そんなタイトルじゃあ誤解と迷惑をかけそうですが、原稿書きのために必要となった、会報時代のスーパースージーバックナンバーを借り受けに、二階堂裕さんのSSC出版オフィスに出かけてきました。
1988~90年くらいの会報は、以前、JCJ筑波支部支部長(いまはありません。支部って結構簡単に作れて、あっさりと無くなるようです)からかなりの冊数を譲ってもらって持っていたのですが、いざ活用の時と通しナンバーをチェックすると意外とばらけてしまっていて、必要な号に限って出てこないものです。
JCJの本部というのは、実際には浜松市にあるのです。いや、そこまで行くのはおっくうだよと、途中で東名を下りてしまう(途中でって、横浜町田からあがっているからほとんど走ってないじゃん)。しかし厚木にだってそれくらいはそろっているだろうと、二階堂さんを訪ねたのですが、こういうときに発動する“マーフィーの法則”。
「あれー? なんでところどころ抜けがあるんだろう???」
やっばりー・・・ 探している号が、無かったのでした。どうやら二階堂さんがインドネシアスズキに赴任していた初期の頃のバックナンバーに、欠損があるらしい。この家捜しによって欠損分の洗い出しができたので、別の意味で役には立ったということに。こちらで必要な号については、浜松から取り寄せていただくことになりました。
それにしても、商業誌に転向するまでの会報は、61号+総集編と、実に長い期間発行されていて、21号(1988年7月号)からエスクードが登場していて、今のスーパースージーからは考えられないほどのエスクード情報が、毎号たくさん掲載されています。
「なにしろね、読者からの葉書が50通来るとして、エスクードのユーザーからのものは無いもの。現状のページ数でジムニー素材があふれてしまっている事情もあるけれど、こうもエスク投稿がないのでは、企画の立てようもない」
うーん・・・耳が痛いお話です。敷居が高いということとは、ちょっと認識が異なるのですね。せめて半ページを1ページに拡張できるような策を練って行かなくちゃいけないようです。