実家から貰ってきた里芋が食べてもらえず朽ち果てそうだと言ったら、新月サンがローズポークを買ってきたので豚汁を作りました。
忘れてたけど、山芋や里芋でかぶれるんだっ!
(忘れるほど触ってないって話か・・・)
とりあえずヌメリとりまで済ませて痒みが納まるのを待ってから続きをすることに。
(痒くてやってらんないので)
無事に出来上がった後、新月サンがウマウマと食べてましたよ。そりゃーこれで拙いとか言われた日には暴れてくれるわ。
実家から貰ってきた里芋が食べてもらえず朽ち果てそうだと言ったら、新月サンがローズポークを買ってきたので豚汁を作りました。
忘れてたけど、山芋や里芋でかぶれるんだっ!
(忘れるほど触ってないって話か・・・)
とりあえずヌメリとりまで済ませて痒みが納まるのを待ってから続きをすることに。
(痒くてやってらんないので)
無事に出来上がった後、新月サンがウマウマと食べてましたよ。そりゃーこれで拙いとか言われた日には暴れてくれるわ。
先日のみかん狩りの折、背負って帰った大根2本。
無事に煮物になりました。
新月サンが「ローズポークー(茨城のブランド豚)と煮てっ!」と熱望してましたけど、言ってる本人が買いにいけず(新月サンの担当先のすぐ近くに〝道の駅〟があるのよ。ローズポーク売ってます)止む無くそこらで売ってる(失礼だよな、この言い草・・・)豚さんで我慢。
すんごく大根自体の味がいいだけに、豚さん完敗。
やっぱり私が走って買いに行くべきだったかー・・・
横須賀市から三浦市にさしかかる国道沿いに、その店があることは前から知っていましたが、なんせ混雑ポイント故に素通りするだけだったのが、BlueMoon。小ぢんまりとした田舎の(失礼)どうということのない(失礼って本気で言ったのかこら)喫茶レストランです。
が、その名前がずっと琴線に触れっぱなしで、いつかこのお店に行かねばよ。と思っていたら、和邇さんの守備範囲でしっかり連れて行かれ、ちゃっかりと目的達成です。
話に聞いていたのは、箸で食えるやわらかなスペアリブと、トッピングに凝ったパンケーキ。スペアリブは下地を作っておいてオーダーが入ったら仕上げの焼きを入れ、パンケーキはオーダーされてから焼くのだそうです。
食べ物屋さんとしては当たり前のことながら、多少時間がかかるのは仕方がない。ところが、和邇さんはいつの間にかランチメニューとしてスペアリブで予約を入れておりました。塩をまぶして橋を入れるとほんとにやわらかい。いやいや、ここまで下地で煮込まなくてもいいんじゃないかというほどやわらかい。でもぱさぱさなんかではない。あれかなあ、津久井浜の界隈も新旧混在した市街地構成だけれど、徐々に高齢社会が浸透していて、これくらいの料理が好まれるということなのかもしれない。
そのやわらかさは好みの分かれるところですが、こっそり単独で出かけたら追加で2本くらい焼いてもらっちゃうでしょう。
パンケーキについては、普段「ご飯とデザートは別腹」などとうそぶいている家内も霙もランチで満腹になってしまい(パンケーキをデザートとみなすかどうかはまた別の話)、まさかのリタイア。むむむ、ということはそのうちまたここへ来る口実ができたと解釈すべきか。しかし僕単独では両方は食えない。誰かを誘わないとパンケーキの実物を拝むことはできないのです。家族を連れて行けば話は早いけど、ここんとこ各自スケジュールが立て込み週末が皆多忙・・・
誰かいないもんかね(断っとくがヤローは連れて行かないぞ)
三浦型露地野菜経営で有名な神奈川県横須賀市の津久井浜。主力品のひとつであるみかんの歴史は江戸時代に遡り、鰯漁のために紀州から三浦半島に移住した人々が苗木を持ってきたのではないかと言われています。北浦あたりのみかん栽培方法が、紀州とよく似ているからだそうです。それをルーツと断定するかどうかはともかく、栽培の基盤が確立したのは明治時代です。
観光農園の基礎作りは昭和30年代にはじまり、神奈川県の営農団地整備事業として集団みかん園が誕生しました。以来苦労工夫の歳月を過ごし、糖度12、酸度1.2くらいの上質なみかんが供給されるようになっています。
宮川早生(みやかわわせ)や興津早生(おぎつわせ)といった津久井浜のみかんの品種は、しかし紀州ではなく温州みかんと呼ばれています。紀州みかんは中国から伝来し、紀州(和歌山県)で産業化されたのが15世紀以降。一方で温州みかんはその名が中国の地名ですが、どうも原産地は鹿児島県あたりで生まれたもののようです。紀州ものも元々は熊本に上陸したのが原種ですから、その中から挿し木や接ぎ木で改良され鹿児島で成立したのが温州ものの原点ではないかと思われます。
これが明治時代までもてはやされなかったのは、品種の特徴である種のない果実が、武家にとっては縁起が悪いとされ遠ざけられていたかららしく、維新のあとから食べやすさが重宝されるようになったということでしょう。そのわりには、日本のみかんの原型とも言うべき「橘」を家紋とする文化もあり、その意味するところは後述する「橘に与えた不老不死や永遠の象徴」というメッセージが込められています。
宮川早生については、成り立ちがもっとはっきりしています。大正初期、福岡県柳川市の宮川謙吉という人のもとにあった在来温州の一枝が変異したということです。この時点で国内原産地が二転三転しちゃってますが、三浦半島全体でみればシークゥワサーもデコポンも夏みかんも栽培されていますから、今となってはたいした問題ではありません。
日本におけるみかんの歴史は垂仁天皇の時代に現れ、常世の国から持ち帰られた不老不死の薬効を持つ非時香菓(ときじくのかくのみ)がそれです。この命を受けた田道間守(たぢまもり)が役目を果たし帰国した年にはすでに崩御していたという説話が日本書紀などに記されており、垂仁天皇自身は 「時を定めずいつでも黄金に輝き芳香を漂わせる木の実」を見ることはありませんでした。
もっとも垂仁さんは齢140とも150いくつともいわれている、ほんとかどうかは定かでない長命者。「トキジクノナントカ」を取ってこいと命令が出たのはいつごろの話だよ?ということになると、無理やり西暦を当てはめるしかなく、日本に入ってきたのが西暦60年代くらいかな、としか言えないのです。
それでも、田道間守が持ち帰ったことから「トキジクノ」の実や枝は「田道間花」と呼ばれるようになったらしく、このタジマバナという言葉が変化して「タチバナ」となり、どうやら今でいう橘(たちばな)がこの実のことであるようです。橘の記述はずーっと時代が進んだあと、魏志倭人伝において「倭の国には生薑とか橘とか山椒とか茗荷なんかがあることはあるけど、やつらは食用にはしていないね」という内容の記述として存在が立証されます。
なんと、食い物にはしていなかったと。記紀説話の如く薬用の扱いだったのでしょう。果実としてのみかんは最初の話に戻って、遣唐使による中国との交易が行われるまで時間が止まっていたということになるのです。おそらく橘の時代、今のような糖度の高いモノではなかったからかもしれません。
その橘も育成環境で変化し枳(からたち)に化するというようなことは、紀元前300年代の中国でも語られており、日本の、田道間守が持ち帰った時代の果実はきわめてすっぱかったことや高貴な扱いとして薬用に資するものだったと考えたくなります。柑橘類というのは体脂肪の分解・燃焼を促進してくれるし、その葉はそれこそ時を定めずいつでも濃緑色で生い茂りますから、薬効や不老不死へと古代人のイメージがだぶるのもうなづけます。
そんな柑橘類は何処から来たのかとさらに遡ると、中国以前はタイ、ミャンマーに進化の痕跡があり、もっと辿るとインドのアッサムあたりだそうです。学説的には、その原種発祥は3千万年前だというからもう手に負えません。飯盒炊爨キットをリュックサックに詰めて学芸大学前から電車に乗る(そういう歌詞の「三千万年」という歌がある)どころか、霊長類自体にヒト科がいません。ヒマラヤ山脈も造山運動中です(あっ、これは今もか)
これだけ種としての歴史を持っていれば、ヒトの世の中では間違いなく不老不死や永遠の象徴に掲げられても不思議はなさそうです。
あー・・・長すぎる。でも植物3千万年の資料が無いので息切れ。もぎたてビタニャンCでも補給してまいります。
ミカン狩りの後少し採らせてもらったシークワーサー。晩酌のサワーに♪と思っていたら、後で枝ごと頂きました。わーい、何に使おうかなー♪マーマレードにでもしようかと思うのだけど、とりあえず今流行の塩レモン仕込んでみました。
ところで、和名が「ヒラミレモン」って言うのは何かで知ってたんですが漢字で「平実」とは思わなかったわ。平たい実のレモン・・・なるほどねぇ。
天気が悪かった先週末。
「出かけないからカレーを作る!」と、新月サンに買い物に連れていかれました。
いつもは豚バラのブロックを使うんですけど、今回は牛肉で。炒めた玉ねぎとほどほど煮込んだ人参・じゃが芋が柔らかくなった頃にブレンダー登場。煮溶けるまでの時間が大幅に短縮されるとホクホクしてますよ。
お肉は取り出して避けておいたけど、何回も温め返しているうちにボロボロと崩れてコンビーフみたいになっちゃいましたわ。牛肉の方が繊維がしっかりしてるのかな?豚肉だと跡形も無くなるんだけど。
美味しいお酒を飲ませろーと、久しぶりにワインバーへ。
お料理とワインでお腹は満足だけど、懐が寒いぃ(爆)
ま、たまにはよいかな。
たまには・・・ね。
僕自身は、仙台市内でとんかつでもメンチカツでもロコモコでも出てくる蕎麦屋を知っているので驚くには至らないんですが、初めて案内された人は
「なんでー?」
と目を丸くするので、林道ツーリングのあとに誘導したのが、山形県庁近くの「綾波」。ご主人が海上自衛隊出身なのです。どこかのアニメーションのヒロインの少女とは因果関係ありません。86年まで運用されていた護衛艦(晩年は特務艦)の艦名で、ご主人の乗艦だったのだそうです。
元祖、と掲げているのは山形県特産品の紅花を蕎麦打ちに盛り込んだ、紅花蕎麦を出していること。更科とはちょっと違うつるつるの食感を持つ鮮やかなピンクの蕎麦です。これは10割が苦手な僕にとってはありがたい趣向。平日の昼どきに行くと、サービスに天ぷらをつけてくれるばかりか、頼んだものが天ざるだったりすると天ぷら以外の一品を出してくれる嬉しいお店なのです。
にもかかわらず、紅花蕎麦、という言葉で連れて行き、煮込みハンバーグも食えるぞ、と薦めてしまう極めて不謹慎な客が、僕です。
結果、パジェケンさんもコムロさんもハンバーグ定食セットをチョイスするというお約束で粋なリアクションを示してくれるのでした。
サービスの一品は、海老天とハス天でした。
新月サンが背負って帰ってきた賞品。
〝カレーセット〟と〝シチューセット〟etc.
常陸牛のハンバーグ、結構美味しかった♪
ところで、ルーが一箱に対して法外な量のジャガイモと玉ねぎの割には、どうして人参が各々一本なんだろう・・・?
カレーは新月サンに任せるとして、とりあえずシチュー作るかな。
私は鶏肉ですが、クリームシチューは何肉使います?