そんなわけで、Мydо小僧、GUTS小僧、SuperGUTS小僧、XIG小僧まできまして、あと二つストックがあるんですがここらで一休みします。
しかし何という盲点。いまどき鉄板を使わない冷蔵庫のドアに、こいつらは張り付かないのです。やむを得ず電子レンジの横に仮置き(張り)しましたが、何か適当な展示板を作らないといかんなあ。
15年着続けたスキーウェアを新調すべく、神田を徘徊。
近隣の〇ルペンとかスポーツ〇ポとかは勿論行ったわ。
新月サンはともかく私が着られるサイズが無いのですよ・・・
特にスキーパンツ。小さくて太いもんでねっ!
丈に合わせるとお尻とウエストが・・・
太さに合わせると「殿中で御座る」になってしまふ(泣)
いやー、面倒がらず行ってみるもんだ♪
ちゃんとしたメーカーのパンツ、あったわ。小さくて太い人用。
というワケで今年のプレゼントは各々のスキーウェアとなりました。
のまちゃんのオイル交換でーす。
この後、新月サンの営業車もオイル交換のち洗車。
ホントはのまちゃんもなでなでする予定だったのに・・・
新月サンが夕方から用事でタイムアップ。
・・・年内にのまちゃん撫でられるんだろうか???
石岡の大火は3月の出来事ですが、今からちょうど90年前の出来事。この市街地消失によって復興と再開発が進み、目抜き通りには後に云われる看板建築が立ち並んで、戦後もこの都市骨格は引き継がれて今に至ります。
その後看板建築は周辺の街にもぽつぽつと広がっていきますが時代の推移とともに石岡市内でも建て替えが相次ぎ、登録有形文化財として保存されているのは11軒ほどになっています。
大火の折、唯一焼けずに残った丁子屋のような、江戸時代末期の商家とは異なり、看板建築は近代のひとつの建築文化でありながら後世まで維持保存するというムーブメントには乗り遅れた感があり、それがより早い時期に始まっていれば、佐原や川越ほどではないにせよ、ちょっとした歴史的町並みになっていたでしょう。もっとも、老朽化していくそれらの建物に住まい続け、使い続けなくてはならないといった別の問題も内包するので、一概になぜ残さなかった?とも言えないのです。
そうしてまた、骨格は残しながら改修を施し形態を変えながらも使い続ける人々もいらっしゃいます。丁子屋の近所にある和カフェ「紫園」もそのひとつ。いつ改修したのか覚えていませんが、質素でしゃれたファザードはおそらく、看板建築の次の世代の意匠になるのではないかと思われます。しかし店内はすでに半世紀を過ごす、昔ながらの喫茶店。息子さんたちに店を任せたお母さんは、以前は洋服屋さんを営んでいました。
丁子屋も、この店の向かいにある雑貨商だった久松商店も、建物外観を維持しながら内部の活用を変えていますが、紫園はむしろその逆を行っている。
和カフェという今風の看板を掲げていますが、喫茶店であり定食屋のスタイルをずっと続けている、大火からの復興時代よりはちょっと新しく、けれど齢を経てきた街の顔です。
古カフェ系か孤独のグルメか。といった気分で、霙と遅めの昼飯に出かけ、常連客の過ごした後のひっそり時間にお邪魔しまして、しょうが焼き定食とハンバーグ定食を食ってきました。おいおい、看板建築の話じゃないのかよ?てな具合でとっちらかってますが、街探検って、外観だけではその街が過ごしてきた時間を読み取れないこともあるなあと思ったのです。箸で食う洋食だとか、定食だからハンバーグだろうと茶碗配膳だとか、こういう面白さは立ち寄ってなんぼです。
冬至の祭事に、密教系の寺院では「星祭り」「星供養」が営まれるそうで、これはたぶん妙見信仰を修験道あたりから取り込んでの行事なのだろうと思います。つくば市にはそのものずばりの「北斗寺」が所在していて、北斗七星を祭る星祭りが・・・実はここでは2月の祭事になっているというずれもあったりします。うちの菩提寺は曹洞宗なもんでそういう行事はなくて、せいぜい柚子湯を入れかぼちゃの煮つけを食う程度なのです。
ところで我々の地元には、北斗七星を「ヒ(シ)チヨノホシ」「四三(シソウ)ノホシ」と呼ぶ地域があります。さらに北極星を「一ノホシ」とし、北斗七星というよりおおぐま座の β星メラクを「 二ノホシ」、γ星フェクダを「三ノホシ」とも。ここでなぜかα星ドゥーヴェが除外されてしまうのですが、どうしてそうなったのかは謎です。
子供の頃に聞かされたお話は、ちゃんと聞いておくべきでした。
もうライダー映画のこの手の企画は定番化してしまったので中身には執着心も湧かないのですが、ただでさえ令和最初の主人公が「01/ゼロワン」だというのに、ゲストで出てくる主人公の父親が「仮面ライダー1型」って、ごく一部の少数のほんのわずかなスズキエスクード・初代のファンにとって「どんだけ我々に手招きしやがるんだ」というネーミング。エスクード的に言えば、01の1型は昭和63年5月に誕生した初代最初の車種のことですから(いや、だから、ごく一部の少数のほんのわずかなファンにはわかる話なの)
もっとも劇中にはその中間ポジションなのかどうか知りませんが(なんせ本日封切りですから)「仮面ライダー001」というのもいるらしいです。うまいこと緩衝材になってます。
これで同シリーズのヒューマギアという設定やライダーへの変身システムにTAとかTDとかのアルファベットが使われようものなら、もう確信的に制作者側にエスクードОBか現役ユーザーがいるとしか思えなくなります。まあそれは思い込みすぎとして、1型、などという表記・呼称をするあたり、今や仮面ライダーも工業製品感覚なんだなあと、それこそ令和的感覚を受け止めるわけです。
蹴るべし!蹴るべし!
バリバリバリバリ・・・
なぜかいちのみならず、でんもこの座椅子で爪とぎします・・・
座面と言わず背もたれと言わずボロボロ。ちゃんと爪とぎあるんだけどなー(笑)
爪のかかり具合が絶妙なんだろか・・・?
「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開となります。ジョージ・ルーカスが70年代後半、少年時代からスペースオペラの9つのエピソードを温めながら、そのうちの4番目の物語を世に送り出し、とうとう最終章までやってきました。
78年にそのエピソードⅣを観たとき、こうなるとは思ってもいなかったですよ。40年以上かけてひとつの舞台を完結させるほど、壮大というか呑気というか。関係ないですが小松左京さんは存命中、「さよならジュピター」原作小説内で「スター・ウォーズ30」という言葉を綴っていましたけど。
それでふと思ったのです。
今まで、資金と物量で作られてきたスター・ウォーズのシリーズも、圧縮して物語をまとめると、9本も要るかこの映画? と言えなくもない(いやいや、要るんですよ実際には)。40年以上かかったのは、エピソードⅣの時代では、ルーカス氏自身が技術と予算の問題で一気に描けなかったという事情があってのことですが、それらのハードルをクリアしながらエピソードⅨに至る。これだけ時間と資金と技術を投じていけば、そりゃシリーズも膨らみますよ。
この比較対象で、真逆のポジションに置き続けてきた、東映の「宇宙からのメッセージ」を思い出すと、逃げようがないほどそれなりのものしかできない。讃えたいところが一つもない東宝の「惑星大戦争」よりはマシとはいえ、ほんとに総論としてはとほほな映画だったのです。と、今まで言ってきました。でも、ほんとにそうなのか?と、ふと考えが揺らいだのです。
洋画がヒットしたら似たような路線を速攻で作って当てに行く。という東映路線にのっかって作られた「宇宙からのメッセージ」は、観ようによってはスター・ウォーズが9本もかけて描いたスペースオペラを、たった1作でやってのけている。これは光子帆船プレアスターの美しさと、楽曲の中のエメラリーダのテーマのすばらしさに次ぐ評価軸だったのです。ストーリーを日本の冒険活劇の古典(南総里見八犬伝)に求めたとはいえ・・・、否、欧米のいかにもな神話なんぞに頼っていない時点で、東映流短期間でまとめた企画として、企画力はたいしたものだったんだよと、今更ですが気が付きました。
松竹にやらせたら「男はつらいよ」のシリーズなんか30年かけずに49本できちゃってるんですもん(50本目はこの27日に封切り)。まあそれを言ったら洋画の世界にもスーパーマンやバットマンやスタートレックがあって、ターミネーターがにじり寄っているとも言えるのですが。それらに仮面ライダーとスーパー戦隊をぶつけるのはまた別の話ですからやめときましょう。
ヒロインだってさー(それでそこかよ)、キャリー・フィッシャー、ナタリー・ポートマン、ディジー・リドリーと比べたって、志穂美悦子さんまったく引けをとらないじゃないですか(すいません、僕はパドメ・アミダラ役のナタリー・ポートマンが一番だと思ってます)。
病院のロビーにて。
毎年行くのがこの時期で、飾りつけが楽しみだったりして(笑)
踊ってるサンタさんは去年と同じ外来受付のカウンター。
入口すぐの喫茶スペースには、今年は毛糸の羊さんがモフモフしてました。