Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

行く方もなし恋の浦路

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津屋崎の
岸に寄る波返るとも
恋の浦路は
行く方もなし

福岡県福津市にある玄海国定公園には、こんな悲恋の昔話があるそうです。

曰く、博多の廻船問屋の倅である仙吉と、土地の庄屋藤七の娘嘉代は許嫁の仲でしたが、嘉代の美貌に横恋慕した藩主黒田長政の叔父・養心がその権力を振りかざし、御台所様介抱附添人として横取りを企てたがために、二人は小舟を出し玄界灘に身を投げ心中してしまうのでした。

この小舟が二人の辞世の句だけを運び流れ着いたのが津屋崎の浜辺で、後に恋の浦と呼ばれるようになったと(あくまで昔話です。史実とは言わないよ)

絆や蜜月、いろいろな言葉があると思われますが、力を持つ者に突如、行末を阻まれることはあるのだなあ。

何を言い出すのかこんなブログではわからないでしょうけれど、事実は小説より奇なり、です。いずれおわかりいただけるでしょう。

歴代エスクードの型式変遷

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確かに#3ってないんだよね

海外専売の車種にTA/TD#3に該当する車が有るのかな?

というツイートを見かけまして、ESCLEV の掲示板に参考リンクを貼ってはみたのですが、あそこの掲示板こそ開店休業なので知りうる限りの歴代型式を図版のようにまとめました。実際のウェブページには初代と二代目にわたるプロシードレバンテも網羅しています。尚、三代目までは機種記号の頭に本来ついている「E」や「LA」「CBA」などを省略しています。なぜそうなっているのかは、昔はそこを無意識に省いてしまう癖があったからで、深い意味はありません。

この一覧は国内仕様の歴代エスクードのみですが、過去の知人には北米でSIDEKICKSPORTSに乗っていた人がいまして、この車のエンジンは直四の1800cc、型式はTD21Wだと申告されていましたから、初代にも「2」のコードが打たれています。ところが同じモデルにTD02で登録されているものもあり、初代にはそのような謎もあります。

型式についてではありませんが、浜松のスズキ歴史館に展示されている欧州仕様の「エルトン・ジョン・モデル」は初代の11系フェイスでありながらエンジンは51系で、しかもコンバーチブルという、欧州カタログを見ないとどんな型式か不明なものもあるし、90年代初頭には1300ccを積んだ2WDが北米に出ていたこともあるそうですから、我々もどなたかミッシングリンクを埋められる人の助言が欲しいところです。

山より大きな猪は出ぬ

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山に生息するあいつらが山より大きなはずはないというのは至極当然の道理。器より大きな中身は無いのよ、という意味であり、大言壮語もたいがいにしやがれと諭してくる言葉です。

2018年が誕生30周年であったスズキエスクードを我々なりにアピールしたいと、昨年は沢山の人々にご尽力をいただきました。30年ですよ、さんじゅうねん、という大口をたたいた割には、大したことはできませんでした。まさに猪並みのスケールで野山を走り抜けただけ。しかし面白楽しかったことも実感できました。要は、器の中身の大きさを論ずるよりも、密度の方が大切だったのです。そこを伝えきれなかった反省点も、もちろん残るのですが。

あと数カ月で、平成という歳月も更新されるなか、昭和の終わる直前に誕生したエスクードが、趣向は変わりながらも現役のブランドで新しい元号を迎えられることは、やはり慶事です。器より大きな中身は無い、と正論を受け止めながらも、四世代にわたるこのブランドの魅力については、我々は引き続き大口をたたいても良いではないかと感じています。

ところで、毎年のことで申し訳ありませんが年賀状を出し遅れております。

にもかかわらず、元旦から沢山の賀状をいただき恐縮しているところなのですが、そのなかで今のところ「ことし一番」というデザインの賀状を送ってくださった人の差出人名がありません。

←どなたでしょう?

 

Manuia le Tausaga Fou!

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充実の安全装備。と・・・

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1400ターボのエスクードも意外な速さのマイナーチェンジ。ハンガリーじゃ更に1000ccターボという新機軸さえ存在するわけですから、初代のとき以上の進化ぶりです。

今回、フェイスリフトよりも安全装備の充実にエポックがありそうです。まあこの車に限ったことでなく、自分の右斜め後方って大きな死角ですから、そこをサポートする機能は歓迎すべきです。

細かい話はカタログでも眺めていただくとして、四代目では三種類めのグリルデザインが、JB23末期モデルのそれを思い出させる方向に来ました。

何と安直な。

1400登場時のグリル変更は好評だったようですが、僕に言わせれば「なんでわざわざ日産車に似せる?」なデザインでした。で、今回がなんというか、あれですか?「スズキ伝統の~」?  1600の最初のグリルには、日本刀の鎬と刃文のような趣があったと僕は思っているのですが、そう感じる人はいなかったみたいね。

 

ジュナンの子・・・というか・・・

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仕事を終えて駐車場に戻ってみればなんか変な・・・

変な・・・

なんじゃこりゃーっっっっ

三十年を締めくくり

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RVブーム真っ盛りの頃には、スキー場へ行くとエスクードだらけ!なんてこともありましたよね?

うーん(笑) たぶんそれは無いです。

 

何か所かミスタイプと認識の間違いはありますけど、よくぞまあこれだけ褒めてくれたなあとMotorzの記事をここで取り上げさせていただきます。当時、スズキの戦略のひとつである隙間、ニッチを狙うそれは、鈴木修会長が自ら口にし、「ダボハゼ商法」とも呼ばれていました。その最たる成果がジムニーを誕生させたことに揚げられるように、スズキはそれまで無かった市場を開拓することに長けていたのです。

世界戦略という時流にもスズキは乗っており、幹部デザイナーや技術者はGMとの共同開発に出払っていました。そのことが逆に若手社員が自由闊達に提案し、新しい発想で挑める環境となりました。何度も引用していますが、そのくだりは我々が5月に公開したエスクード誕生30周年企画で、初代をデザインした片岡祐司さんに執筆していただいた「エスクード誕生物語」にまとめています。

この手記、スーパースージー誌上で別の人が片岡さんの紹介編として掲載していますが、あれを書いた人は我々のWebの存在など知らないでしょう。片岡さんから元の原稿をもらったとしか考えられませんが、それで向こうには原稿料が出るんだからひどい話です。ま、それはともかく、どこにも無かったものを創り出す環境に恵まれた当時、それでも、初代のコンセプトには、「スズキはレンジローバーを目指すべき」と主張した小栗克彦さんの言葉が下地となっています。

小栗さんは片岡さんの先輩にあたり、SJ30・二代目ジムニーをデザインされた人。四代目ジムニーの下地にも二代目のスタイルが踏襲されているほど、スズキの四駆の芯になる言葉だったのだと思われます。初代エスクードはサスペンションにその痕跡が残されていますが、小栗さんの言葉は単にパーツ構成を示したのではなく、レンジローバーが持つ魅力、質実剛健でありながら都会的なセンスをも醸し、ここぞというときにはその威力を発揮することを倣おうとしたのでしょう。

かくして初代は88年にデビューし、一旦売れて鎮静化します。本領が発揮されるのはノマドが登場してから。この頃他社から様々なRVが追随してくるのです。一方エスクードはパワー競争に引きずられながら、一方ではヒルクライムやラリーレイドで頭角を現しますが、それを応援したのは既にエスクードを所有するユーザーたちで、当時は一般市民にまでそれらのニュースが浸透したとは言い切れません。オーストラリアン・サファリなんて、マニアでなければ知らないレースです。

アピオが参戦したラリーレイドとエスクードについて、25周年のとき重鎮二人の対談のリンクも、性懲りもなく張っておきます。そして30年。代を重ねてユーザー層が拡散して車体も初代とは別のものになっていますが、ブランドとしてこの年月存続してきたことは大いに喜ばしいことです。2020年にはポストノマドとも言うべきジムニーシエラのロング化が示唆されていますし、こだわりを持って初代に乗り続けてきた人々にも変革の時がやって来るかもしれません。

ないものねだりをしたところで、初代エスクードは中古車市場からも消えつつあります。残っている現役個体が、ヴィンテージと呼んでもらえる日が来るかどうか定かではありませんが、新しかったけど古臭い、それこそが楽しいという時代の四駆のはしくれは、まだ幾ばくかのユーザーが元気に走らせているのです。そして初代に限らず沖縄から北海道、世界の各地で歴代のエスクードを愛でる人々へ。この四駆はただのSUVじゃありません。30年、そういう歳月の積もった1台です。

15インチは同じでも

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やっぱりハスラー用のタイヤに比べれば、ハスラーサイズも15インチとはいえ、エスクード用の方が嵩張ります(ハスラー用はただいま宙に浮いてますが)

昨今のエスクードなんか17だの18だのになっちゃってますが、初代が出た頃は195SR15で済んでいた。その初代もすぐに16インチに移行していきましたが、うちの幌車はホイールデザインの好みの関係で純正規格を踏襲しています。

195の80扁平15インチは、ハイエースでも使われているらしく、なんやらそのユーザーさんが注文していながらキャンセルになってしまったとかで、あっと驚く価格破壊状態でうちが引き取ることになったブリザックDM‐V2。

しかしV2は雪上性能は確かに良いんだけれど、耐摩耗性が大ウソつきで僕のような運用では1シーズンで廃棄です。だからBLUEらすかるではV1に戻しているくらいです。ぷらすBLUEだったらまあ、仙台に持って行かなければ霙の運用なので2シーズンくらいは使えるかもしれない。

最近はクロカンもやっていないしジムカーナなんかやるわけでもないのに、今年下期でタイヤを10本も買うことになろうとは・・・

Team WESTWIN Warriors#128

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TDA最終戦とシーズンを終えて、チーム・ウエストウインの怒濤の1年が一区切りとなりました。最終戦は川添哲朗選手が優勝、後藤誠司選手は四番手に食い込んでおります。川添エスクードはやはり転倒のダメージが残り、ドライブセレクト4WDの動作に絡むセンサー類が破損しているらしく、またもや四駆に入りきらない場面もあったようです。それでもラリー用タイヤを組み込み、グリップ走行に徹した川添くんの走らせ方は、ダートトライアルのひとつの極めの粋だと思えます。

一方後藤くんは勝機に恵まれない1年でしたが、車体の劣化もさることながらここまで進めてきたメカチューンやROMチューンがまとまりきらず、エンジン自体もそろそろ限界にきている。最終戦ではまったくパワー、トルクを引き出せないお手上げ状態ながら、ベスト4まで勝ち残ったのは奇跡と言うより彼の意地でしょう。

しかも今回、宿敵であり彼らに土をつけたファイナルビーストの神野さんの参戦がありませんでした。先方の経営方針の変化があったらしく、レース活動の集中と選択が始まるのか、TDAなどへの遠征は今後は減少あるいは無くなる方向のようです。

こうなると、一矢報いることのできないウエストウインのWエスクード乗りとしては悶々とせざるを得ません。しかしその前にエスクード自体の復調を果たさねばならない。川添君の車両はもうしばらく現状維持とプラスアルファで行けると思いますが、後藤君の車両は、もはや各部の改造がバランスを取れていないとみなし、エンジンを素に戻すか、載せ替えを行っても過度の改造は行わない、あるいは載せ替え機種の変更検討を必要とするでしょう。

「J24Bという考え方もあると思いますが、我々の感触ではJ20Aと比べるとマイルドなのです。いっそのこと後藤君は1600にスイッチしてはどうかと・・・雷蔵さん、言ってみてもらえませんか?」

島監督との対話では、まだ結論が出ていないというか、戸口に立たねばならない段階。言えというなら言いますが、ここまで来たなら後藤君は拘りを捨ててSR20でも載せたらどうなのか? と、僕は言ってしまいそうですが。

レースゲームで名をはせてしまったエスクードのパイクスピークマシンは、今でも「エスクードすげー」と知らない人々に讃えられていますが、あれのエンジンは後半RB26のツインターボでスズキのV6ですらないし、パリ・ダカールラリーを走ったAPIOのエスクードもビッグホーンやパジェロのV6を積まなければ戦えなかった(パジェロエボのエンジンでは失敗しましたが)わけで、後藤君が余所のエンジン持ってきたからと言って誰も文句は言わないでしょう。

 

Complication Shakedown

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我が家のクルマ事情が複雑な中(1台直ればまた1台壊れる)、ぷらすBLUEの修理明け。試運転に乗り出したこっちは、長いことだましだまし使っていたオイル上がりもオイル下がりも~双方同時に症状が出てました~解消し、単純明快にG16Aの使いやすいレスポンスが戻ってきました。

いまどきツインカムでもない直4ですが、バルブはツインカム並にくっついているところが初代1600ccエスクード2型以降の特徴です。

1、2型には20馬力弱の差がありますが、1トン程度の車体だから、カムシャフト一本の16バルブで十分。などと言うと、四代目の1400ターボに対する負け惜しみにしか聞こえない。だけど、82馬力しかなかった1型は、足回りをいじってクリアランスがとれていればクロカン四駆の末席に置けて、その特性を残しながら乗用性を上げた2型は使い勝手の良さがあります。しかし90年代初頭、こんなんでオーストラリアンサファリとか出ちゃったんだから、身の程知らずだよね。

エスクードの原初のデザインは、コンバーチブルから描き始められたそうです。デザインを担当した片岡祐司さんは、月面探検車のイメージにそれを求めたと記していますから、オフロード性能などそっちのけというわけでもなかったのでしょう。しかし大径タイヤにのみその性能を委ねた割に、量販車オリジナルの15インチホイールは、つつましいものです。ぷらすBLUEの車高は若干上げてタイヤ径を大きくしてありますが、乗ってみると「どこが?」というほど視点は低いのです。

それゆえに誰にでも扱いやすい、素性がこの四駆にはあります。超長期スパンで車の流行り廃りは繰り返されていますが、SUVからクロスオーバーへ多様化しているようで、実はちょっと洒落たステーションワゴンでしかないのが現実。はてさて初代エスクードのようなジャンルとスタイルへの回帰の時代は巡って来るのかどうか。まだしばらくこれに接していたいので、背筋が凍るであろう伝票が届くのを待っているところです。