これは四年前
なにはさておき。おいたマンさんとかlooplineさんとかふっじいさんとか、出没するたびに駆けつけてくださりお世話になりました。
学士の免状やるから出て行けということで、無事に大学を卒業できた霰は本日、新潟市のアパートを引き払います。
実は新潟市って、僕の祖母方と家内の祖父方の双方にルーツがあり、僕の方はすでに縁も途切れていますが、家内の実家はまだ家内の亡父のいとこ会などでつながりがあるようです。
家内の祖父は太平洋戦争で亡くなっています。徴兵を受けるまでは単身上京して二十代のときに飯田橋から九段下あたりの(どうも今のエドモントホテルの近所らしい)で「萬代自動車」という整備工場を興して、シボレー専門、主に消防自動車等の需要があって修理整備をやっていたそうです。
この店名が、新潟の萬代橋から持ってきたもの。最盛期は20人くらいの働き手を雇っていて、態度が悪いとハンマーかスパナで殴りつけられたと、家内の祖母が生前よく話していました。
おいおい・・・なんかそれって本田宗一郎さんみたいじゃないかよ。
「そうよー。一つ世の中が違っていたら萬代自動車が本田技研工業のライバルになっていたかもしれませんのよ。あたしなんか創業者の孫で旦さんとなんか出会ってないわよー」
などと家内は大歩危をかますわけですが、家内の父親はこのような仕打ちを受け家業を継ぐのをいやがり家出までしたそうで、祖父も戦地で亡くなり店は空襲で跡形も無くなり祖母の思い出語りだけが残されています。
あー・・・話が脱線しましたが、霰がなぜか民俗学を専攻して僕や親父の郷である天狗の森の修験道行事から始まる「悪態祭り」を卒論に選んだかは、このような、一族の歴史にまつわる伝承の消えかかった様を再度記憶しておきたいという願望からだったそうです。
えー、ここ無くなったのかよー
「お父さんが新潟で見つけた居心地の良い喫茶店ね、あれ閉店して別の店になっちゃったよ。たった4年でそれなんだから、ほっといたら家の歴史なんて誰も覚えていなくなるよ」
いやはや恐れ入りました。鳶が鷹を(俺なんか産んでないから鳶以下)というか、そういうことを考えながらの新潟暮らしだったのかと。残念ながら家内の祖母も父親も故人ですから、萬代自動車奮戦記を発掘することは叶わなかった。その分うちの親父はまだ、しかし昔語りのできる最後の体験者ですし、僕自身も祖父母かなかなりの情報量の悪態祭りと天狗の森の話を聞かされていたので、それらを霰の意志が一家総まとめしてくれた感があります。