Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そこは禁じ手でしょう?

そこは禁じ手でしょう? はコメントを受け付けていません

さいてー二週遅れで書いたってしょうがないんですけど、島本和彦さんなんかの世代だったら、物語の結末に夢落ちを持ってくるのは第一級の最低品だと言われていたはずなんですよ。

なんだってできちゃって、いいように終わらせられるもん。

「アオイホノオ」はこれまで、基地で録画して周回遅れで観てきましたが、あれを夢落ちのように終わらせる必要はないんじゃないか。言っちゃあなんですが、原作よりもライブのテンポの良さが勝っていると思っていたんだけど、作り手のハードルがずいぶん下がっているってことなのか・・・

ep6夢落ち疑惑で言うと、nextgenerationパトレイバーの第四章もようやく観ることができまして、前章エピソード5から前後篇で描かれた熱海と大怪獣の話も、なんとなくゲスト出演の海洋学者の夢落ちか妄想の産物くさい怪しさが漂っています。しかし特撮部分以外を監督した押井守さんの狡猾さは、そのあたりをけむに巻いて受け手の判断に丸投げしちゃってます。

というより手の内が前篇の段階で丸わかりだったんだけれど、それすらも計算ずくでの「熱海で怪獣映画を撮りたい」野心にこの企画をまんまと利用した賢しさが透けて見えます。地元だけあってロケへの協力体制づくりはたいしたものです。

でもどう考えても前後篇もの長さでやる話なのか?と思います。この一遍だけプラス20分、でよかったんじゃないか。少なくとも前回のあらすじの無駄な長さを見せられると、前後篇分の撮影量には足りなかったんじゃないか? 助手の特技監督による怪獣シークエンスがCGではない特撮で良くできている分、ろくに動く場面のない戦車だのイングラムだのをどうにかしなさいよと言いたい。

 

昭和30年代の空想宇宙観

昭和30年代の空想宇宙観 はコメントを受け付けていません

jx-1一説によると3年ほどずれがあるとも言われていますがとりあえず1979年9月29日、宇宙省による土星探査計画の先端ミッションとして、富士山麓の発射基地より、外惑星航行ロケットJX-1・隼が打ち上げられました。

このロケットは39人もの乗組員を要し、小型探査機カプセル1号を搭載していますが、意外とスペックはわからないというか、覚えていません。が、これほど(たぶん)高性能のロケットなんですが、土星付近で黒色矮星の存在確認にミッションを変更したがために、その矮星、ゴラスの引力にとらえられ燃料を消耗しゴラスへ墜落してしまいます。

その後、隼のもたらした探査情報によってゴラスの質量や軌道が計算され、地球との衝突というカタストロフが現実のものとなっていくのが、1980年の国際社会が受けた騒乱でした。

「妖星ゴラス」が封切られたのは1962年のことで、この時代としては上記の導入部分から「地球に人工的な推力を与えて軌道をずらしてしまう」というクライマックスに至る展開とは、とんでもなくセンスオブワンダーな仕掛けでした。なにしろ、我が国に宇宙管轄の省があるばかりか、土星に有人探査を送り込める技術があって、しかもいざとなったらウルトラマンが・・・という片づけ方をしないだけでも、人類の科学技術に期待や夢が乗せられていたのです。

地球にエンジンをくっつけるという一見大ぼら吹きな(まあホラには違いないのですが)設定は、現実の70年代に入ってから、桜多吾作さんが描いた「マジンガーZ」の中で、マグマを熱源とした推力を使って地球の自転速度を変え天変地異を起こして侵略するという、ブラッシュアップされたアイデアにも活かされます。

80年代になると、ゴラスどころかもっとすさまじいマイクロブラックホールが太陽との衝突コースに・・・というSFも誕生してくるのですが、哀しいかないずれもキワモノだとかとんでも作品的な扱いにされることの方が多く、宇宙を舞台にするとどこかで一線を引かれてしまうことと、役者さんにさせる演技側の問題が、パニックやスペクタクルのすごさをスポイルさせてしまうのかもしれません。この手のジャンルで受け入れられたのは日本列島が沈没するやつくらいじゃないでしょうか。

でも洋画の世界はそういうのを大真面目で面白おかしく作ってくる。そこが悔しい・・・

ぷりぷりのきりりんこ!

ぷりぷりのきりりんこ! はコメントを受け付けていません

ブースカ一時期、円谷プロダクションのスポットCMに登場していた時には大事にされてるなあと思ったんだけれど、「20日間の調査」と宇宙へ行かされた67年の最終回と直接つながるのはこの漫画が最初か、ひょっとすると2度目?

20日間という時間は地球では20年経過してしまう物語は、帰ってくるはずの1987年に何もやってもらえなくて、20世紀の終わりによくわかんない二代目っぽいのが作られて、そのあともいたりいなかったりしていたような扱いだった怪獣ブースカが、いまさら元祖ゆるキャラだとか持ち上げられてこのありさまかよと、買って読んですぐくずかごに向けて放り投げた久しぶりの一冊となりましたよ。

ライフゲージ 時々赤点滅

ライフゲージ 時々赤点滅 はコメントを受け付けていません

tigaどのウルトラマンから「カラータイマー」と呼ばずに「ライフゲージ」(それ以外の呼称もある)と言うようになったかは忘れましたが、ウルトラマンティガのそれは、ライフゲージと呼んでいたような気がします。相変わらず昼だろうが夜中だろうが、ここに来た旅の人々は判で押したように写真を撮っていきますが、この夜も小休止している間に4名。眼光がまぶしいほどに明るく照らし出すので、意外にも撮影しやすいようです。逆に離れたところから撮ると頭だけ輝いていてなんだこりゃな写り。コントラストを極限までいじってこんな感じになりました。

しかし、旅の彼らが去ったその後、変化は起きたのであります。

突如、ティガのライフゲージが青から赤に変わり、明滅を始めるではありませんか。おお、芸が仕込まれていたのか。点滅が早まっていくのか、いやこれって消えちゃうのか? ゲージが光を失ったらどうなるんだ???

と見入っていたら、なんてことはなく青点灯に戻るだけでした。

 

There are books of which the backs and covers are by far the best parts.

2 Comments »

yamato十九世紀のイギリスの小説家、チャールズ・ディケンズさんの言葉。

ハリウッドで作ろうとする宇宙戦艦ヤマトは、つまりそういうことなんじゃないかと・・・

「STAR BLAZERS」(仮題)の話題

ルパン帝国の陰謀

ルパン帝国の陰謀 はコメントを受け付けていません

指輪実はそこまで知らなかったことですが、9月13日というのは、あの世界最小の国連加盟国・カリオストロ公国の摂政、カリオストロ伯爵の婚礼の日であったとか。世界史には載っていないけれども、1968年の出来事だそうです。この日付の根拠は、伯爵が公爵家の跡取り娘を嫁にするため、バチカンから司教を呼んで盛大に式を云々という新聞記事の切り抜き(前日と思われる)によるものらしいです。

といっても、あの伯爵の半生を書いても面白くないので、それは割愛。へーそうなんだ、程度のものですし。

トリイうどん?1968年の物語として引き合いに出されるのが、ルパン一味が潜伏中に食するカップうどんと銭形突撃隊が用いるカップめんで、どちらも世に出ていないという指摘が有名です。しかし日清食品はチキンラーメンの海外売り込みを66年に始めており、海外では紙コップに入れた麺にお湯を注いでフォークで試食が行われていました。61年には叉焼麺なる試供品もあったそうです。ルパン三世がこれに目をつけなかったはずはなく、彼の背後シンジケートがカップめん製法を盗み出し、ある種のレーションとして実用化したかもしれません。一見、別メーカーのきつねうどんのように見えるパッケージも、よく見ると鳥居マークです。

カップ麺?ところが、ルパン一味だけならそれでもいいのですが、銭形警部までが待機中にカップめんを立ち食いしている。これが面妖です(うわつまんねー駄洒落)

ここに、ルパン三世の背後にあるシンジケート、ルパン帝国の影がちらついています。全員とは言わぬまでも、銭形突撃隊の隊員の中に、帝国の一員が紛れ込んでいたのではないかと考えられるのです。この非常食は、一員にルパンが試作段階の帝国謹製めんを持たせ潜り込ませた。カリオストロまで銭形を呼び寄せた行為に対して、ルパンなりに銭形に気をつかったのではないかと思ったのですが、そう甘くはない。

ブルもう4年も前に、暫定復旧試験中という記事で、銭形はルパンをカリオストロ公国外へ逃亡幇助したのではないかと書いたことがあります。映像的にはそう見えなくもない(そうなのか?) けれども、このシーンには有名な指摘事項があり、銭形のパトカーが左ハンドルなのです。もちろん、挙式当日に城へ赴くまでは、ちゃんと右ハンドルの410ブルーバードです。ラストにおけるこれはひょっとして、帝国の一員が用意していた偽物で、銭形警部はつい、それに乗ってしまった。とすると、このパトカーの運転手と同乗の突撃隊員は、極めて怪しい。

 

410彼らこそがルパンを追跡するふりをしながら、脱出の手引きをした張本人・・・ではないと、言いきる理由が見当たりません。まさか突撃隊の全員が、最後の突入時に入れ替わっていたなんてことにはならないと、そこは銭形警部の権威にかけて「そこまではないですよね」と思っております。

事の真相はどうだっていいんです。本当は怖い話のとなりのなんとかみたいな都市伝説を語るよりも、こういうお馬鹿な邪推の方がなんぼか建設的だと思うので。

 

 

わざとですか? わざとだよね?

2 Comments »

トライドロンもはや何をやっても「仮面ライダー」の冠を付加することには意味がないのではないかというほど、バリエーションの垣根は無くなっちゃいました。が、わざわざ禁じ手を売りにしてくるところが厚顔無恥です。

仮面ライダードライブ

まず大方の人々が「そんなら仮面ドライバーでいいじゃねーか」と突っ込みを入れるのもねらいでしょう。なにしろ新機軸ヒーローの商品化に関しては、スポンサー様が許可を出さないのですから、はめられた枷の中で羽目を外すしかないのです。

で、この新しいライダーが乗り込むスーパーマシンは、稀代のスポーツカーも年月を経たらこうされちゃうのかという哀れな姿ですが、高速モードと四駆モードなどに変形するらしい。いやいや、四駆というかSUVの世界でさえスペアタイヤを廃止する時代に、わざわざ不整地用変形時のための代替タイヤを二つも背負っているという念の入れようです。あっ、ということは六輪駆動というケースも考えられるのか?

仮面ライダーに真紅のマシンが無かったわけではありませんが、スポーツカーをベースとするスーパーマシンは紅くなっちゃうところも脳軟化思考の気がします。いいかげん、ヒーローと正義と熱い血潮の赤というステレオタイプなコードは、戦隊だけに封じ込めておくべきじゃないかと思うのは、こういうカラーリングを連綿と幼児に植え付けることが、スポンサー様に逆らえない世代を今後も生み出していく刷り込みなのではないかと危惧するからです。

だからといって、「赤と言ったらイタリアのあそこの車のパーソナルカラーで、このスーパーマシンのベースになっているメーカーのナショナルカラーは白なんだよ」などとまで古臭いことを言うつもりはありませんけどね。

ライドロン紅くて自動車でライダーが乗る。このマシンの名称は「トライドロン」。おいおいおいっ、それってわざと? 仮面ライダーの世界観をがらりと変えるとか、制作サイドは言っていますが、この記号性にとどめを刺すかのようなその名前は、仮面ライダーBLACK-RXと「全く関係ありません」と言いきれるんでしょうか? というより、商品展開でRXへ拡張する伏線なんじゃないですか? なんかもう、「伝説のマシン ライドロン」なんて話が出てくるのが見え見えなんですが。それどころか、これは劇場版の方でライジンゴーとズバッカーとジョーカーとマシンドルフィンと・・・まさかのマッハロッドも共演という策略さえ描いちゃいますけど!

いやまて、毎度のようにエスカレートしているライダー大戦モノなんだから、この際東映メタルヒーローに登場したありとあらゆる四輪スーパービークル総登場をぜひ! それ全部商品化したら、玩具マニアが泣いて喜ぶこと請け合いで、それやっちっゃたらスポンサー様を褒め称えますよ。と、予算上できるものならやってみろ発言。

 

もじゃ頭から角刈りへ

もじゃ頭から角刈りへ はコメントを受け付けていません

ルパンおお、似てるじゃんっ・・・ロングショットの逆光の勝利! それだけにアップショットはもう三人とも勘弁してください、な・・・

それにしても「宇宙兄弟」のもじゃ頭から角刈りへ華麗なる転身の小栗さん(間に何役かあるけれど)、口調はあまり真似ない方が良いような・・・という予告映像。ただこの人の薄笑いは使いようによってはそれっぽいルパン像を描けるのではないかとも思えます。

100年前の立志

100年前の立志 はコメントを受け付けていません

円谷監督と書き出して、まだ今は98年めじゃん。などと自分で突っ込みを入れている1916年。「ごちそうさん」だとか「花子とアン」なんかが破天荒な展開を見せていた大正のはじめの頃のことです。現在の福島県須賀川市に生まれた15歳の少年が、東京・羽田の日本飛行学校に入校しました。

円谷英一。後の円谷英二さんです。

ここを物語の出発点として、ときどき回想で須賀川の幼年期も交えながら操縦士を目指して挫折し、映画の世界にパイロットの夢を託して飛び込み、波乱万丈の戦中戦後を経て1954年のゴジラ誕生に至る。

というようなプロットで脚本を起こして撮影に入って、2016年のNHKの朝の連続テレビ小説にてドラマ化するようなことを、どなたかその道の業界の方はやってくれないものでしょうか。特撮還暦時代によその国のゴジラなんぞの宣伝材料にとられている場合ではないと思うのです。

朝ドラがだいたい150話くらいだから、述べ37時間くらいの壮大な立志伝になるはずで、それが同時に特撮世界の記録ドラマにもなる。いやほんとは時代劇ばっかりの大河ドラマで、初の快挙に持ち込んでもらってもいいんですが、そこは壁が厚そうなので。でも原作が必要だというなら、鈴木聡司さんの『小説 円谷英二 天に向かって翔たけ』や、漫画ですが市川森一さんの原作による『夢宙人(むちゅうじん)ゴジラを造った男 -円谷英二-』なんてのがあります。

この立志伝をどこで完結させるかが肝ですが、ウルトラマンを世に送り出すところまでかなと考えています。NHKでは以前、金城哲夫さんと上原正三さんを軸としたウルトラセブン時代のドラマを制作しており、円谷さんはバイプレイヤーの位置づけて登場しています(鈴木清順さんが演ずるとは思わなんだ)が、もうこの頃は円谷さんの言う「これからはテレビの時代だ」という世の中になっているので、ウルトラQとウルトラマンまでが限界と思われます。

いろいろ流れを読むに、キックオフするなら今じゃないかなあと・・・ まあ僕がそういうのを観たくてしょうがないという戯言なんですけどね。

続 特撮還暦時代

2 Comments »

レギオン円谷英二さんのゴジラから60年だから還暦などと揶揄した前項でしたが、その60年間ただ歳を経たわけではなく、何人もの特撮監督・特技監督が輩出されています。その第2世代の代表格にあたると、樋口真嗣さんを指して言えるかもしれません。「ガメラ 大怪獣空中決戦」に続く「ガメラ2 レギオン襲来」「ガメラ3 邪神覚醒」(本編監督は金子修介さん)で独特の視覚効果を仕上げ、伝統的ながら新しい感覚の画を作り上げています。そのひとつが、オープンセットでヒトの視点で巨大生物を「見ている」アングルの効果などがありますが、印象的なのはゴジラでも平成ガメラでも夜間戦闘はあるものの、ガメラ側の昼間の空を見上げるシーンです。

樋口さんはゴジラが復活した84年に「八岐之大蛇の逆襲」という特撮の撮影でこの手法を取り入れており、オープンセットとミニチェアを駆使した特撮技術を受け継いでいます。平成のガメラシリーズは、その自主制作映像から約10年を経て世に送り出された商業ベースの怪獣ジャンルとなります。

衛星放送では本日、もう邪神覚醒が放送されちゃうのですが、ようやく録画したレギオン襲来を回収してきて10何年ぶりで観ることができ、絵空事とはいえ仙台市が爆発消滅してしまう場面を仙台で観てしまう不謹慎なんだか臨場感なんだかよくわからない感慨に浸るのでした。うーむ、仙台駅前まで出かけて、爆発に巻き込まれて消し炭になったガメラを見上げてしまいそうです。きっと邪神覚醒を観て、決戦地になった京都駅に行きたくなる以上のインパクトでしょう。

平成ガメラシリーズのこの三部作は、昭和時代のそれと比べて異なるガメラ像を作り上げ、当時として「今風のSFタッチ」な出来栄えとなりました。子供を救うという本能行動はそのまま踏襲されていますが、平成のガメラは解釈によっては、地球という生態系の存続を護る自意識を有していて、その活動の妨げになるなら街でもなんでもぶっ壊してしまいます。が、レギオン襲来は視覚効果で怖さを演出していても、おそらく子供が観てもさほど怖くない映像に見えるのは、空が明るいからなのかと感じます。最終決戦は深夜となっていますが、これとて決着がつくと夜明けがやってくる。今作から「前足をひれ状に変形して安定翼とする」新しい飛行形態で空に飛び去るガメラを、自衛隊員たちが敬礼で見送るというシーンも印象的です。

子供のころに観てきた昭和のガメラは、こうしたオープンセットは技術的に少なく、スタジオ撮影が主であったと思われ、夜間戦が多かった。ギャオスにせよバルゴンにせよ、初期の対戦相手は夜行性でもあり、けっこう怖かったのです。しかしガメラは、ゴジラに対して「子供のための怪獣映画」として産み落とされたもの。あの頃の大人は、子供を怖がらせたくて怪獣のリアリティを突き詰めたのかなと、怪獣よりも「怪獣のいる世界」にリアリティを持たせようとする平成シリーズを観ながら考えるのです。

樋口さんをはじめ、新しいゼネレーションの特撮監督は、僕とほぼ同じ頃にゴジラやガメラを見て育った世代だけに、似たような思い入れからガメラ像と世界観を画にしているのかもしれません。