ジープに対してシエラを「ジムニー大きくなりました」と、二階堂さんは言っておりますが。
だって、エスクードのコンバーチブルと比べたってホイルベース長いし、全高、全幅とともにリアトレッド広いし、室内寸の長さも幅も上だし、今さら何言ってんですかな話ですわ。いーじゃんよ、それくらいのサイズアップなら。というより、いかに最初のエスクードがコミュータークラスとして優れていたか、ということなのです。
ジープに対してシエラを「ジムニー大きくなりました」と、二階堂さんは言っておりますが。
だって、エスクードのコンバーチブルと比べたってホイルベース長いし、全高、全幅とともにリアトレッド広いし、室内寸の長さも幅も上だし、今さら何言ってんですかな話ですわ。いーじゃんよ、それくらいのサイズアップなら。というより、いかに最初のエスクードがコミュータークラスとして優れていたか、ということなのです。
延期となっていた海洋堂の「miniQ デフォルメ軽自動車コレクション【ハスラー編】」てのが過日リリースされましたが・・・
小暑は過ぎたので、ぼちぼち梅雨明けに向かってほしいところです。
恋瀬川を遡っていくと、左岸に天の川が流れ込んでくる。恋瀬川とか天の川とか、またなんとも風情のある名前を付けたものです(ただし、諸説ありますが恋瀬というのは単に当て字に過ぎないそうです)。でもどちらを遡上しても彼方の筑波山にはたどり着けないのですが、天の川よりさらに上流で合流している川又川を進めば、なんとか筑波山の山体にに最も近いところまで行くことができます。
梅雨が明けてくると、蟋蟀居壁などと言われコオロギの類が壁際で鳴き始めるということですが、つくばーど基地では例年、7月2日あたりにヒグラシが鳴き(しかしヒグラシは秋の季語)、これを機に梅雨明けの様相となります。今年は10日夕方にようやく鳴きました。
昨年は6月の末に明けていましたが、この7月はもう少し梅雨が踏みとどまるらしいです。
風情だけなら良いのですが、災害頻度の高まる気候変動はどうにかならんものかと思わされます。稜線の向こうに積乱雲という景色は、かっこいいんですけどね。
しつこいぞと言われそうにもまたダカールラリーの歌を出してしまいましたが(先日のは二番の歌詞)、なんで低い雨雲だと天使が降りてくるのかようわからん上、そんな日に降りてくる天使なんざ、ろくなもんじゃねーよと思います。
そんな霊的な話はけたぐりをかまして、尾上邸におじゃましたらご夫妻ともジムニー歴史館に出ており、電話をかけたら「すぐそっちに行くよ」
尾上会長が戻ってくるまで「雨降って来なけりゃいいなあ」と低めの雨雲を見上げながら、ガレージの中のコンバーチブルをガラス越しに撮ったら怖いことに(笑)
「いやーお待たせしたー」
と、会長はジムニーじゃなくてエブリイで現れました。それ自体意表を突かれたのですが、戻ってくるなりガレージの引き戸を解錠もせず動かすではありませんか。
↑同行した狼駄さん、もう嬉しくてしょうがない。
彼にとっては、自身も乗っていた01Rの1型で、しかも同じ色です。ああ、ということは、うちのぷらすBLUE(2型)よりも、このレストア車の方が古いことになります。
こんな段取りで、あとは会長と旧知の中である和邇さんにも声をかけておいたので、それを待ちながら取材していたのですがやってきたのは二階堂さん。するとメール着信、「役員に捕まりまして。ごめんなさい」と。あの人、いつもあと一歩のところでというブラック魔王と似たような顛末なのです。しかし、こういう面子が万が一1人も欠けずに揃っていたら、天使どころか何が降りてきたかわかったもんじゃないです。
日曜日のあさ昼「お腹が空きました」
と、朝ご飯食べてない新月サンが主張するので
(私も食べてないけどな)
超大盛りでご用意致しました。
但し。
例の一件(すっからか〜ん)で、めぼしい食材が殆ど無いので・・・
野菜室にあったトマトと買い置きのツナ缶でつけ麺なぞ。
パスタにしても良かったんだけど・・・
マンネリ気味だったので、ここは一発変わり種で攻めてみた(笑)
スーパーの麺売り場で〝トマトラーメン〟とか〝レモン焼きそば〟とか目にする度「絶対いらない」と拒絶してましたが。
これしか出てきませんでしたので、渋々口にしましたわよ。
採りたてのパセリも刻んだし、冷製パスタだと思えば!
(だったらパスタで作ればよかったのでは・・・)
ま、思ったほど違和感はなかったそうで、無事完食いたしました。
この1年近く温存してきたお話です。昨年5月のエスクード誕生30周年記念イベントに参加していただいたユーザーさんのうち、親子でそれぞれ初代のTD61WとTD51Wで乗り付けてくださったMaroさん(息子の方)は、このとき、翌月に控えている車検を通さず、ミーティングを最後にTD51Wを退役させると告げていらしたのです。それもあって、四世代モデルを並べる撮影にも車両を出してもらったのでした。
彼のお父さんの「そういうことなら私のV6を倅に譲ろうか」という一言も印象的でした。そのエピソードは、昨年7月に出ているスーパースージーの連載にて紹介しておりました。残念な思いはぬぐいきれないけれど、Maroさんがエスクードに乗り出すきっかけや、これまでの交流の節目と思って、記念のような記録のようなルポルタージュとしたのです。
一度は、はまたにさんがコンバーチブルを退役させたときのような物語仕立てにと考えたものの、このときはリアルなルポで親子のエスクード熱を書き留める方がふさわしいと決めました。
で、編集部には6月のうちに写真と原稿を入稿していたわけですよ。そしたらですよ、この107号が出る前日のこと、某桶川で悪いおっさんたちの密談の最中、「Maroさん、うちにエスクードを持ち込んで処分する手はずだったんですけど、先日電話があって、やっぱり車検を通すって」という発言が飛び出したのです。ちょうどこのとき。
な、なんだってーっ ←普段なら大文字
びっくり仰天ですぐさま、Maroさんに連絡をとったら、バツが悪くて言いそびれの最中だったそうです。そこから、なにがどう状況を変えたのかお話を聞きたくて、この5月までMaroさんの休暇と取材のすり合わせを進めてきました。それが本日発売のスーパースージー113号の連載記事です。事実は小説よりなんとやらですが、今度はルポじゃあ面白くないので、奥方のお話も交えて物語にまとめました。かくしてTD51Wとも1年ぶりの再会を果たせました。