Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そっちこっちで当たっているけれど

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リコール対象車の対処をどうやって行うのか、まだ決まっていないというんですよ。自販茨城に関しては、来週に沙汰をしますと・・・」

困惑する主治医です。まあ確かに、何をどうするのかよくわからない告知ではありましたが。しかし来週何か言われても、すぐ大型連休では事実上何もできないでしょうに。

といって点検はともかく確認できる自動車検査員というのが足りているのか?

エスクードだけだったら大した数でもないけれど、軽自動車に及んでは自販も手に負えないくらい出荷しているでしょうから、「お早めに最寄りのスズキ販売店へご連絡いただき、修理(無料)をお受けいただきますようお願い申し上げます」というアナウンスがまた仇になりそうで心配。

 

渋カジ

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渋谷casualではなく、渋いカジュアルなツーショットが、バックアップ後のフォルダから出てきまして。

これがいつ頃撮られたものかは僕は知らないんですが、この2台をそれぞれ乗り始めた頃、我々がよく知っている友人たちはまだ10代だったかもしれません。それを今考えると、彼らはカジュアルなだけではない渋さがあるよなあ。

と、褒めちゃえばこの写真使ってもいいよね(無断掲載かよ)

初代エスクードは、大胆にもこのSJ30の後継車種として企画会議が設けられたことは、まあ誰もが知るところです。「次期ジムニー開発」の振り出しはサンマルが登場してからわずか3年後の会議設営ですから、初期のもくろみはエンジンの4サイクル化だとかパワーアップ指向で考えられたのかと想像できますが、サンマルジムニーは思いのほか評価が高く、第1回目の会議で「次期ジムニーなんかまだいらない」と、次期開発自体が袈裟切りにされてしまったのです。

もっともそのおかげでエスクード誕生のきっかけが生まれるわけですから、塞翁が馬。だけどこの状況をよくよく考えてみると、その場に偉い人たちが(GMとのプロジェクトで皆出払っていた)いなかったという偶然にも助けられた、やんちゃでけっこう危ない橋を渡る路線変更だったんじゃないかと思わされます。

乱暴な解釈をすると、足回りの構造こそ新機軸を持つエスクードですが、フレームの構造もエンジンレイアウトも~ただし四輪駆動のセンタースルー方式は新しい設計~ジムニー譲りと考えられなくもありません。そこに花を持たせたのはやはりデザインで、これを踏襲したモデルはその後現れていません。

ジムニーもまた然りで、ホープスターON4WD、初代と比べると、サンマルこと二代目はドラスティックに変化しており、しかしシンプルなラインはその後どうやっても変え難いシルエットを確立しています。そこには質実剛健ながらカジュアルという、良いとこ取りが成功しているのです。

大きく分岐しているようで、エスクードとSJ30には深いところに共通する志が込められていると、この写真をリサイズしながら感じ取るのでした。

31年目の出会い

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B’zといえば1988年結成でしたから、スズキエスクードと同級生の「昭和世代」←なんかここを強調しちまったよ彼等が四代目エスクードのCM曲を手掛けるというのは、何かのご縁でしょうかね。

しかしなんだね、安全に関する「妥協は無い」というコピーは結構なことですが「弱点は無い」って、誤解を招くからやめれと、CF作った会社には言いたい。

まあ映像の方は、よそのメーカーの嘘くさい、というよりやっちゃいかんだろうと目を覆うような奴に比べればずっと品が良いのですけど。

10年の広場

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石畳の広場を訪ねてみたら、街路樹がなかなかの成長ぶりでした。10年ほど前、ぷらすBLUEを持ち込んで撮影した頃はまったく知名度の無いところで、広場の外周ならばどこに車を置こうが迷惑になりそうもにない、格好のスポットでした。その後、車雑誌も目をつけこんな場所でもSUVの背景になっちゃうという(最初にやったの俺だから、人のことは言えん)今やドラマや映画のロケが頻繁に行われているようです。

そんな場所になろうとは思いもせず、左の写真のようにSSレイドの課題の場所にしていたのですが、現在これをやろうとすると、カフェのオープンデッキから見降ろされ衆人環視の中の撮影を余儀なくされます。

以前はタクシードライバーが昼寝さえしていたほどなんですけどねえ。

国際展示場

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先日、初代の1型エスクードのカタログと永代橋のことを書きましたが、これが2型にマイナーチェンジしたあとのカタログでも、ロケハンを伴う撮りおろしのスチルが多用されていました。

その一つが、幕張国際展示場前のカット。永代橋(当時)の黒々としたトラスト対照的に、赤いトラスがアクセントとなった背景です。しかしここは車寄せのさらに奥にあたるため、さすがに一般の人間じゃ車を持ち込めないです。

余談ですがマイナーチェンジは90年のこと。この頃東京モーターショーも幕張に会場を移した直後でしたから、案外トレンドな都市風景だったのかもしれません。

で、91年の1月から放送開始でしたので、おそらく似たような時期に撮影やっていたかもしれないのが、特急指令ソルブレインのオープニング(笑) 前作の特警ウインスペクターにはエスクードも出ていたんですけど、この番組トヨタ車で固めていたから、いなくなっていたかもしれません。

Team WESTWIN Warriors#131

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さあどうなったんだTDA開幕戦?

と、どきどきしていたのですが結論から言うと

ウエストウイン勢全員未出走!

 

 

 

 

 

出走予定だった全員が日常の仕事業務やら社内行事やらでダブルブッキングしてしまい、前代未聞の事態となりました。

「元号が変わる直前の年度末って、本当にあわただしいんですね。うち以外のアンフィニクラスエントラントも仕事を休めず、半数も参加できない状態でした。逆にほんの追加料金でリミテッドクラスの人たちから希望を募り、アンフィニの雰囲気を体験していただく企画などを急きょ展開しました」

島社長曰く、草レース時代に戻ったみたいな閑散だったそうです。

まさかの流れで、次回の九州J通信やイベント記事で先に出ちゃうなあと思っていたウエストウインの今シーズンの話に、追いつけてしまうようです(こちらの連載記事は7月掲載まで待ちですが)

6000k

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どっちが? と言われれば、どっちもなのです。

LEDとハロゲン系の違いでこうなる。明るいうちに帰宅したので夜道の視認性はこれから試すのですが、光を白くしてしまっているので実際には見違えるほど、というわけにはいかないかもしれません。

補助灯の4500kがなんかもう前時代的です。

そうそう、穴あきと錆については御覧の通りです。こちらは主治医のところ経由で職人さんに修復していただきました。

ここだけつやつや(笑)

Team WESTWIN Warriors#130

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明日17日、TDA2019年シーズンが開幕します。

しかし恋の浦スピードパークは激震の渦中にあります。いろいろな意味で、今シーズンは見逃せない1年となるでしょう。その多くを語ることはできませんが、ひとつは1月に書いた「行方もなし~」にかかわる話。

もう一つは、1号車の2番シリンダーが圧縮ゼロ・・・

ここ数日、ウエストウインのピットは徹夜続きでした。うーん、こんなときに福岡へ飛べない・・・ まんじりともしないとはこのことです。

 

 

ぎゃっと呻いて頁を閉じる瞬間

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「ところで、新しいジムニーどうよ?」←メカニック様

「どうってなにが?」←私

「評判いいみたいじゃなぁ~い?」メカニック様

「評判いいのは他の人で、私は自分のお車様以外にキョーミなーいもーん」

「いよいよマミさんも俺らと同じ世界にきたな」(ニヤニヤ)

「いやいや、全く、全然、足元にも及びませんから」

というくだりが、先週発売されたスーパースージー111号にて綴られています。記事はマミポコさんによるリポートとして、彼女のエスクードがエンジンのオーバーホールを受けたことの概略ですが、この部分は本筋には全く関係ありません。でも、形も中身もこの車にぞっこんなのよという微笑ましいやりとりだったので、メカニカルな話そっちのけで収録しました。

さてさて、この先はあくまでも「私ならば次のグランドビターラをプレゼンする際、デザイン自体に対価を与え、高値で評価されるものを考える」という趣旨によるスケッチだと認識してください。次の「それ」があるかどうかを別のこととしても、このデザインはメーカーによるものではありません。

高く評価されるデザインには、まず「佇まい」が必要。線ではなく面の高級感がモノを言う・・・らしいのですが、一理も二理もある話で、直感的に「こりゃかっこいいぜ」と思われる車がそうでしょう。でも、育っているブランドにカンフルを打つのはそう簡単でもないような。「えっ、これ次のエスクード?」(違いますからね)、とこれを見た瞬間、見た人ってどう思うかなあ? という話。たとえば前述のマミポコさんのような人にとって、これは虐待にも見える気がするわけです。

 

帝都の門

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木場のあたりで永代通りからタクシーに乗りました。なぜ東西線を使わないのよと言われれば、まあ行き先がそっちじゃないんだけど永代橋を渡りたいのだという欲によるものです。

永代橋と言えばですね、89年9月期にリリースされた初代エスクード2冊目のカタログ内に、ここを茅場町方面から走って来るハードトップのスチルが使われているのです。このカタログでもすでに写真合成は一部で始まっていますが、このシーンはもちろん多くが撮りおろしでした。

僕がエスクードの写真を撮り始めたとき、参考にしたのがこの版のカタログでしたが、自分で永代橋を走っちゃうと絶対にこのようなカットは撮れず、さりとて橋の上に駐車するわけにもいかず、未だにこれと同じものを撮ることができていません。

そういう思いもあって、今回はトラスのアーチくらい車窓から撮ろうかなと企んでいたのですが、タクシードライバー最短距離運行に忠実。なんと門前仲町で清澄通りに右折してしまうのでした!

ええっ、と予想外の展開に翻弄されていると、タクシーは首都高9号線へ移動し、首都高下の墨田川大橋を渡るのです。むむっ、ということは車窓から大川端方面が見えるじゃん。そこには真横からの永代橋もあるじゃん。

というわけで咄嗟に撮ってはみたのですが、完全に逆光だわ欄干が邪魔するわで、またしても徒労に終わるのでした。帝都の門(永代橋の俗称)はなんとも遠いなあ・・・