伯母から「そら豆出来たけど、送るんじゃ少ししかあげられないから採りに来るかい?」と電話が。「行く行くぅ。食べるー!」と貰いに行ってきました。
仙台で何度か言われた「蕎麦? 食いたかったら山形へ行け」という指示に従って出かけてみたものの、どこへ行けばいいかは聞いていなかったので、仕事先に到着すべき時間も考え、市内で最初に目についたところに入ってしまえと、かなりアバウトな決め方での山形の蕎麦第一回目。
と言いながら、うかつにも先客のもとへ運ばれていく桃色の麺に目が興味を引かれてしまい、普通の更科蕎麦を頼まず、つい紅花蕎麦とやらを(あとで合い盛があるのを知って、失敗に気づくのでした)
そば粉の量を少なくして打っているんですね。そういうつるつるの食感。稲庭はうどんですが、あれのもちもち感を和らげたようなのど越しで、いくらか意表を突かれました。蕎麦というには物足りない。物足りないけれど、これは悪くない。どのくらいの信憑性かを確かめることはできませんが、紅花蕎麦の元祖のお店なのだとか。
「蕎麦街道ですか? それは東根の方ですよ」
とも教えていただき、次回はそっち経由で行き来をしようか、いや次回こそはこの店の更科系をいただかねばとか考えながら、会計を済ませて店の外へ出るときに初めて、その店が旧海軍の駆逐艦・・・の方ではなく海自の元護衛艦の名前を使っていることに気がつきました(店名も見ないで食いに行くって、どうなんだよ)
むー・・・ あくまで船の名前ですよね。紅色の瞳の少女の・・・とか言われたら、わたしゃ引きます。
先月の話ですが、インターネット上で知り合うことのできたエスクード、プロシードレバンテのユーザーさんが、全員二代目乗りだったという偶然。考えてみれば、02系が登場してから数えても14年になるわけですから、これに乗り続けている人もつわものの域だし、これから乗り始める人にとっても最適な世代の中古車層、ということになるのですね。
初代が4輪駆動車、言い換えればトラック(言い過ぎ)の骨格とすれば、2代目はそれを持ちながら乗用車の特性をも兼ね備えている、過渡期のモデルと解釈できます。
振り返ってみると、海外仕様のコンバーチブルも含めると、3ドア、5ドア、7人乗りと、歴代最多のバリエーションを持ち、国内に絞ったエンジンだけでも1600、2000、2000ディーゼルターボ、2500、2700という豊富さでした。そしてまだ多くの個体が現役であり、エコ替えにも引っかからない世代がたくさん残っているという点で、これから初代のサバイバルとは異なる領域で、エスクードやレバンテの系譜と歴史を引っ張っていく軸になるのでしょう(3代目ではダメということではなくて、3代目がそのように呼ばれていくにはまだ間があるという意味で)
アピオの尾上さんがパリ・ダカールラリーに投入したエスクードも、初代から始まり、中盤からは2代目を主力としていましたし、モンスターの田嶋さんがダートラの国内選手権で走らせていた2代目ベースのマシンは、他者を2秒以上引き離す怪物ぶり(パイクスマシンとは異なりますよ。といっても、中身は量販車とは異なるのですが)と、2代目たちにもなかなかの戦歴があります。量販車の2代目たちにも、あと10年くらいは頑張ってほしいところです。
酸ヶ湯、奥入瀬、子ノ口、休み屋と地名と風景を照合させていくと、「軽井沢シンドローム」を読み返したくなるのは自分だけでしょうが、そんな漫画が出てくるのと同時に、前回ここを通り過ぎたのがもう5年も前だったと、しみじみ年をくってきたことを実感します。
観光地でありながら生活道路でもあり、天然記念物に指定されている渓流に沿った国道。環境保護問題や渋滞問題など、いろいろな宿縁を背負わされているわけですが、平日の夕暮れ時には人影など(皆無じゃなかった)ほとんど見受けられない。
2008年の夏に、岩手県沿岸北部震源の地震で大規模な落石があり、当日は「復旧の目処が立たない」と言われながらも、このときは一週間足らずで元に戻してしまったそうです。今回の東日本大震災の影響も、多少は出たのだと思いますが、こうして通れるのだからひとまず安心です。だけどもしも、奥入瀬全体が埋まってしまうほどの未曾有の災害が発生した場合、人はそれでもこの景観の復旧に力を尽くすのか。自然には抗えない、と、102号線のバイパス側に道を委ねるのか、不謹慎なことを考えてしまいました。
ここに至る八甲田からの道のりを走ると感じることなのですが、昔の人って、よくぞこんなところに道を通したモノだと思うのです。現況の国道状態に仕上げていった時代だってすごいよなあと。酸ヶ湯あたりにライフラインを確保する際、数メートルの積雪に対して、スコップによる手掘りと、そりを引いての除雪作業だったという話。それ以前の開削の時代なんて、つまり地図に道がないのだから。それほどの力を、人は持っているんだねえと思いながらも、地球に蹴躓かれただけで、築き上げた文明は一瞬で無くなってしまう。自然を護ったり自然と闘ったりしながら、どうやら自然にはかなわない部分の方が多いような気がしています。
しかし5年前、ここからずっと先の宇樽部というところにトンネルが開通していたなんて知りませんでしたよ。前回来たときのあとに、休屋までのバイパスが完成したらしい。宇樽部の側にはそれらしき標識は見あたらなかったと思うのですが、旧道(冬場はこっちが閉鎖になる)を休屋に降りていったら、立派な道路が横切っておりました。