぶつかりながら、たぶん晩秋に最終戦の日本GPがプログラムされる予定で、奇しくもアニメ放送としての「30周年」にもなっていくそうです。そういう話から、このようなタイアップ企画が成立したのかどうかは、僕は知りませんです。

 

 

 

明日に微笑みあるだけ

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双方こんな大きさ

はかりしれない光を持つ者と、日輪の輝きを胸に秘める者。

ひとつ腑に落ちないのは、牛久の大仏さんは鎌倉の大仏さんが「銅造阿弥陀如来坐像」であることに対して、同じ阿弥陀なんだけれど「牛久阿弥陀大佛」で、如来が付いていないこと。大乗仏教もここに極まれり(なんせ青銅立像として世界一の高さですから)になっちゃったんで、遠慮しているのでしょうか。それはそれとして、仮に阿弥陀如来であるなら(仏像の姿かたちで分類もできるそうです)、サンスクリットの言葉ではअमिताभ, Amitābhaであり、はかりしれない光を持つ者となります。

一方、罰当たりなことしてしまいましたが無敵鋼人は、仏典の一つにある「法句経」の中の一説においては、仏教的な生きざまではないと説かれた行為のなかにある「大胆」の名を持つのですが、ご存じの方はご存じのように「ダイタンク」「ダイファイター」「ダイターン3」という形態変形を有する巨大な乗り物です。巨大な乗り物とはつまり、サンスクリットのmahā-yānaのことで、偶然にも大乗と和訳(漢訳)されていくのです。

大乗仏教は、悟りを開いて阿羅漢になろうとした者に教えを説く小乗仏教に対して、少数しか救われない利己主義という見地から大勢を救済する意図として生まれてきたそうで、そうだとすると僕の中では、仏陀の哲学とはまた乖離するんじゃないかとも思うのです。

その辺のことは今回はうっちゃりをかまして、「世のため人のため」と啖呵を切りダイターン3を動かす破嵐万丈の生きざまには大乗・マーハーヤナのロジックとダイターン3には共通項があるよねとこじつけるのです。

牛久の大仏さんは、実際には高さ100mですが、台座を加えるとダイターン3と同じ120mの姿でそびえております。

惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 下

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自分の正体が露呈しているかもしれないというウルトラマンは過去にもいたのですが、具体的に「ウルトラマンに変身しろ!」と言われてしまったのは、「ザ☆ウルトラマン」においてU40の戦士ジョーニアスと融合していたヒカリ超一郎でした。最終話の一つ手前で、科学警備隊内でそのような噂話が広がっていましたが、敵の本拠でこれを同僚に言われた時、ヒカリは別所の戦いに赴くジョーニアスと分離しており、秘密の保持以前に答えるに答えられない状況でした。

その分離の際、「この一番大事なときに」と訴えるヒカリに対して、ジョーニアスは「私を頼るな」と言い残します。その真意について、戦いが終息して二人が再開した折、ジョーニアスは「私たちのことをなぜ最後まで隠さなければならなかったか、わかってくれただろうね?」という問いかけ、「誰もが自分の力を信じて戦うべきだから。誰にも頼ってはならないから」と、ヒカリは答えます。ちょっと遠回しですが、歴代ウルトラの「自らの手で守る」が踏襲されています。

もっと具体的に「君の方に事情があることも知ってしまった。ウルトラの星に戻らなければならんだろう? それに今度の戦いで君は傷ついている」「もう、80に変身しないでくれ」と、UGМのオオヤマキャップに言われてしまうのが、ウルトラマン80(エイティ)こと矢的猛。だから変身しません。怪獣とは(回想シーンを除き)UGМが対決し、勝利する。猛は宇宙へ帰るラストにおいて変身という、ウルトラのメッセージを受け手として表現するに至りました。

ウルトラマン80は、中学校の先生がウルトラマンという部分が今なお語り草なのですが、ウルトラ族と地球人との邂逅と別離については、非常に前衛的にまとめられているのです。

しかしやっぱり、矢的先生としての80は教え子たちに何も告げずに去ってしまった悔恨を残したようで、ウルトラマンメビウスにおいて後日譚が描かれました。しかしこれは後日譚であって、最終話ではありません。

「ウルトラマンが現れたとき、誰もヒカリを見ていない」などと、長きにわたってドラマでほとんどスルーされていた疑問を逆手に取った「ザ☆ウルトラマン」でしたが、物語の流れとしては大した問題にならず、はたまた敵の親玉もU40最強の戦士だから正体を知りたい程度の欲求で、むしろ初代とハヤタの別れと対照的に、互いの信頼感を残して別離しながら、ウルトラの力に頼らない生き方をアピールしていったのがジョーニアスとヒカリの関係でした。

回想シーンを別にしてドラマ上最後の戦いにウルトラマンを登場させずに、80を乗り切った番組の英断は、歴代で最もウルトラのメッセージを具現化したものになりました。矢的猛は婚約者のウルトラウーマン(ユリアン)と地球の最後の余暇を満喫し、最後の最後で変身してウルトラの星へ帰っていくのですが、まあ、余暇を満喫している時間内に教え子のところに顔を出さなかったことは、あとになって「しまった!」と思ったことでしょう。

しかしそれ以上に、教育者というフォーマットを無理やり詰め込んだことが、放送局との絶縁に始まる円谷プロダクション破綻への道を歩み始めた歴史が哀しい。けれどもこの項はそこまで突っ込むものではないので、放漫経営と言えどもスポンサーに頓着せず、物語を紡ごうとしていったスタッフを称賛したいところです。

 

惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 中

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正体を知られたら地球を去らねばならない。えっ、聞いてませんよそんな掟! というウルトラマンAこと北斗星司に課せられた運命は、実に過酷な結末でした。北斗は異次元人ヤプールの罠にかかり、信頼感を奪い取られた少年たちに「やさしさを失わないでくれ」と願うがために、正体を明かさざるを得ませんでした。これは北斗=Aが守ってきた対象にいとも簡単に「信じないぞ」と手のひらを返され、自らの無力さを突き付けられたとも受け止められるのです(尺の関係で後述)

一方、初代以来久々に「ウルトラマンと決別」した東光太郎は、ウルトラマンタロウがいてくれれば、と他力本願となり自立の道を閉ざしていた少年に、「俺はもうウルトラのバッジには頼らない」と断言してその力を放棄し、地球人として異星人を退けました。自分の道は自身で歩んでいくというメッセージは、初代において科学特捜隊が悟ったそれと同一のものでした。光太郎は雑踏の中、何処かへ旅立っていくのですが、歴代で最も能動的、希望に満ちた「じゃあね」でした。

「 地球の為にお前は戦い勝たなければならない。だが、お前自身が宇宙人という事を人間達に知らせてしまう事になる。 お前自身が本当に試される時が来たのだ」

おゝとりゲンの夢枕に立つウルトラセブンの言うことがまた唐突なんですが、ゲンがどうしたかというと、自分のことより同居していた少年・透の将来を案じて「自分の力で立つんだ」と諭します。セブンにしごかれてきたウルトラマンレオには、他者を思いやる心が宿っていました。

結果、ゲンは周囲の人々から信頼され、地球を第二の故郷として生きる道を得るのですが、やさしさが他者の危機を見過ごせない。怪獣化しかかった少年を助けるためにレオの力を使わざるを得ず、ここでまた「正体を知られたら去らなくてはならない」妙な掟を肩代わりすることになります。この掟は本来、おとめ座から来た魔法使い卒業試験中の「コメットさん」にふりかかっていた問題で、しかもコメットさん、タロウを頼りにしたのに、ゲンが少年を救うのでした。

「やさしさを失わないでくれ」「たとえその気持ちが何百回裏切られようとも」というウルトラマンAの最後の言葉(途中省略)は、Aの力を与えられた北斗にとっても、TAC入隊直後の隊内での仕打ちや、偽物の郷秀樹と対峙した時の坂田次郎との葛藤など、身をもって経験してきた辛さの表れのような気がします。それらを当初は南夕子が支えていましたが、夕子にもまた彼女の事情があり別れ別れにならなければならなかった。大いなるAの力をもってしても、運命は変えることができない。それでも北斗は地球の子供たちに「心」を託したかったのだと思われます。

ウルトラマンタロウというドラマは、ウルトラの名を借りたお伽噺でした。だからこそいろいろと破天荒な展開は許されるのですが、どんなお伽噺にも結末があり、本を閉じたときその世界は終わるものです。いつまでもウルトラの力に依存しては、未来の自分自身の世界を切り拓けない。東光太郎はそのことを少年に伝えたかったのでしょう。ウルトラマンと決別し、自ら異星人を撃退するという行動は初代から80までの歴代でただ一人の主人公です。

ウルトラマンレオは、いわゆるМ78星雲の種族とは異なり、獅子座の母星を滅ぼされ地球に逃げ延びていた亡命者です。その頃地球はウルトラセブンが防衛派遣されていたので、割り切ってしまえばセブンの戦いに加担する義理はなかった。彼はむしろ第二の故郷としてすがりたかった地球のためにセブンの意志を受け止め、いろいろひどい目に遭うのです。艱難辛苦を乗り越えて、ようやくその思いを成し遂げられたというのに、まさか別の番組でやさしさと引き換えに地球を去ることになろうとは。しかもですよ、コメットさん(大場久美子版)の初恋の相手はウルトラマンタロウだという・・・