Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

散歩する惑星

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散歩している場所が地球という惑星。あーどうでもいいタイトルです。BLUEらすかるΩも少しは動かさないと各部が不具合リスクを抱えるしバッテリーも上がるので、近場の林道を散歩してきました。先日の「空間X脱出」の林道ではありません。でもって早速不具合。パイロットランプは点いているのに補助灯が左右とも点灯しません。接触不良か断線か、両方一度に電球切れってことはないよなあ。記録写真を見ると昨年の6月時点では点灯していました。

シートの違いから慣れなかったペダルの踏み加減も覚えてきました。12万キロ台のエンジンは、あらためて走らせてみて健康そのものだなあと思います。実はトルクの出方は全バラ組み直しのオーバーホールを施したBLUEらすかるの方が強めです。しかしそれをやってからもう15万キロも走らせているので、トータルで比べたらΩの方が軽快さを感じさせます。

最大の理由はタイヤサイズが純正規格に近い(現在スタッドレス履いている)からですが、フロントにエクステンションバーとかアンダーガードが付いていない分、程度問題ながらΩの方が軽いからかもしれません。軽快と言ってもそこはV6なので、直4のような瞬発力はありませんが、林道レベルでは時速30キロも使わないから充分です。里へ下りてからも田舎道は法定速度で快適です。

帰宅後に点検すると、配線の一部がバッテリーの下敷きになっていて、これが断線していました。因果関係は不明ですがこれをつなぎ直すと今度はヒューズが飛ぶ。ヒューズボックス側にも劣化の症状がみられ、これは自分じゃ手に負えないと、主治医に作り直してもらいました。バッテリーの下敷きになっている配線に気づかなかったこともいけないのですが、つまるところ、どういう納車整備をやっているんだというところへ遡るのです。あの店についてはどんどん信用を無くしています。

By Your Side

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スズキの新中期経営計画が発表され、顧客に寄り添う趣旨の経営をチームスズキとしてやっていくといったメッセージが、鈴木俊宏社長から投げかけられました。「スズキのファンへ」という言葉は、創業時から続く社是にある「お客様の立場に立って」を引き継ぐものです。ファン=顧客となると、とてつもない幅広さに応じなくてはならないから、最大公約数をもってこの言葉に向かい合わなければ、ユーザーはただ肩透かしを感じるだけでしょう。

会見をもとにした記事

多くのファン層を持つアルトやジムニーなど人気車種は、屋台骨であるキャリイエブリイ同様連綿と継承されていくけれど、「こんなものが欲しかった」というニーズの中にある、カタログ上は既に無いモデルながらまだ愛され使われている車種にまで、その言葉(仮にサービス体制として)は及ぶのかと。マツダがNAロードスターの延命支援を立ち上げたように、です。ものすごく期待できない。ファンというのはメーカーに対してではなく、特定の車種ごとに存在するはずなのですが・・・

東風の30周年

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マツダにОEМ供給されていた「プロシード・レバンテ」が誕生30年となりました。この派生モデルについては10年前に書くだけ書いてしまったのでそちら(上のリンク)を見ていただければありがたいのですが、どうも10年前のこの頃はSX4‐SCROSSが発売されていたらしく、そっちについてはほぼ記憶から抜けています。今年はXー90、三代目エスクード、四代目エスクードとモデル周年が続いていきます。レバンテもその1台に数えられます。

レバンテは1995年から2001年まで、初代と二代目にわたって販売されましたが、この当時は車体の意匠に手を加えるほどのことはせず、ネームプレートやエンブレムが変更されるにとどまっていました(大掛かりなことをできる体力は、無かったというより無駄と解釈されたのかも)。だから中身もエスクードそのままの性能で、珍しさは感じられず見過ごしてしまうモデルなれど、市場ではそこそこの販売台数ではなかったかと、巷で見かける個体数の多さから想像していました。

今振り返ると、10年前のブログに書いたように、「プロシード」「レバンテ」の秀逸なネーミングセンスが、さすがマツダだねえと思わせます。

空間X脱出

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先月のことですが、今まで一度も右折したことの無いとあるT字路をこの日何故か右へ行ってしまったのです。すると案の定、集落に行きつくまでは1.5車線あった舗装道路がぎり1車線になり、あーこれは山の神遭遇コースだなあと思っていたら、やっぱり集落の奥つ城で森が口を開けていました。好奇心に負けてちょっと入り込んでみたのですが、案の定そこはかとない危険な雰囲気に圧をかけられ、さらに山の奥へ続いている林業としても廃道化した地点で引き返しております。

うちの裏山では感じない、いやーな圧力。そういうこともあるよねーと引き返す途中、砂防ダムの手前にある沢筋の橋に乗り入れたら、橋に堆積した泥や枯葉で後輪がずるずると滑り始め、あやうくガードレールに接触するところでした。無論ここでトランスファを切り替え前輪のトラクションで何事もなくその場を脱したのですが、これはもう罰が当たったかのようです。

実に久しぶりの不気味な体験でした。林道や峠は越えられてなんぼですが、こんな状況に踏み入れてしまったときは、勇気をもって撤退するが吉です。

「ほぼ」週刊エスクードを作る 06

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ルーフエンドスポイラーに続きスペアタイヤと剣先スコップ、ルーフレール、フロントガードと補助灯、エアロバグガードなどを組みつけました。ここで大失態をやっています。各パーツを接着する際、定位置に一発で置くことができない。ピンセットや爪楊枝を使ったのですがそっちに癒着してしまい、せっかく仕上がった塗装面に接着剤があちこち付着して、化学反応を起こしてしまいました。マクロ撮影すると肉眼ではわからない塗装の粗さも散見されます。まあひどい出来栄えです。

こんな仕上がりではこれ以上連載を引っ張れねーぞと、今回で作例のお話は完結するのですが、実はTA51W(と思われます)であればその昔、1/18くらいのサイズでプルバックゼンマイ仕掛けを仕込んだ玩具がありました。これの元の成形色がマイアミブルーメタリックⅡに限りなく近いスカイブルーでした。当時TA11Wに乗っていたから、そっちに塗り替えてしまったんですよねえ。ことさら後悔するものでもないのですが、自分の所有車のミニチェアはやはり欲しいということです。

1/43というスケールでTD11Wがリリースされたことは初代ユーザーにとっては慶事でした。もっとも僕はTD01Wと61Wしか所有していないので、51系車体のミニカーを切望しているのです。それはおそらく「今後も無い」でしょうから自作をやってみたくなったけれど、結果的には下手くそな腕前であることの確認作業となりました。これにて「『ほぼ』週刊エスクードを作る」の連載はお開きです。お見苦しい企画ですみません。おあとがよろしければ何よりです。

塗装面の艶と傷み

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BLUEらすかるΩにガラス系コーティングを施してもらいました。車庫から持ち出す際、すでにスギ花粉でコーティングされていました。ろくに動かしていないこともありますが、これはつくばーど基地の立地環境によるところが大きいのです。コンデジも予備機の新しいのを使ったのですが、撮影用調整がまだのためになんだかぼやけた画像になってしまいました。見事なほどの空の映り込みなんですよ、ほんとは。

 

今回、BLUEらすかるは洗車機コーティングにとどまったせいか、汚れが落ちても塗装面の劣化は顕著だなあと思わされました。もう3年くらいコーティングしてないから、鉄粉なんかもかなり吸着しているし。特にエンジンフード先端にはあちこちで跳ね石をくらったピンポイント傷が塗装面をすべて剝がして地肌を露出させています。錆びてこないのが健気ではありますが、そんなのを気にしていて(気にしろよ)四駆に乗れるかって。

スタンドに預けに行くときは雫さんがBlueらすかるΩを運転、僕がBLUEらすかるで後ろを走ったらば、すれ違う車の運転手が何人か、「あれっ?」「おやっ」という顔をしてました。初代のエスクードで同じにしか見えない2台と立て続けにすれ違えばそうなりますかね。でも果たして「おぉ、エスクードの初代だ」と思ってくれた人がいたかどうか。考えようによってはそういうのとすれ違うのは貴重で幸運なはずですが、他人には通じないね。

10年ひと昔とふた昔

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2005年、43万キロを走った先代とるねーどらすかるのあとを継いで走り出したBLUEらすかるは、その後10年で52万キロ台までたどり着きました。東北勤務だった頃のことで、この走行距離で2015年に年越ししています。フレームに腐食が発見され溶接修理をしたのはこれよりずっと前ですが、車体のあちこちの錆が顕著になって頭を抱え始めたのが10年ほど前になります。ぱっと見にはそんなふうには感じられない姿ですが、見えないところはすごいのよ。

ちょうど2025年への年越しで95万キロを刻みました。差分で記すと、この10年において走った距離が43万キロ。奇しくもとるねーどらすかるが残した記録です。車体の錆や腐食は当然拡大しているし、オーバーホールをしたからこそエンジンは正常ですが補機類の老朽化が目立っています。それでも先代の記録を超え、尼崎に在った伝説のエスクードの最長不倒距離を上書きし、現役で走れています。今は昔というより、今しかない。そんな気分です。

「ほぼ」週刊エスクードを作る 05

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二次塗装を行った本体の乾燥は済みました。試しにマスキングを剥がしてみました。自動車用マスキングテープの糊の強さは半端なものではなく、やはりハイストーリーの元の薄い塗装に悪さをしていました。糊自体が固着してしまったり塗装を剥がしてしまったりで、ツートンカラーの腰下の金系は見られたものではありません。凸凹を削り取り磨き直して再塗装するための作業を、例によって雑に行っているところです。青系の塗装は何度か吹き直しをやりました。

ここから先の塗装は面積的に吹き付けが面倒。というよりマスキングが億劫。細かな部分の修正塗装や上塗りもあるため、こんなこともあろうかのガンダムマーカー採用です。なぜかというと、例えばフロントフェンダーのウインカーレンズなんてたったの二か所で2ミリ程度です。ミニボトルのクリアオレンジを通販で買おうとしたら、単価はまあまあだけれど注文は3個からとかぬかしやがるのです。たぶん1滴か2滴の必要量に、そんなもん買えるかと憤慨してのことです。

ガンダム系のプラモデルなんて、それこそ最後に作ったのはいつのことか覚えていないくらい過去の話。ガンダムマーカーの存在は知っていたし別の小物塗装に使ってもいましたが、それらはガンダム用とか量産型ザク用程度のいわゆるアニメ版オリジンカラーでしかありませんでした。最近のは銀系から黒鉄色までどころか、金系、オレンジ系などすべてメタリック塗装の出来るセットがあります。これでツートン部分もグリルも背中のスコップも、もちろんフェンダーマーカーも塗り分けられる。

しかしソリッドの赤や黒、白といったものはオリジンカラーを選ぶしかなく、手持ちのガンダムマーカーも中身が固着してきて塗りにくいので新調することにしました。残る問題は、ローガンズとなった自分の視力と、指先の震えです。この作業と同時に、タミヤのミリタリーSASジープからスコップとホルダーに使えそうな部品を切り取り、スペアタイヤへの接着を開始します。ルーフレールは華奢すぎるので最後の工程に回します。

「ほぼ」週刊エスクードを作る 04

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二次塗装の乾燥をやっている間に、いろいろ失敗の記録をあげてみます。まず実際のクルマ用のマスキングテープが失敗。粘着力が強すぎて剥がれません(どうすんだよこれ)。ひょっとするとこのテープの糊に悪さをされてツートンカラーの金の部分、ミニカー塗装のままの方が剥離してしまう懸念が出ました。次にタイヤとホイールを某トヨタの四駆から剥ぎ取ろうとしたのですが、サイズが大きく「これはいいぞ」と思ったのにエスクードのホイールハウスにおさまらない。

ホイールのスポーク形状を変えようと製品のスリットにパテ埋めを始めていましたが断念。この作業でエスクードも車体をバラしましたがなんと、ガソリンタンクが成型されていない! てことで作ろうと考えていたタンクガードもやる気が失せております。ハイストーリーのミニカーは決して台座から外して下部を見てはなりません。ついでに言うと前後のサスペンションも作られていません。隙間が無くて新造も困難です。前回、塗装のクオリティを褒めたのに―。

某トヨタ車から剥ぎ取れ流用可能なのはルーフレールのみ。この二本でパーツ代換算8900円という贅沢品です。が、この細さ。上に載せる予定だったルーフラックもレールの強度を考えたらまず無理。これで某タミヤの1/35ミリタリー車はほぼ使い道が無くなりました。まあいいや、適度な大きさの「剣先スコップ」がパーツとして取り出せるから。

というわけで「ほぼ」週刊なので今回は1日前倒しました。明日は節分です。ことしは節分も前倒しな暦なのです。暦の運行も案外「ほぼ」なんですよ。あっ、今回と次回は、ほぼ中身のない記事が続きます。いーんです、購読料は発生しないんですから(なんかあの手の商品に喧嘩売っているなあ)

 

遊牧民の値段

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話がジムニーですからまあ無責任にもほどがあるようなことしか書きませんが、ジムニーノマドとやらは「シエラ比60万円プラスらしいです」と、Cyber‐Kさんが教えてくれました。これは本体価格のことでしょうから、登録など諸経費を加えた、4ATの乗り出し価格は値引きを0と考えた場合、300万円をちょっと出るくらいでしょうか。勘違いしてはならないこととして、ジムニーと言えども車格は1500ccの小型車だということで、当節そんな価格帯なのねと思わされます。

36年前に1600ショートの限定車を買ったとき、エスクード・ヘリーハンセンリミテッド(5MT)の乗り出し価格が265万円でした。その後93年にGリミテッドノマド(4AT)を買い足したら243万円、さらにヘリーハンセンを下取りにして手に入れたカタログモデルのV6ハードトップ(オプションてんこ盛り4AT)の乗り出しが250万円。そうかそのあたりが利益回収できる範疇かと勘繰ったものです。

ジムニーノマドとやらの割高感は否めませんが、89年から95年にかけての経済情勢や物価変動を比較して考えると、今では小型車版ジムニーも300万の壁を背負うんですね。それだけ立派になったんだと思えば文句の言いようもないでしょう。エスクードのノマドだって、出てきたときには内装がチープだの質感が安っぽいだのと散々な言われ方をしてましたから。

ノマドはノマドの再来となりえるのか。エスクードの方は前世紀に無くなっちゃいましたから、ここを比べても意味がありません。そうだと思える人にのみ遊牧民は戻ってくるものとイメージしています。

どうせうちのエスクードは「5ドア」で「ノマド」のサブネーム剥奪されてるもん(笑)