新月サンが「採れたてのさやえんどうが食いたい」と
種蒔いたのが、大分育ちました。
さて、最初はお味噌汁の具か?
遅かれ早かれ開くわよね、穴。
寝ようと寝室に行ったらザックリー(泣)
もぉアタマきたぞおかーちゃんは
これでどぉだ!
黄昏の時代のそれよりも未来
「終末ツーリング」という漫画が茶の間に転がっていたので、これはたぶん霰か霙のものだろうと思いながら読んでみると、僕らが怖がった世界の破滅だとか人類の滅亡というキーワードは、若い人たちにはさほどの抵抗感が無いんだなあと考えさせられたのでした。
この漫画は、そういう世界に向けてゆるゆると止まらない時間を描いた「ヨコハマ買い出し紀行」よりも未来のお話(作者は異なります)
画風も違うのは当たり前として、どこかつながりのあるような風情を感じさせられます。この先どんな方向へ走るのかわかりませんが、意外とあっけらかんとした登場人物と、滅んだ世界のギャップはやはり痛々しい。
一巻めは箱根、横浜、横須賀から東京に舞台を移していき、廃墟となって一階部分が水没した有明のビッグサイトが割と長めに描かれています。あれを設計した建築家の細田雅春さんがこれを読んだら、にやにやするんだろうなあ。
去年も変な時期にバッサリと切った羽衣ジャスミン。 咲かないかなーと思ってたら写真の塊くらいのが3つ。 それでも結構な芳香爆裂してます。 どんだけクサイ匂うのよ・・・ 新月サンには 「今年は花後の剪定以外切らなくてよくない?」 と言われました。 新月サン的にはブワッっと花付けてくれないのが 寂しいらしいです
再び逢うまでの遠い約束
種山高原星座の森の「献立の少ない料理店」で厨房を切り盛りしていらした佐藤さんから、3月末に手紙をいただいていました。定年の日が来たので、2020年度いっぱいで退職するというお知らせと、沢山立ち寄っていただきありがとうございますとの御礼の言葉がしたためられていました。
いずれそうなるであろうことは、昨年お邪魔した時に聞かされてはいましたが、いざその日が来るとなると寂しい思いに駆られるのは、不謹慎を承知で言うなら親の葬儀よりも揺さぶられてしまいまして、返礼のために電話を差し上げたら(ケータイ番号を知っているところがさらに不良な俺)、変わらず元気な声でいらして談笑が叶いました。種山高原には、たぶん今後も立ち寄ることはあるだろうし、無くなっていなければ少ない献立から選ぶのはきっと「銀河鉄道の夜」でしょう。佐藤さん曰く、あれは誰でも同じ味で出せるから、とのことでしたが、一番大きなスパイスは佐藤さんご自身の人柄だったような気がします。
いま、厨房を任されている後任の人とも、同じように仲良しになれれば、ひょっとするとその大きなスパイスも継承されるのではないかと思い、いただいた手紙を執務机の引き出しにしまいかけ(彼女がなんで手紙を送れたかと言えば、東北時代に名刺をお渡ししてあったという二重三重に不良な俺)、やっぱり持って帰ろうと上着のポケットに収めておりましたが、再び逢えるまでって、どれだけ遠い約束になるのだろう・・・
食べたかったのよ~
美味しいうどんが食べたいなーっと、 ちょっとだけ出掛けてきました。 お食事処もそれなりに人が居たし 県外ナンバーの車がわんさか。 (うちらもか・・・) あー、みんな嫌んなってるのねぇって感じ。 折角なので観音様にお参りして、 境内の鐘撞いてきました。
Team WESTWIN Warriors#156
本年開幕戦になるはずだった16日のTDAは、コロナ禍の影響を受け中止となりました。
「うーん、それはそれでお知らせにはなるけれど、話題にならないですよねえ」
「そう言われると思ってました。写真を見てチヒロの01Rで笑ってやってください」
ということで送られてきたものを見たのですが、ぱっと見にはわかりにくいですので、後方からの別カットを。
・・・・ぷぷっ
これダウンフォース得る前にもげるんじゃなかろうか? でもまあ、様になっているところが笑えちゃいます。
「なにしろですねえ、川添君までが、『僕がここんとこ勝てないのは羽根がついてないからなんです。羽根は大事なんですよ』とかうそぶく始末で」
よろしいじゃないですか。ウエストウインの四駆づくりは機能性と見映えの両立ですから。ということで、このウイングの本領発揮は7月のTDAまでお楽しみになります。で、その7月11日予定のTDAのあと、梅津知浩くんはいろいろな経緯を踏まえ、筑波サーキットにやってくるそうです。
来るからには走るんだそうです。まだ現地の7月スケジュールが発表になっていません(毎月25日ごろ更新されている)が、島雄司監督から聞いたところによると7月27日だとか・・・
って平日じゃねーかっ
めざましで紹介してたので、 つい買ってしまったカップ麺。 この前のたぬきときつねは、 新月サンが美味しく頂きました。
昔はそれでよかったんだけどさ
21年前、ポルノグラフティは「ヒトリノ夜」のなかで「♪車もしばらく空を飛ぶ予定もなさそうさ」って歌ってましたが、現実的な未来はすぐそこまで迫っていて、「空飛ぶクルマ」とやらの試験飛行が相次ぎ、日本においても再来年には運航のためのロードマップやガイドラインが出来上がり、さらに近い未来にはほんとに車が空を飛んでしまう世の中になっていく、21世紀らしくなってきた21世紀です。僕らはいくらでも「ヒーローのクルマが空を飛ぶ様」を見慣れているんだけれど、
その「空飛ぶクルマ」って表現、なんとかなんねーの?
なんかこう、昔はそれでよかったんですよ。たいていのヒーローのマシンは、自動車そのものに翼や噴射口がせり出して飛んでたので。だけどリアルな現代の技術と工業デザインとの組み合わせで登場しているそれらは、どこをどう切ってもマルチコプターやオートジャイロの延長上のようなカタチが主流のようで、オランダで有名なPAL‐Vなんか、後ろ姿がかっこいいんだけどどう見たって回転翼機に自動車が部分融合したデザインで、回転翼を屋根にたたんだ前方からの姿なんて、全然スマートじゃない。
マルチコプターをドローンと呼び始めちゃって、それが一般化してしまったように、空飛ぶクルマもこのまま一般名詞として定着してしまうのはいやだなあと感じます。厳密に言うと、国土交通省や経済産業省では「電動垂直離着陸型航空機」と呼称しており、クルマでも何でもないのに。そんなことより、自分が子供の頃は当たり前だったはずのこの言葉が、現実味を帯びてくるとこれほどダサいものに聞こえるとは思いもしなかった。スマートな名前って出てこないものかねえ。