キッチンの床に放置してひと月ちょっと。 割れてた何個かは腐ってしまいましたが、 大き目なやつは普通に赤くなりました。 ・・・うちってナニ? ざく切りにしたキャベツと裂いたヒラタケ、 ぶつ切りにしたウインナーと一緒に煮てスープ。 意外な事に、結構しっかりトマト味がしました。
青いトマト、その後。
今が旬です
勝者のカツ丼今は無く
先月の林道行きにて、青影さんから「真壁のあの蕎麦屋はまだやってますかね」と問われて、何年か前には訪ねていたので「やってるはずですよ」と答えたものの、なんとなく嫌な予感がして、先日真壁に出かけてみたら、
その予感が的中してしまいました(よく考えたらGoogleマップでも確認できるんですが)
蕎麦屋ならではの、カツ丼がうまい店だったのです。にもかかわらず、筑波山の林道を駈け下り、開店直後に飛び込んでもなお
「カツ丼、今日はあと4人までね」
と、そりゃいったいどういう仕込みなんだよとぶつぶつ言いながら、ツーリング参加者のうちカツ丼を頼もうとした4人以上でじゃんけんになるという、その展開から勝手に「勝者のカツ丼」とまで命名していたのですが。
僕はこの争奪戦では一度も勝ち残れませんでした。
いやまあ、個人で出かけて行って食ったことはあるんですけどね。
一昨年の大晦日に家内の実母が無くなり、昨年3月には僕の親父が逝去しました。親父の喪はもう少し続きますが、親父だからもういいや、で、本年は年賀の戯言を書かせていただきます。
その昨年、半年にわたってTD61WのV6エンジンをオーバーホールに費やし、下半期はほとんどこれに乗ることがありませんでした。エンジンを預ける際、やれることはすべてやってほしいと依頼し、まさか半年もかかるとは思いもよらず、その後はもう「乗り掛かった舟」の心境で待つこととなりました。英語圏では「船は海に出たら進むか沈むかだぜ」と云うらしいですが、勢いで敢行したオーバーホールは部品ストックの枯渇(メーカーが保管コストを削減するため部品を放出してしまった)に阻まれ、待てど暮らせど車が戻ってこない日々が続くのでした。
この故事、『隋書・独孤皇后伝』によれば「大事すでに然り。騎獣の勢い、必ず下ることを得ず」とのお言葉で、「ここ一番のときですからねー。虎の背なんかに乗って勢いよく走り出ちゃったんだから、振り落とされたら食われて命はありませんよ。そんなわけでもう下りることはできないんで、努力して下さいねっ」とのこと。努力してねと諭されるだけで振り落とされずに済むなら世話ねーよ、です。
かくしてBLUEらすかるは、車検切れ直前に2500ccの6気筒に火が入り、無事に息を吹き返しました。なんだかどこかのヒーローが絶体絶命の淵からパワーアップして蘇るあれみたいです。オーバーホールしただけなので、パワーアップなんかしてませんけど。とはいえ、おそらく現存する同型エスクードのいずれの個体よりも、エンジンと、新調した足回りだけは優位に立っています。フレームと車体の方は、ディーラーに見捨てられたくらいに満身創痍ですが。
さてこの個体、現在820000キロ。騎虎の勢いで走り出したら、もう力尽きるまで往くしかありません。何処へかって、オドメータを一周させることですよねやっぱり。
小躍りする愚かな夫婦
遅めの朝食(と言うより昼食)
一丁焼の鯛焼き
「何かお店ができてる」(雷蔵)
「鯛焼きって書いてあった」(風花)
「時期は良いけど流行るのか?」(新月)
などと話しながら素通りしたのです。そしたらこの鯛焼き屋、知人の小沼君が11月に開業した店舗で、町なかの評判だと「午前中で売り切れている」というものでした。小沼君と言えば、この独立以前は近くのコンビニエンスストアの店長をやっていて、過去に2年だったか3年だったか、北関東の店舗エリアでクリスマスケーキの売り上げを連続首位という快挙を成し遂げた人物。この逸話は、NHKのアーカイブで閲覧できるならば「ドキュメント72時間」が取材放送しています。
過去の話は置いといて、「たいやきおぬま」を訪ねたらば、四谷見附の老舗で修行してきたという彼は、1尾ずつ焼き上げる一丁焼きで、丁寧に鯛焼きに向かっておりました。餡子は小豆一本しかないという潔さ、その小豆も自ら畑を起こして栽培しているそうです。運良く30分待ちだったので10尾注文し(そんなに頼んだもんだから次の瞬間60分待ちにしてしまったのは俺です)、これを買い求めて持ち帰りましたよ。
そんなわけで、これはEレイドにて扱わせていただこうと、課題28に掲載しました。
思った程は。
気が付く人はいるんだなあ
土浦市から国道125号を下妻市方面へ走り、つくば市に入ったところに所在する「キャニオン」は、創業51年になる老舗の和風レストランです。半世紀前、嵐田流星の父親に連れられて、だるまセリカでここへご飯を食べに行ったことがありますが、創業者は3年前に亡くなり、二代目に引き継がれて繁盛を続けています。
で、この露出オーバーを補正した写真は、つい先日のもの。古い雑誌からの切り抜きではありません。
この七代目スカイラインは、現店主の平田さんが手を入れている、お店の看板でもありましたが、心無い輩にいたずらされたこともあり、しばらくの間、店の敷地の奥に仕舞われていました。だからこの日のみ、常連さんは目ざとく気付き、「なんだどうした?」と食事に来ながら珍しい光景を見たとつぶやいたとかつぶやかなかったとか。
「すいません。僕がお願いしました」 ←なにを始めたんだか
このままその話をしちゃうと「美味しいことは最高だ」にならないので、美味しい話に切り替えますが、この店の半世紀にわたる看板献立はAセットと呼ばれる和風洋食が有名です。ハンバーグ、エビフライ、カキフライを一点ずつ二つ組み合わせるという選択肢。創業時から伝わるのはハンバーグとエビフライの組み合わせです。筑波スカイラインから八郷をめぐり、ここで昼食というツーリングルートが、多くの自動車好きの定番として、やはり半世紀続いています。
このところ、窓際からの定位置には、平田さんの妹さんが所有する3ドアマーチが停められているのですが、以前の窓の風景はスカイラインでした。もっと昔だったら、創業者の「クジラクラウン」でした。光岡のガライヤがあった時期も。お父さんの味を受け継ぎながら、平田さん自身も無類のクルマ好きであることが、二代にわたって人気を呼んでいます。Aセット、リーズナブルで美味いです。フライに寄り添うタルタルソースがまた濃厚で素敵です。
なにを始めたんだかは、内緒です。が、翌日通りかかったらまだ置いてあって、土曜日に食事に行ったらこの位置に定着しちゃいましたよ。
「雷蔵さんのおかげで元の位置に出てこられました」
そう言われるとなんかこう、責任感じちゃうよなあ・・・と思っていたら、日曜日にはマーチに戻っていました。やれやれ