Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

錆も腐食も無い

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男爵昨日の記事で使いきれなかった挿絵を使いたくて仕方がないのが見え見えですが、レッドバロンは動力源が原子力という部分を除けば、当時としてはジャイアントロボを凌ぎ、光子力エンジンのマジンガーZに動力とコンパクトさを譲った、超一級のスーパーロボットです。ジャイアントロボよりどう優れているかというと、身長が10m高いにもかかわらず、初期のボディーはロボより400tも軽いことです。ただし音声認識で遠隔操作できる点は、ロボが先んじています。

男爵2ロボもバロンも音声認識により最初に入力された声の主にしか反応しないセキュリティーがあり、当時は画期的なシステムでした。さらにバロンは指紋認証を操縦桿に施し、二重に強奪対策を用意していました(声紋と指紋をコピーされるとお手上げ。しかしそれ自体、現代の認証システムが持つリスクアピールを70年代にやっていた)。耐衝撃対策はたいしたことのない操縦室において、100円(当時)で一定時間稼働する冷房装置を備えていたのが特記事項。

SSIこれは、どこの操縦型ロボットにもない(一例だけパロディーあり)独創的な装備です。が、どう考えても後付けじゃないかこれ? と思わされもします。レッドバロンの開発工程は明らかにされていませんが、紅健一郎博士の個人計画で、完成に4年をかけている。資金繰りを考えると、くだんのレンタルエアコン販売会社などは紅博士のスポンサーのひとつであった可能性が高く、音に聞こえたスーパーロボットにも採用されているという映像CMが流れていたのは有名な逸話です。

バロンと共に戦うSSIという組織も、後半には地球防衛軍の傘下に組み込まれますが、それ以前は極めて私的な構成で稼働していた節があり、機動力と言えばオペル・マンタの改造仕様とスズキジムニーとオートバイ程度。紅博士がバックについていたかもしれませんが、バロンの開発費に私費を投じ、完成したらしたで維持費に翻弄されるのは避けられない展開。SSIには苦労をかけっ放しだったようですが、おかげでバロンは部分破壊されることがあっても錆びついたり腐食したりすることもありませんでした。

7月7日に生まれて

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北斗と南勇気ある看護師、無鉄砲なパン屋の店員。2人はともに7月7日を誕生日とするも、あるとき異次元人の侵略に遭遇しなければ、大いなる力を授けられるどころか出逢いすらなかった不思議な宿縁を秘めていました。北斗星司と南夕子。ひととき、2人にウルトラマンエースの力が授けられましたが、実は南夕子は怪獣ルナチクスに滅ぼされ(かけて)いた月星人。地球に出現したルナチクスを撃退した後、彼女は月から逃げ延びた仲間の居る冥王星に去っていくという驚きの展開でした。

北斗と南2ウルトラ世界観を研究したり評論する人々の中には、「南夕子こそ、ウルトラ兄弟がエースの力を与え、ルナチクスへの復讐を手助けしようとした人物」という説を唱える人がいます。北斗星司は、たまたま居合わせちゃって、超獣にタンクローリーで突っ込んじゃったんで、見るに見かねたウルトラ兄弟の救済枠に組み入れてもらえ、夕子の闘いに力を添えるためエースの相方に選ばれた。という一説は、2人の資質や立ち位置を思い出すと、はー、なるほどと思わせる面白さがあります。

南夕子むろんその説は、夕子が月からの亡命者で、使命を果して地球を去った。という展開を見てから成立するもので、夕子が物語から去るというシナリオは番組企画当初には存在しない設定ですから、2人が出逢った瞬間は、夕子は間違いなく福山市の病院に勤める7月7日生まれの看護師だったのです。とはいえ、様々な事情でこのようなドラマの切り替えを余儀なくされたことで、七夕の日が誕生日という2人には、ウルトラスケールの織姫と彦星にも似た間柄が生まれるのでした。

ウルトラリング残念なことに夕子が地球を去るのは秋の満月。後のウルトラマンタロウに当人が客演するのも年末の餅つき。誕生日が同じ2人の設定は、この苦肉の策が無ければ活かされなかったと思われます。それにしても、ヘルメットを被る星光子さんは初々しさの中にもフジ隊員、アンヌ隊員、丘隊員よりも職業隊員な凛々しさがあります。彼女の娘である紫子さんが星司と夕子の娘「北斗七海」として登場した「大決戦!超ウルトラ8兄弟」では、往時の光子さんによく似ていて見とれたものです。

 

海   峡

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海峡土木工事を題材にした映画といえば、多くの人々が昭和四十年代の「黒部の太陽」をあげてきますが、この黒部ダム大町トンネル工事に従事したり関係した人たちも大分、現役を退きました。この映画で土木の技術者を目指したという人たちもまた、同様です。そんな憧れのエピソードをよく聞かされたものですが、最近はこの手の映画がないので、若手と対話してもまず出てきません。

ガッツポーズをしている高倉健さんは、黒部の太陽とは無関係です。これは昭和57年公開の「海峡」。青函トンネルの先進導坑が貫通した瞬間のシーン。これを観て土木屋になろうと思った、という技術者さんとは、まだ出会っていません。職業選択のあり方がそれだけ変わったということでしょうか。僕は公開当時劇場で観たものの、土木屋になろうとは思わなかったんだけど。

「海峡」も、そういえば地上波放送された記憶がなくて放送履歴を覚えていないのですが、健さんが亡くなってWOWOWが企画ものとして組んだシリーズの中でも、ずいぶん後回しで放送に乗りました。レンタルビデオで観てからもう30年近くになります。

来年は北海道新幹線が開業するので、地上波でも流してほしい映画ではあります。いや黒部ほどの派手さはないんだけれど、大谷直子と吉永小百合の美貌ぶりだけでも一見に値するのよ(そこか⁉)

恐怖、報道さる

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うしとら本日から、始まるところでは放送が始まるんだそうですが・・・

またしても宮城県じゃ(作戦室にBS入れてないから)見られねーじゃんっ

海街の四姉妹

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今回ばかりは映画は映画、と割り切って鑑賞するしかないだろうと思いましたが、割り切ったら割り切ったで、必要以上に物語を重くしてしまうのはどうかなと感じるわけです。

脚本が原作を改編しているのではなく、キャスティングが合わないわけでも(一部そうでもないけど)ない。何が違うのかといったら、漫画は作画の特徴として線が細くページ全体も白い。カラーページはトーンを合わせて淡く明るいのです。

失礼ながら、吉田秋生さんのその画風にも、老いが見て取れるのですが、映画の画面は意図してのことか露出が抑え気味で、際立った艶やかさとしては、鎌倉の四季が描かれていなかった。そこがちょっぴりもったいなかった。桜のトンネルはアオリで撮るには雲のせいか空の青さが全く出なくて桜自体が跳んでしまった。極楽寺の境内なんて、滅多なことでは撮影できないところだというし、ロケ努力はかなりなされているようなのですが(しかし桜は鎌倉じゃない)。

ついでに大いにもったいないのは、やはり2時間程度の尺では描ききれない登場人物たちのこと。4姉妹の脇を固める様々な人々は、何人かが削られてしまいました。このドラマは、そういった脇の人々だけをスピンオフさせても何本か作れるくらいの魅力があるのですか。

そして、海街diaryの大いなる脇役と言えば「アライさん」なんですが・・・ これについてはあろうことか、「ダヴィンチ」の誌上特集で、公開前にバラしちゃってるのが許せませんです。

それにしても公開からこっち、河鹿沢温泉(のロケ地)がどこにあるかの検索人気のすごいこと。それでうちのブログをヒットしいる人の多いこと。香田姉妹が東北新幹線か山形新幹線のどちらからあのローカル線に乗り換えたのかは不明ですが、鉄道も旅館もエンドロールにて紹介されてますがな。

言行不一致

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灰原二足歩行ロボットが嫌いなんだったら、いい加減に手を引きなさいよと。

27分付け足した映像でもって、98式AVの稼働時間が延びるとも思えない。

首都決戦 ディレクターズカット

乗り遅れた

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去年の夏の映画なんで、もうすっかり乗り遅れ感あふれちゃってますが、なにしろマグロ食ってばかりだったでっかいトカゲよりはましと言っても、あの人(獣)相風体のゴジラなんてろくでもないと思ってたので、ソフトにも手を出していませんでした。

で、WOWOWでかかるというので録画してもらって今頃初見したのです。そしたら、居るじゃありませんかグランドビターラ。

これは、マグロ食ってたでっかいトカゲ版のオマージュでしょうか? 記憶があやふやなんですが、あちらでも避難する市民群衆のシーンで渋滞の中に初代のサイドキックロングがいたような気がします。

本国版ではVSビオランテあたりだと三菱勢優勢でしたが、メカゴジラ以降ちらちらとエスクードが出ていることを、まさか作り手が意識していたとも思えませんが、このシーンをインサートする条件でアメリカのスズキから広告代でもせしめたのだろうか?

しかし相変わらず日本人とアメリカ人のゴジラへの認識が大きなギャップとして横たわります。核の脅威に関する展開は別のモンスターに押し付けちゃうし、過去の核実験はゴジラ殲滅のための攻撃を隠ぺいする方便とするし。という論壇は昨夏にあちこちで散々展開していたようなので今どき書いてもしょうがないか。

魔女の声域

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少佐“ジュラ”篇を知っているオヂサン世代なら「ほう、そう来ましたか」的な物語です。

と、和邇さんが「魔女の聖域」で述べてからもう5カ月以上。今頃なんだと言われても、ソフトを買えたのが5月27日なんだからしょーがないでしょ。の、宇宙戦艦ヤマト2199~星巡る方舟~は、和邇さんがもう一言「娯楽作品」と言われるように、なんだか「スタートレック」のようなお話でした。

「スタートレック」のような、というのは卑下しているわけではなくて、ヤマトっぽくないヤマトなテイストだと言いたいことと、地球滅亡のカウントダウンが続いているとはいえ、イスカンダルでコスモリバースを受領成功し、ガミラスとも和平友好関係を結べた(ここが2199の魅力のひとつ)後で、そんなことは知らぬとデスラーが最終攻撃を仕掛けてくる直前に物語が置かれているため、「明るいヤマトの雰囲気」が、良い意味で異質な世界を描いているのです。

しかしミッシングリンクを使いこなしながらも、風呂敷を広げたままのヤマトです。この補正補完方式で、次があるのはもう明白でしょう。それはそれで、前作を塗りつぶし塗り替えてくれるならまあいいかです。ただ、刷新していく中で、あのアニメ声な若手女性声優陣の声は何とかならんのかと。いや、もともとアニメなんだけどね。

汝 歪んだ夜よりきたる

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完全版「完全版」という出版企画を最初に思いついた編集者は、コロンブスの卵かりんごが落ちる瞬間を見ていたニュートンか、くらいのひらめきがあったのでしょう。しかも『うしおととら』は、文庫版もワイド版も出版されていますから、四匹めの鰌というか、満を持してのテレビ放送タイアップというか。

単行本があるから文庫もワイドも避けてきたのに、あー手に取っちゃったよ。

1、2巻はそれぞれ三章ずつが収録されていますが、この先どれだけ巻を重ねるんだ? 外伝を除いて短いのもあるけど五十五章くらいあるし。単行本で33巻あるから、けっこう長い付き合いになりそうです。1巻にはこの漫画の原型となった「魔槍記」というプロトタイプのネームノートが宿指されておまけになっています。こういのは一話だけ「カラーライズド版」とかそれを付録化した方の表紙デザインを変えるなどという姑息な商法より良心的です。

コミカライズ ネクサス

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ネクサスこんな漫画が児童誌で連載されていたとは知りませんでした。だって「ウルトラマンネクサス」ですよ。ゴールデンタイムにもかかわらず深夜31時台(いや、それが何時だか考えると翌日のオチャの時間なんだけどさ)の考え方で制作された、ものすごく重く苦しい世界観を演出した異色のウルトラマンですよ。でも、毎回毎回「うっとおしいぞ」と思わされるほど、ほんとに毎回メカニック名や登場人物のト書き紹介が出てきて、なるほど青年誌じゃなかったのねと確認させられます。

作画した椎名高志さんをして「これを描くにあたって子供向けのアレンジはしなかった」旨のコメントを寄せています。かなりのダイジェストと無理やりなコマ割りもありますが、ネクサスが光を受け継ぎ希望をリレーするウルトラマンであることに、物語を集約させた点で、その世界観を保ちながら王道で正統派な漫画の出来栄えになっています。

椎名さん自身「話によっては50ページでやりたかった」(連載は1話11ページ)と悔やむほどの駆け足な一冊です。「全20巻コミカライズ」という妄想も発言しています。

それは・・・読みたいぞ椎名さん!