Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

万事急須~間違ってるけどこれでいいのよ~

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エスクード・ターボの話題で後回しになっておりますが、ミステリーものの連載が終了したインターバルタイマーの人として、何度目かのR田中一郎とご一行様の登場でした。春高光画部って、あの当時の時間軸のまま活躍しているのがほんとにうらやましいことですが、いつのまにか天野小夜子さんにも大学受験準備のときがきています。引退したい彼女に対して次の部長はいったい誰に? という結末は次の話に先送りだそうです(次って・・・それいつの話になるんだ?)

しかしずいぶんまともに光画部とは写真を撮る部活なのだよというエッセンスを入れております。かつての師匠と言われる新谷かおるさんの「シリーズ1/1000sec.」に何気にオマージュしているところがおぢさん世代にはにやにやさせてもらえる展開です。

が、ほぼ必要な要素を煮込んでいるのだけれど、面白かったのかというと転げて爆笑するほどのことではなかった。すっかり耐性がついてしまったからだろうか? いやどちらかというと習慣性の影響かもしれない。

やっぱりこの漫画は連載が続いてなんぼなんじゃないかと思うわけです。1話完結故に読み切りをたまーに繰り出されると、禁断症状の元を刺激しやがるのです。

どうすんだよ読んじゃったよ。これでまたしばらく次までフラストレーション溜め続けるのかよ(笑)

あゝ・・・バンジーキュウス

 

 

よもやこの記事を見るまで「あ~る」の読み切り掲載誌が出ていたことを知らなかった人はいないと思いますが、本が出たのが24日のことですんで、もう書店にはありません(まさしく万事休すだわ)

迷惑千万な彗星

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多くの人がレビューで「夏祭り」と勘違いしてるけれど、この場面って10月で「秋祭り」だよ。

今頃になって「君の名は。」のことを書いても乗り遅れもいいところなんですが、あんなに世間が盛り上がっているときに迎合して観になんか行けっかよ(笑)という天邪鬼だったので、今さらの今頃なのです。

ちょっと驚いたのは、監督の新海誠さんは、彼にしてはこれまで世に送り出してきたいくつかの作品とは趣を変えているんだなというところで、突き放されて切なく終わることの多かった作風が、そこから先へコマを進めた感があります。

配給会社のコントロールが入ったからであるとか様々な要因による構成だそうですが、これはこれで「よかったよかった」と思えるエンターテイメントで、新海らしくないともいわれるけれど、いろんな都合の整合の有り無しも含めて良いんですよこれで。

思わせぶりなタイトル(ただしこの作品には「。」が付く)、逢えないかもしれないすれ違いという昭和20年代のラジオドラマのあちらの方にあやかったふりをして、まずまず面白い物語を作り出したと思えます。公開当時の評論家の論評を読むと、興行成績に対して意外と辛辣なものもありますが、若い人たちの反論に「大人の論旨を押し付けるな」というものがけっこうあり、それはその通りだと感じます。

それにしても、物語の軸となっている彗星の最接近と核の分裂による地表落下が、接近周期ばかりでなくピンポイントで同じところに落ちてくるというのは、はた迷惑な話です。おそらく1200年後の最接近時にも、またもや糸守のあたりは大騒ぎになり、その頃人類が滅んでいなければ、宮水神社の子孫の娘が誰かと「入れ替わり」を果たして危機回避を遂げるのでしょう。

あの彗星ティアマトがいつごろから物語上の軌道を描いているのか知りませんが、糸守の町で確認できる現代以前の落下痕跡はふたつ。湖となっている隕石痕が平安時代くらい? ご神体といわれるクレーターらしき痕がその前にも落ちているものだとすると縄文時代の終わる頃となり、彗星のことに限って「前前前世」となるとまだまだ縄文時代ってことになるのか?(ほんとにつまんねーことばかり書いてるなあ)

もう一つはソフトならではの特典というか、RADWIMPSの楽曲を英語版にトラックできる点で、その方が劇中で煩く感じないような気がします。

それからおぢさん的な蛇足を書いてしまうと、この映画でぐっときたぐっときた若い人たちに、今じゃなくていいから何年かあとにでも「HEAVEN CAN WAIT」という洋画を観ていただけたらと思っております。邦題は「天国から来たチャンピオン」。9割までラブコメですが、ラストの余韻は「君の名は。」の大人版ともいえるので。

 

紅と銀

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去年の7月に「百万馬力」を書いたときと比べると、紅い方の造形がまるで違っている。ましてや銀の力が加わるとは想像の斜め上を狙っています『BraveStorm』。作り手が別の人なんでしょうか、それとも昨年ちらっと流れた紅の方は、あくまでもパイロット版なのか。

まあどうせリブートだというなら思いきりやっちゃった方が良いとは思いますが、ほんとに思い切ったなあこの造形。

出来不出来はともかく、和製アペンジャーズをやりたいのだとすれば、このリーグはそこそこの広がりを得られる。バロンと名の付く巨大ロボット以外に、仮面の方はちょっと似た巨大サイボーグがいる。今回の銀の奴が輝く強化服なら光速の少年も引っ張り出せます。

宣弘社がかつて世に出したヒーローはこれだけではなく、まさかの月よりの使者とか隠密の侍とかもう枚挙にいとまがない。ただリアル趣向で勘違いしてそうなのは、エイリアンクリーチャーをグロにし過ぎなところ。不快感が先に立ったら成功しないね。

初代、のその前

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「ウルトラマンの日」に因もうと思ったけれど、そんなに毎年毎年同じ日付に違う切り口でウルトラマンを綴るのも限度があります。生誕半世紀が経つなか、触れられていないのは「彼の本当の名前」くらいのもので、そこをいじろうとしない人々の良心の年月とも言えます。でも、彼が今尚「初代ウルトラマン」と呼ばれることに功罪が無いわけではなく、それじゃあゼットンに倒された彼を支援にやってきた「ゾフィー」の立ち位置って何なのだろうと悩みたくなるのも煩悩なのです。

便宜上の括りとはいえウルトラ兄弟の長兄にあたり、企画段階では「ウルトラマンの実兄」という考え方さえあったゾフィーは、初期にゾフィ、後にゾフィーと変遷しながらも、最初から実名を名乗っています。バラージの古都に祭られていた「ノアの神像」が誰なのかという議論もありますが、大方の意見は五千年前に地球を訪れた「まだウルトラマンと呼ばれることのない初代ウルトラマン」という見方が定説です。しかしあれがゾフィーではないのか?という考え方も全否定はできないでしょう(最近は、容姿はだいぶ違うけれどウルトラマンノアだろうと言われ始めていますが)

ウルトラマンメビウスの時代になって、過去の回想が行われたとき、ゾフィーは初めて科学特捜隊のサコミズパイロットと冥王星軌道で邂逅し、地球人を密かに見守ってきた旨の対話をしています。ゾフィーもまた、初代がゼットンに敗れたとき初めて地球に飛来したわけではないのですが、人類がファーストコンタクトを果した相手としては初代が先に認知・記録されてしまった。

ゾフィーにしてみれば、宇宙警備隊の同僚がうっかりベムラーを取り逃がしてしまい、自分が担当していた太陽系に逃げ込まれ、えっおいなにそれとかやってる間に同僚が地球人の乗ったパトロール機と接触事故を起こしてしまったばかりか、死なせてしまった地球人を救うために躊躇なく融合してしまった同僚に驚きながらも、あの危なっかしい状態では心もとないと太陽圏外延部にとどまり外敵を遮断していたのではないかと(その割にはけっこうたくさんの異星人が地球に侵入しましたけど)

だから彼はウルトラマン・ゾフィーであり、初代ウルトラマンにはなりえなかった。

この流れはあくまで邪説ですが、サコミズに対してゾフィーが告げた

「人間よ、ついに自力でここまで来たのか。やがて君たちも我々と肩を並べ、星々の狭間を駆ける時が来るだろう。 それまでは、我々が君たちの世界の盾になろう。次に会う時が楽しみだ」

という言葉からは、ゾフィー自身もだいぶ昔から地球圏に来ていたのではないかと想像できます。対して初代は「ベムラーを追って地球にやって来た」M78星雲の宇宙人です。地球人類はこちらをウルトラマンと名付けたので、それはそれでいいんだけど、初代より前にいたとしたら、初代のその前は何と呼べばいいんだろう?

やっはり「元祖」とか「本家」?

気易く容易く

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マジンガーZが新作劇場映画になったり、機動警察パトレイバーの新作テレビ放映が決まったり、巨大ロボットアニメーションのコンテンツは枯渇を知らないようです。復活とかリメイクという手法自体は今に始まったことではないので、作り手が世代交代しても引き出しから取り出したい素材なのだということを、もはや受け入れなくちゃダメなのねと思わされます。

 

過去の掘り起こしではない全くの新機軸が皆無とは言いませんが、作り手には自分のオリジナルで挑んでほしいとまたぞろ言いたくてしょうがない。

いやなんというか、在りものの加工はほんとにイージーにできるんですよ。各部の機構を考えて大きさ決めてデザイン起こして・・・とかやってたら、確かに手間も時間もお金もかかるから。それで考えてみると、出来不出来のばらつきが大きいながら、パトレイバーを特撮で作った功績は、とりあえず功績なんだろうなあということを認めざるを得ないのです。

星よりも永い命

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永遠にも等しい命を持つ超人ではありますが、その生誕から半世紀だそうで、出典の原点が同人誌とはいえそこから数えれば、「超人ロック」は同一人物が主人公として描かれている日本最長の漫画です。

たぶん基地の屋根裏には復刻版だけれど作画グループ時代の軽印刷版も含めて蔵書が残っているはず。それらと出会っていたのが生誕11年めくらいだったのだから、こっちもいいかげん歳食ってしまったものです。

当時だと茨城の田舎では月刊OUTも含めてそんなもの手に入るわけもなく、月に一度か二度、神保町の書店街へ繰り出して漫画本の買い出しをしていて、ロックやらスター・シマックやらを見つけ出していました。それらが半分商業誌的な雑誌に掲載される頃には、雑誌も利根川を渡ってきていましたが、コミックスとなると田舎の書店では敷居が高かったのです。

そういう記憶に始まり、ロックが少年キングでの連載を開始したときには時代が変わったなあと驚きましたし、かなり早い時期にネット掲載へと展開していくことに、取り残された感もありました。だから今は、新刊を見つけるのは偶然に頼っています。超人ロックだけに絞って言えば、先取りのセンスと古典的な感覚の入り混じった作風は素晴らしい瑞々しさがあるものの、聖悠紀さんももう少しすると古希。星よりも永く描き続けてほしいというのは無茶なお願いですねえ。

東京ガンプラ・コレクション

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もうね、宇宙世紀から飛び出したシリーズなんか知りませんよ。だからこのモビルスーツについてはネット検索で出自を知りましたですが、同行した部下がこれを見つけ

「どうしてこんなところにベアッガイFが置いてあるんでしょ?」

と言い出したものの、仕事中だったのでスルーしたのですよ。

その後部下がこっそり撮影していやがったので没収分けてもらい、見てみるとなかなか丁寧に作り上げてありました。それにしても確かに、源流のアッガイではなく、ジュアッグとかアッグ、アッグガイなどでもなく、よりによってこんなやつなのかがもう謎。

部下曰く

「ベアッガイⅡがベースという設定のベアッガイIII(さん)から改造されて登場するのがF(ファミリー)で、これが出てくるまでにビルドファイターズから外伝の炎を経て続編のトライという番組変遷が・・・」

うるせーばかやろー俺の知らねーモビルスーツのことなんかどうだっていいんだよっ

以上、山形県内の某事務所の、えらーい人の執務室からでした。

凝り性の意匠

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「獣奏剣」が届きました。

何のアイテムかと言えば「ドラゴンレンジャーがドラゴンシーザーを召喚する」ために用いるダガー。1992年のスーパー戦隊・恐竜戦隊ジュウレンジャーは、衣装やらツールやらのデザインに秀でたものがありましたが、6人目を登場させたり、いわゆる2号ロボを単なる1号ロボのパワーアップパーツだけとして扱わない独立した活躍の場も見せるなど、目を引く場面が多かった。

それにしたってドラゴンシーザーにゴジラばりの動かし方をさせるかと思えば、変形した剛龍神なんか戦隊ロボ屈指の男前なんですが、それに輪をかけて男児用なりきり玩具のデザインと音声再現は凝りに凝っており、商品を売るというより作り手が趣味全開でやっちゃったんじゃないかという出来栄えでした。

それの「15歳以上向け」(笑)版は、つまり子供向けサイズではない一分の1再現。各部のパーツに金属製品を使ってわざと重くしているし、当時のチップよりも高性能化した音源記録は電池の続く限り奏でるし(当時の玩具は長時間収録できなかった)、安全対策として軟質樹脂を使った刃にも金属風塗装が施されているしの凝りようです。

付属のライナーノーツをみたら、当時は知らなかったけれど、後に超合金魂シリーズを手掛け、うちの家計を苦しめやがった(失礼)野中剛さんの作品でした。その制作記は、やっぱり「こういうのを作りたい」という凝り性ぶりが延々と綴られていましたよ。しかしこの商品自体がアメリカのパワーレンジャーものとしてリリースされた経緯があり、その再販だというのはコスト的に商売っ気あるなあとあきれるばかりです。

遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・

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本国で「エピソードⅣ」が封切られてから、今日でちょうど40年。日本での上映はさらに1年後ですが5月25日ではないので、あわや来年、スズキエスクード誕生からちょうど30年という日とぶつからずに済みました。

宇宙活劇物はそれでも、この映画以前は欧米でも躊躇するジャンルだったかもしれず、この映画にしたところでダース・ベイダーのあの不細工な造形だったら、まだ「超電磁ロボ コン・バトラーV」のデザインの方がましだろうと思ってました。

しかし特撮づくりの本気度が違い、その特撮にしたところで日本では仮面ライダーもウルトラマンも休止していたアニメーション台頭の時期。それらがサブカルチャーにさえ引っかかっていない時代に、スターウォーズの封切りは「こんな単純明快な物語をここまで見せる」と、映画雑誌の記事だけを頼りにしながら驚かされたのです。この時点では、まだ放送前の「無敵超人ザンボット3」を知らないわけですが、せめてザンボットが先に来てくれていたおかげで、同年暮れの『惑星大戦争』を観てしまって大いに落胆したダメージをいくらか和らげてもらえた記憶があります。なにしろアニメーションの方ではすでに「宇宙戦艦ヤマト」から時間が経過していましたから、あれがあるのに特撮だとこれ?(惑星大戦争)という出来栄えだったので。

スターウォーズが少なくとも9つのエピソードで大枠を構成しているという話は、日本公開のあとに知ったことでした。なぜいきなりエピソードⅣなのだ? という疑問は当然、好奇心を持続させる仕掛けにはまったものでした。ただ当時、ジョージ・ルーカス氏でさえ「資金がないから全部作るのは無理なんで、6作くらいでやる」といった発言をしていて、その6作をすべて観終えるのに2005年までかかるとは思いもしませんでした。そしたら昨年から残りの3作が始動するなど、そういう時間軸で世代を超越して楽しめる大河ドラマだったことを痛感します。

振り返ると、エピソードⅣでまだ自身の素性も知らない少年ルーク・スカイウォーカーが閉ざされた人生に悶々として、空虚な心境で暮れてゆく空を眺める姿は、当時の自分を見ているようだなあとあらためて考え込んでしまいます。この映画は、来年も「日本公開40年め」という話題を引っ張れますが、なんだかわかんないけどすごいのがアメリカで出来た。というインパクトは、特撮からアニメーションに移行していた自己内カルチャーに強烈な一打を叩きつけてきた出来事でした。

一つ確かなことは、ほんとに遠い昔の出来事になっちっゃたよという歳食った自分(笑)

 

敵を欺く影、影、影!

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宮古で仕事が早めに終わって時計を見たらば、仙台のレイトショーに何とか間に合うということで、「破裏拳ポリマー」を観ようとひとっ走りしましたですよ。冒険活劇だけに冒険しちゃって、東北じゃ仙台の1館でしかやっていないのですよ。いやしかしあんなの(笑)に約2時間もの尺で映画作るとは。と驚きですが、2時間あればまあまあ見せ場がちゃんと確保できるものだなあとちょっと感心。それでもポリマーのあれとかそれとかこれを描ききる余裕はなかったようです。

でも、ドラマの仕立てはそこそこ面白かった。格闘をやる人の目から見た場合、破裏拳の形であるとか組み手の良し悪しがどうとかあるのだと思いますが、まあいいんじゃないかなと思えました。ただやっぱりこのスーツがかっこわるい。正面から見るとどんぐり頭なポリメットもかっこわるいのでした。