Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

プロジェクト・ブルー

4 Comments »

目下、一家離散中の我が家で最も多忙なのが霙です。合宿免許取得教習に放り込み、毎日びっしりと講習を受け、検定をクリアし、路上教習の人となっております。

「姉ちゃんがストレートに卒検も本検も受かっちゃってるからなあ。あれけっこうプレッシャーなんですよー」

m2016aというわけで、そのうちぷらすBLUEの専任ドライバーが誕生する予定です。親が言うのもなんですが、ステアリングの遊びだとかペダルの踏み込み加減の癖だとか、霰のときには意見として表現できなかったクロカン四駆の特徴を、乗った瞬間言葉で指摘してきます。でもあれかなー、やっぱり何か専用にあてがった方が、ぷらすBLUEの延命にはいいですかねー(もうすっかり計画だおれ)

 

Team WESTWIN Warriors#097

2 Comments »

唐突ですがここ2日のエスクードなお話に乗っかって、さらに10年進めた2008年の4×4マガジン。すべての、とは言えませんがエスクードファンにとっては記念すべき号でしたがその件ではありません。

先週開かれたTDAの写真が送られてこないので苦肉の策です。結果については・・・

 

後藤誠司クン、其処へナオレ!

 

と手を振り上げたくなる二の舞の結果で、前回フォレスターに打ち負かされたときと同じようなミスをやらかし、心理戦に臨んだとみられる川添哲郎選手の罠にはまってエスクードを壊しやがりました。優勝の川添選手は当日結婚記念日。優勝杯を受け取り足早に、颯爽と引き揚げて行ったそうです。

 

「どうしてですかねー。彼と当ると冷静でいられなくなっちゃって」

だからー、それが術中に陥ってるんだってばー。どうもスタート時に川添選手がストットルの空ぶかしを意図して行い、それでコンセントレーションが一気に崩れたようです。TDA開闢以来の大雨という、クロカンベースの車両に有利で、なおのことドリフトの後藤選手を祝福するようなレースコンディションが文字通り水泡に帰しました。まあ一番悔しい思いをしているのが他ならぬ後藤選手でしょうから、この話はここまでとして、再び当時の4×4誌。これは熊本で行われた初心者向けトライアル大会の記事です。中段4枚組の小さな写真左下のパジェロミニ、誰あろう後藤選手の初トライアルシーンです。

この頃後藤、川添両名とも、クロカンというよりもダートトライアルで頭角を現し始めていましたから、このシーンの話題はオープンデフの車で果敢にコースを攻める彼らのテクニックと心意気と言えるでしょう。

それにしてもNLクラスのリザルトにウエストウインが燦然と輝いている。島雄司監督は前年から現役を退いていますが、チームの層の厚さを感じさせます。

よくよく見ると、NSクラスの結果では川添選手が12位で後藤選手が18位と、なんともほほえましい記録が残っているのですが。

おまけ の、その後。

2 Comments »
分解。

分解。

でんが中に入り、それをいちが襲い、走ってきては
飛び込んで。
蹴って齧って分解・・・崩壊いたしました。

ここまで遊び倒されたら、おもちゃも本望だろうか?

最終的にはバラバラになったパーツを食いちぎって
遊んでましたよ。

ESCUDOに乗ってしまったあと

ESCUDOに乗ってしまったあと はコメントを受け付けていません

88年からさらに10年・・・経ってしまうとエスクードが2代目になってしまって僕はそれに乗っていないので、2年ほど巻き戻して1996年。雑誌は四駆専門ではありませんが、モーターファンが別冊で出したSUV特集誌。各メーカーのクロカン四駆も特別仕様だけでなく車体色までスタイリッシュに群雄割拠しています。バブル経済はとうに崩壊していますが、だからと言って市場の歯車をすぐには止められなかったこともなんとなく解かります。

齢8年めともなると、初代エスクードにもさほど新鮮味はなくなっており、マイナーチェンジしたばかりの2型のV6モデルがカラーページで紹介されることもなく、6型のテンロクノマドと比較しつつのモノクロページでの掲載(双方4AT)。ライターさんはエスクードの本質として軽量とコンパクトさに扱いやすさを見出しており、フロントヘビーなV6よりもテンロクモデルに好意的な書き方をしています。

TA11W-1が、モノコックボディを将来の示唆として言いたかったのか、自動車雑誌得意のシャーシの古さが車体の重さに関わると。その割には剛性感が低い車体で、ハンドリングもダルであると。この辺が四駆雑誌でない編集のまとめ方なので致し方ないのだけれど、6型ロングあたりで1220kgという車重が重いかモーターファン(笑) RAV‐4のロングが、2000ccながら10kg軽いのだそうです(あゝ・・・ショートでもV6の4ATは1250kgあるよ)

1996そして96年。7年乗った1型のテンロクから、1型のV6に乗り換えてまだ1年に満たなかった我が家は子育ても1年に届かない頃でした。いざとなったらの3型テンロクノマドも所有していましたが、このあともう1人増える子育てにショートのエスクードで不自由を感じることはなく(むしろチャイルドシートをノマドに載せ替えることの方がめんどくさかった)、夫婦そろってミニバンという選択肢は考えたこともなく、その後の流行には乗り遅れていきます。

乗ってしまった8年め。そのエスクードで地球と月の距離を走ろうなどとは思いもよらず、そういうあほな企画を立ち上げる以前に、今交流のあるエスクード仲間の大半とは知り合うきっかけもない(約1名、のせられてノマド買っちゃった女の子がいますが)時代。それでもぼちぼちモデルチェンジの噂らしきものは聞こえ始めていて、「去年買ったばかりのこれよりいいのが出てきちゃうのは辛いなあ」とは感じ出していました。

ちなみにこの年まだ、先代らすかるとなるTA11Wには愛称など付いておりません。それはこのあと2年後のお話となります。

 

だって猫だもの。

2 Comments »
はみ出てるはみ出てる

はみ出てるはみ出てる

どうしてそう小さい箱に入りたがる??

縦も横も箱ティッシュの長辺ほど。

如何にいちが小さくても(実際は、ちぃの方が小さい)
無理があろうって・・・

この後無理やり納まろうという努力が延々と・・・

箱の辺にアールがついてるのは気のせいじゃないよね。
定規置いてみたら一辺30cm弱でした。

箱が弾けそうだ・・・

箱が弾けそうだ・・・

ESCUDOなんて知らなかった頃

2 Comments »

1988年夏といえば、僕のクルマはジムニーJA71のパノラミックルーフでした。当時筑波研究学園都市にあった喫茶店に事務局が置かれていた日本ジムニークラブ筑波支部(既にありません)の面々からは、これですら「こんな豪勢なのジムニーじゃない」とからかわれたものでしたが、それはまあSJ30から乗り換えたら「気持ちは判らんでもないです」と自ら思っていた頃のこと。その喫茶店にも4×4マガジンがありました。

この号がスズキエスクードを取り上げたのは、速報記事に続く2度目。2度目は試乗による評価特集が定番の雑誌でした。あらためて当時を読み取ると、特集が組まれているのは280GE、シエラスポーツサイド、キャンパー仕様のパジェログリーンフィールドと以前だったらモデル回帰しそうな年回りだけれど今の日本じゃ環境だなんだと息の根を止められたラインナップ。

そんな中で巻頭特集にあるエスクードは、確かに「なんだこれ?」という異彩を放っています。同誌をして、主流のRV四駆はすべてルーツを持つ進化形で、全く新しいモデルとして出てきたのは74年のタフト以来と説明するほどですから、エスクードの登場は地味にも革新的な出来事だったと言えます(いや、エスクードもフレーム自体はジムニーからの進化形ですけどね)

しかしこの号にはもうひとつ、それまでの四駆とこの当時のRVの区切りについての紹介記事がありました。いわゆるスタイリッシュなRVとして車体設計を具現化したのは、エスクードより2年早い日産テラノだと考えていたのですが、同誌によれば軍用車やトラックからの進化と決別した事例は81年に生まれたいすゞビッグホーンだったと。ではエスクードがもたらした革新とはなんだったのかといえば、この手の車種体系に混沌を巻き起こすきっかけだったのだろうと思います。

混沌って穏やかじゃないじゃん。とも言われそうですが、ここから20年もすると、自動車のカタチが明確なセダンとそれ以外、というくらい「以外」のカタチがもうわけがわからないクロスオーバー化しています。もはやRVのRは日常に埋没し、SUVに呑みこまれたわけです。

この20年で肥大化したのはキャブオーバーRVから分化したミニバンで、この風景はそれらがハイブリッド化し延命を続けていますが、さらに10年後にどうなっていくことか。

と、今だから考えの及ぶ話で、翻って88年夏。譲ってもらった30のエンジンが吹き抜け、買い替えた71のまるで落ち着きのないピーキーなターボに慣れてきた頃、翌年のことなんか何も想像してませんよ。少なくともゲレンデヴァーゲンだとかシエラの巨体を持て余すなら、手足のように使える小さいディメンションに傾倒していましたから。