パワーステアリングのホース修理はどうにかなったのですが、ラジエターからのクーラント漏れも発覚しており、なかなか戻ってこられないぷらすBLUEです。
ボンネットの塗装代用蓄財が取り崩されていきます。幌のデッキトップ新調は当分凍結ですねえ。
と言ってる傍からBLUEらすかるのエンストトラブルも再発。どうもPCVの劣化のようです。これを外すとエンストしない。外して走るわけにもいかないので入庫。
・・・いかんっ、仕事の足が無くなってしまったぞ!
スズキで初のV6エンジン2000ccを搭載したエスクードが、主力モデルを直4の2000に切り替え、V6は2500へと格上げされた1996年10月。うちではまだV6のH20Aを積んだTA11Wが1年目の頃で、いま交流しているエスクード仲間とも全く知り合いではなく、誰彼と情報交換することも無くV6の2000シリーズが廃盤になってしまったことを口惜しがっていました。初物とはいえ、確かにH20Aはトルクバンドが狭く、4ATは回さないと性能が出なかったのです。
2500ccへのボアアップは改良すべくして登場したことと、主力となったJ20Aが安定株としてこのあと長く活用されていくことの過渡期でした。しかしせっかくの6発マルチシリンダーを4気筒へ換える財力も無いし、同様に2500なんて手が届かんわの子育て1年目でもありました。H25Aの、初代エスクードとしての到達点を体感するのは2005年まで待つこととなりますが、約500ccの排気量差と全体のセッティングの違いは「これに乗ったらもう次は無いかもなあ」と思わされたものです。
詳細は上の写真のレッツゴー4WD編集ムックに網羅されていますが、ジムニーを押しのけてエスクードが前面に出された事例は稀有でしょう(というよりもう他には無い)。これを買った当時、「H20Aは完成の域ではなく」というスズキの技術者インタビューの一言に「なんてことだっ」と地団駄を踏んだのは言うまでもありません。しかもこのあと数年して、Hブロックは2700までボアアップされてしまうわけですから。
というところで、エスクードの話題を唐突にぶった切ってしまいます。
そんな葛藤が地球の一部のほんのわずかな場所で起きていた頃、遥か数億キロ離れた火星には既に米ソ(ロ、ではなく「ソ」)の開発基地が冷戦状態で存在し、ここに地球からの交換留学生が初めて到着した直後、謎の異星軍事力の攻撃を受けるという別の世界の物語が、1996年10月3日に始まります(実際の放送は1985年のこの日)。あとからすり合わせると、TD61W登場の頃って、地球存亡の戦いが始まっちゃう年回りだったのです。
レース自体については、WESTWINには良いところが無かったのでそこは端折るんですが、恋の浦におけるTDAは、土地所有者との合意形成が進み、向こう3年間お試しイベント的な継続開催が可能となったそうです。
お試しも何も、集客力のあるレースなんですから、恋の浦の今後の開発に寄り添わせれば良いじゃないかと思うわけです。
開催にあたってはコース整備以外に電力の課題がありましたが、これについてはトイマンチーズの二人による伝手が功を奏し、72時間は稼働できるバッテリーの提供に道筋がついたとか。こうした手作り感がTDAの伝統とも言えます。
挿絵は以前のもので、17日当日の現地は土砂降りだったそうで、エントラント全員が大変な目に遭っております。
17日に発見したオイル染み。点検したところ、パワーステアリング系統の油圧ホースが32年目にして破損していました。主治医曰く「純正部品出ないんですけど」とのことで、うへーどうしようと途方に暮れながらも、WESTWINで保管しているレジントップが・・・と、まさかそこからホースよこせとは言えませんから、週が明けてから島監督に電話をして、レジントップの車体番号からホースの在庫品見つけられないだろうかと相談したわけですよ。
すると、そういえば彼等、17日のTDAの結果を知らせてこねーなあと思っていたところに
「実は川添君が無茶やらかして、ノーマルタイヤでノーマルサスのままだというのに全開走行でバンプじゃフルボトムですよ。挙句に下回りガリガリに打つわ擦るわで、パワステホースぶっちぎりでリタイアしまして」
これが虫の知らせというやつなのか???
律儀なんだか嫌がらせなのか(さすがにそれはないか)先日、連載の打ち切られたスーパースージー138号(本日発売)が送られてきました。毒づいてもせんないことですが、ページ減(それほどでもなかった)とコスト縮減なら、ジムニーロードに2ページ割いたり、今や目を覆うばかりの絵柄に変貌した漫画家の数ページに原稿料なんか出すなよと言ってしまいますほど、エスクードの話題はなくなり、載っているのはWESTWIN川添君の三代目ショートのみです。
載っていないならここに掲載して、せめて取材に協力してくださったぴるりさんとクロさんへのお礼に換えたいと思います。エスクード誕生35周年の締めくくりはこうなる予定でした。
初代モデルは型を重ねるごとに改良を加える一方で、各部のコストダウンも増加していった。コストダウンは構造材の簡素化などがあげられ、四型から加速したと云われている。つまり初代モデルは三型の完成度が最も高いことになる。その三型が、ほぼ1993年式に集中している。二型から登場したノマドに関してはまた別の時系列があるが、ハードトップとコンバーチブルなら三型の中古車を探せとまで90年代当時は語られていた。
今や同型の個体を見つけ出すことも困難だが、当時物を手放さないオーナーも存在する。今回はハードトップ、ノマドそれぞれの所有者にワンオーナーで30年乗り続けることの本音を聞いた。
ハードトップを所有するクロさんは、就職の際に通勤用として5MTの新車を手に入れた。高校生のときに偶然見かけた小型の四駆を見初めていたという。
「姉に、『ジムニーじゃない、スズキの四駆って何?』と聞いたら、その車はエスクードだと教えてもらえました。初めて運転するのに大きさも取り回しも良くて、『この車』が欲しかったんだ!と感激しました」
日常の用途は通勤。しかしクロさんの行動半径はどんどん広がり、関東一圓、信州、東北を訪ね歩き、寺社仏閣巡りからカフェ探訪、美味しいベーカリーなどをツーリングコースに組み入れている。25万キロを越えたハードトップは、アイドリング不調やスイッチ類の故障が目立ってきた。
「5年前、エスクードのイベントに、初めて参加したんです。自分では調べられないようなトラブルの解決策や部品の提供などを受けることができて、思い切って参加して良かった、やっぱりこれからも乗り続けたい!と思えました」
彼女は初級オフロード走行も始めた。緩傾斜のヒルダウン、緩めのモーグル、キャンバーはマスターした。足回りの伸縮状態などもライン取りと共に目視で確認する。
ぴるりさんは、サンルーフ仕様の5MTノマドを新車購入した。用途は週末、休日のアウトドア活動のためのトランスポーターとして、その都度車載装備を積み込んで海へ山へと出かけて行く。
「カタログに載っていた、真上からのシートアレンジに見惚れて、試乗もせずに買ってしまいました。車体の構成が絶妙のサイズなんです。シックスライト・ウインドウを実用でも体感できる室内空間もいい。一つ不満があるとすれば、パワー・トルク共に非力です」
現在14万キロを走らせ、コンディションは良好だが、やはりエアコンの故障やスイッチ類の動作不良、排気系の触媒トラブルを経験している。
「やれることは全部やろうと、2016年に車全体のリフレッシュ整備を行いました。三代目にはちょっと移り気したけれど、他に乗り換えたい四駆も無かったし、5月登録のクロさんがまだ乗るというなら、10月購入の僕も弱音を吐けませんね。『ワンオーナーで40年』を目指しますよ」
お二方は偶然にも、2018年のエスクード誕生30周年イベントにて初参加された。ぴるりさんのノマドは当日の参加者たちから「今になってこれほど状態の良い個体が現れるとは」と注目を浴び、昨年のミーティングでも猿ヶ島のガレ場を悠然と進んでいた。
取材協力 どんぐり11(笠間市)
その当時はテープが擦り切れるほど再生しました。バブル景気のさ中だったんでしょう、このシリーズとしてランドクルーザーを押しのけてエスクードを先にリリースしちゃったのですから。
同時に雑誌の特別編集版も作られていましたから、各ページに掲載されているエスクードがどのようにして撮影されていったかもわかるのが面白かったし、足回りやプロペラシャフトの直結動作なども参考になりました。
ケース側に載せられているスチルだけでも、4×4マガジンのページそのものだなあと、思い切りの良さというか迫力のシーンに見入ったものですがこのジャンプ、本ソフトのオープニング部分で真正面から撮影しています。しかし別商品の「今だったら絶対に出せない」NGどころか無茶無謀な四駆の走行カットばかりを集めたソフトの方で、着地のときにカメラを一台踏みつぶしていることも暴露されております。まあなんともおおらかな時代だったのです。
それにしてもVHSなもんで、すでに我が家では再生手段がありません。僕はインターネット上に揚げられていた動画で何十年ぶりかで見ることができましたが、違法アップロードのような気がするのでリンクはいたしません。版元がBlu-rayなりDVDなりで再版してくれたら良いのですが、素材もろとも廃盤ですから、無いものねだりになってしまいますね。
前回が7月下旬のことです。再びブレーキ警告灯が明滅したのでボンネットを開けてみたら、わずか1か月で補充した分量のフルードが消失していました。
僕は普段、あまりフットブレーキは踏まない方なんです。下回りも見てみましたが、漏れている様子も無し、あとはブレーキまわりをばらしてみる必要はあるかもしれませんが、別のことに思い当っています。
この夏、駐車待機中にアイドリング状態でエアコンをかけている時間が、累積では相当なものとなっています。ラジエターグリル付近に取り付けてある外気温度センサーは60℃にも達するわけで、エンジンルーム内はかなり熱くなっている。これのせいでフルードが揮発してしまうのか?
急転直下、TDAの試験的再開が9月17日に決まりました。場所はあの恋の浦です。元々現地で湧き上がっていたリゾート開発の方が遅延している中、土地が荒れ放題となるのを防ぐためや、現地の利用勝のアピールという要素が、地主側の発想の中に出てきた。と、ちょっと油断のならない展開ではありますが、朗報は朗報として受け止めてよいでしょう。8月6日、島雄司監督やTDAの常連が試走に出かけています。
「一切合切の旧設備が、電源、給水と共に無くなっているうえ、コースもかなり荒れていました。来月までに最低限の設備投資をしないと、ってところが頭を痛めます」
島監督は、恋の浦におけるダートラ競技からJAFが外れる状況下で使用権原の交渉者として立たなくてはならないため、本業どうすんのよという多忙さを背負います。TA74Wの試走もようやく行われましたが、走らせたことで問題課題も噴出しているので、なんとも時間の無いことが心配です。
いやほんとに本業どうすんのよ?