Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

105年目の峠

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震災以降、というよりあの冬に雪崩災害などがあって、長いこと立丸峠には近づいていませんでした。この国道バイパスなどは、5年前の夏に林道に出かけてきたときにはまだ工事中で、前方の山は切られていなかったように思います。うちのカーナビゲーションで仙台から宮古をルート指定させると、花巻から遠野経由でこれを通り、川井へ出て宮古に入れと指示してくるほどの最短距離コースです。

立丸峠2015しかし酷道とまで言わぬまでも、ここから先の後衛山を横断する立丸峠の宮古側は、舗装化されているからこそ対向車には出会いたくない急峻で狭隘なコーナーの連続区間が残っています。だから災害復旧が終わっても、好んではいかないルートで、峠を越えにやって来たのは実に四半世紀ぶりにもなっていました。リンク先の写真は宮古側、今回の写真の反対側です。この遠野側も以前はここまで幅員が無かった。今を去ること32年前、宮古からここを抜けてきたときは全線がダート。熊とも遭遇しました。

立丸峠2015a今、この峠は約3キロちょっとの2本のトンネルと道路改良で快適に越えられるようにする工事が進んでいました。昔からある看板も、昔は「早期実現を」だったものが、いよいよ開通予告をするまでになっています。峠前後の山麓はバイパス化が行われていたわけですが、実に30年越しの実現なのかと思うと、あのダートを知っている自分でも感無量な気分です。遠野物語編纂からは、105年めの夏。2本のトンネルのうち1本目が貫通していました。もう1本も秋には着手するそうです。

4号ってそっちだったのかよ

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変身dビデオとやらではとっくに完結しちゃっている話なのでまたもや今さら感たっぷりですが、9日にソフトが出て初めて観たんだから今頃書くしかないのです。

仮面ライダー555(ファィズ)は、5ばっかり並んでいるようでも、実はクウガ以降4人目のライダーなのです。

クウガって20世紀の番組だし平成と絞ってもクウガ以前に4人もいるため、クウガの基準値は未だに違和感を覚えますが、とりあえず555はテレビ番組ベースの平成ライダー4号(それでもRXを無視せねばならない)に相当するのです。

この「仮面ライダー4号」には、まあショッカー謹製変な4号が小生意気にも登場してきますが、実際には4番目の男、乾 巧の物語のようです。555の世界観は、リアルタイムで見ていた人でないと解らない、というより感情移入するために2003年の一年間がどうしても必要な主人公。宿縁を背負った者同士の再会と決着が、今回の物語に用意されていた仕掛けでした。

オルフェノク乾と対峙する海堂直也は、あの当時の子供たちには理解しにくかったかもしれないけれど、12年経った今だったら、たぶん解るんだろうなあ。ちくしょー、変な4号なんか要らなかったじゃねーかよこの番組。こういう脚本書けるんだったら、それこそ怪人も戦闘員も要らない、存在だけちらつかせるショッカーで充分。つまり配信チャンネルなんてけちらないで良い、地上波9時台のドラマが成立したと思いますよ。

 

海堂役の唐橋充の、飄々とした人を食った芝居を久しぶりに見せられて、やっぱりオルフェノクって哀しいなあと実感。

四年と半年の夜

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外回りあの震災の夜は、それこそ他者との連絡のしようも無い混乱の時間でしたが、この11日も似たような状況で、仙台市からの緊急エリアメールが「避難準備指示」「避難指示」「避難勧告」と30分から1時間おきに入ってくるものの、肝心の避難先がわかんないぜと市のホームページを開けようとしたら・・・

つながらないわけです。

国土交通省のサイトも然りで、とにかく特定の閲覧先に過度のアクセスが集中するのはもう仕方がない(ただし改善の余地あり)

独自のルートで情報を得ながら夜中に動き回っていましたが、そりゃ怪しまれるし職質もされます。やむを得ず正体を明かして相手をこちらも仕事よと身分証明書を見せたり名刺を出したりしつつ関門を潜り抜けては必要なところに立ち寄り立ち寄らずの数時間。この間、夜が明けたあとの業務内容を組み立てて部下に出す指示を頭の中でまとめていくのですが、災害の方も次々と発生して、相変わらず宮城県脆弱、と思わされておりました。

各地で不幸にして命を落とした人もいらっしゃいました。天災とはいえ、天災であっても言葉もありません。そして河川氾濫はレンジの長さが物理的にも時間的にも持続するものなので、台風が去ったからと言って予断を許しません。数日は河川や低地には近寄るべきではありません。山間部も土砂災害の危険度が高まっているので、誰もが警戒を忘れてはなりません。

仙台はきょう明日、定禅寺通りでジャズフェス開催ですが、とりあえずこちらは仕事の週末だわ。

 

予測不可。

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ほんの5分ほど。

ほんの5分ほど。

昨日の写真の、数時間前の空ですよ。
「あら綺麗」なんて呑気な事いってる場合では無かったか。
幸い、我が家の周辺はあれが最大に溜まった状態でしたので
朝には1/5くらい(いつもの水たまり程度)になっていました。
が。
翌日にあんな大惨事が起こるとは・・・
そして今日は杜の都が同じように危険な状態。
アニさま大丈夫???

五十年に一度と言うけれど

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2015/ 9/10 18:04

NHK中継映像

その場所においては五十年に一度かもしれませんが、この言葉はもう数年前から何度も耳にしている警鐘の言葉です。そして豪雨災害は、地震被害よりも全国区であり頻度も高い。一年前に長野や広島で大きな災害を見たばかりだし、田沢湖町の土砂災害や浜松の茶畑が土砂崩壊していく光景も記憶に新しい。ましてや常総市の鬼怒川決壊場所は、まだ堤防嵩上げ改修の行われていない用地取得の段階でした。

何年前だったか、五十年に一度程度の災害に備えるような堤防が必要なのか、と事業仕訳で公共投資を槍玉にあげた政治家がいましたが、今こそコメントを聞かせていただきたい。

こんなの初めて・・・だと思う。

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そして赤色灯はパトカーでした。

そして赤色灯はパトカーでした。

家の近くの通りが水没。
風が強くなかったから雨漏りとかいう被害はありませんでしたが、降りすぎだよー。

この交差点、ちょっと多めに降るとすぐ水たまりが出来る場所なので、いつもの事といえばいつもの事なんだけど。
10数年住んでて、警戒のパトカーが出たのは初めて見たよ。

それは予想外

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青葉山ぷらすBLUEの最初の幌は、おそらく年式相応の経年劣化が進んでいたと思われ、1991年から2006年の約15年で収縮が進み、縫い目がほつれ、窓部分も割れてしまいました。これを新品に貼り換えたのが2007年の夏だったので、少なくとも2020年くらいまでは大丈夫だろうと思っていたのが大きな誤算でした。フロント側のフレームに固定させるための爪が5個とも折れてしまい、最前部のみ幌がかけられなくなってしまいました。

幌2007えーっ? そんなに乱暴に扱っていなかったよ? と愚痴をこぼしても折れた爪は再生できません。他の部分はまだ収縮もしていないので爪を交換修理すればいいかと、無理やりねじ込んで固定し長期戦で臨もうとしていたら

「雨が吹き込んできて乗れませんっ」

と家内からクレームの電話。知ってるくせに乗るなよっ!

そのような次第で写真(前回の納品)のように8年めで幌の発注をかけたところ、デッキトップのみで106000円税別。ななな、なんですと! だって前回83000円だったじゃん。リアスクリーン分付け足されてるぞこれ。

前回、この幌代が「本体を買ったときの車両本体価格の方が安い」と笑い話になったものですが、2度目は笑われるどころか睨まれますがな。

ふぁみりー

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あとの5匹は隠れてる。

あとの5匹は隠れてる。

元の棲家のお食事風景。
かーちゃん猫2匹が3日違いで5匹ずつ産んだもんでカオス。産箱から別の場所にかーちゃん各々が移動させたり連れ戻したりしてる間に、飼い主さんさえどの子がどっちの子か判らなくなってしまったとか。
当の本猫も判らなくなってるって話?か、10匹適当に手分けしておっぱいあげてたそうですよ(笑)

ある程度大きくなってきたら放任主義になったかーちゃんずに対して、おじちゃん猫が甲斐甲斐しく世話するイクメンだったって・・・優しいのぉ

週末関東人の真実 後篇

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sk04今でこそSIDEKICKさんやKawaさんたちの荒行だとか弾丸エクスプレスは誰もが知るところで、その行程は片道600とか800キロの時代ですが(もっとも当時、ふっじいさんなんかはSJ30で上越から茨城まで来ていたのだけれど)、毎週末のように片道350キロを走ってくるのは、はっきりと馬鹿呼ばわりされていました。

「何と言われても、オフラインミーティングは楽しいんですよ」

彼は笑いながらもう一言付け加えます。

「みなさんご存じないと思うけれど、浜松から関東じゃなくて、最初はその反対方向に走っていたんです」

3型のハードトップは、96年に4年落ちの中古車を手に入れたもので、その頃彼は、東京勤めで荒川と江戸川にはさまれた京葉道路の近くに住んでおりました。だからエスクードは週末関東ではなく、週末遠州に走っていたのだそうです。1号線だけで南下したり、246に寄り道したりの単独の深夜便は、時には長野県の諏訪湖の温泉に出かけることもあったようですが、誰と言葉を交わすわけでもなく淡々と走り続けていたのでした。

エスクードを手に入れたきっかけは、90年ごろの4×4マガジンを偶然目にしたことにさかのぼり、エスクードが8バルブから16バルブにマイナーチェンジした記事を読み、妙に垢抜けた四駆だと感じるにとどまっていたとか。この頃彼が使用していたのはU11型のブルーバードで、その前がジェミニと、四輪駆動車には縁のないライフスタイル。後に、古くなっていたブルーバードの車検満了と、たまたま5万キロという出物のエスクードが中古車市場に見いだされた日が重なったのです。

sk10こうしてエスクードを手に入れ3年ほどの「週末遠州帰省」が続き、北軽井沢で現在の仲間たちと邂逅するに至り、遠州と関東が逆転していきます。01Wで出かけた最遠地はどこなのかと尋ねてみると、2000年春に行われた猪苗代のつくばーどで、東北制覇には2000ccがほしいと、2002年にTA51Wへとスイッチし、「荒行」の二つ名へとコマを進めていくのです。まあそれでも盆暮れになると、つくばーど基地にやってきて、元日から雑煮食って昼寝して去っていく習性は変わっていないのですが・・・

 

この項完結。と思っていたんですが、古文書を発掘しちゃったので来週は番外編(かなりの長文)

次々週からは赤いコンバーチブル2車続く・・・と思います。

 

 

なんで黒いの?

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ああ、成る程。

ああ、成る程。

チビにゃを迎えに行く途中の話。
新月サンが「仕事で走る道の途中に、変な色の稲穂があるんだよ」と回り道して連れて行ってくれた田んぼ。
ぱっと見て、こりゃー古代米だなと思いましたわ。
(黒米とか赤米とか言われる、色つきのお米ね)
だって、葉は艶々青々してるんだもん。
もしも病気だったとしたら、田んぼ一面の稲穂が
真っ黒になるまで放っておかないと思うしね(笑)

天候不順だけど、無事お米になりますように。