Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Fレイド・ラウンド4の企画開始

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エスクードで100万キロ走破を宣言しているパジェケンさんが突如、「次期愛車が決定しました」などと、つい「なんだとこのやろーっ」というブログを書いていたのが少し前のこと。すると数日前に「明日はいよいよ二号車の納車です」との新しい記事が出ていて、ついつい「おまえなーっ、紛らわしいぞーっ」と、まんまと引っかかったわけです。

早速、納車直後の『二号車』を見せてもらいに、福島へ。

「1ボックスも欲しかったんですよ」

これをベースに林道探検仕様にいじっていくそうです。むむ? ふっじいさんのサンバー、狼駄さんことシン太尉が乗り始めるエブリィ、青影さんが時々乗ってくるキャラバン、あおいろさんが買い付けたボクシー・・・という顔ぶれが一堂に会するような仕掛けの呼び水にしちゃおうか?

「福島、宮城、岩手という具合に、復興企画イベントってできないものでしょうか」

パジェケンさんは、晩飯を食いながらそんなことを切り出しまして、

「義援金を集めようとかではなくて、東北に来てもらって、というだけでも嬉しいんです。でもそれなら、手を挙げないとだろですよね?」

宮城においては、牛タンの陣をやっているので、そういう簡単なことでも良いのでは。などなどの対話をしているうちに、パジェケンさんのコーディネートで「Fレイド」をやろうかと、話がまとまりました。既に彼はルートの下見に入っております。けっこう過酷なルートです。途中、林道も組み込みたいというアイデアがあり、路面状態が良ければそうしましょうと。四駆以外の参加者には、オールターマックのルートも並行して確保できるエリアなので、この区間は選択可能なルールになると思われます。

開催時期は、7月下旬の目標。

あっ、パジェケンさんっ、小西食堂のスタミナラーメンに立ち寄るルールも加えてくれー!

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二百と十二年前の寛政十二年、江戸幕府の命を受けた天文方、伊能忠敬さんが、後の大日本沿海輿地全図の基礎となる第一次測量の旅に出ました。

現在の暦で言うと、6月11日のことです。彼の測量は休止も挟んで16年間、10回におよび、天文方といっても高橋至時に師事していた身分で、測量事業のほとんどは私財を処分しての取り組みでした。

彼はその6年前に家督を譲り隠居となり、翌年から天文学を学び始め、地球という天体の大きさを知るために、測量技術を身につけていきました。

よくビジネスマン雑誌に取り扱われる、第二の人生からの偉業だとか、本懐を遂げた云々の代表例に、忠敬さんの年齢が引き合いに出されます。50歳で天文学にたどり着くまでの、彼の生い立ちや、商人としての才覚といった積み重ねもあり、実に例えやすい。団塊の世代がどう感じたかはわかりませんが、なるほど天文学との出会いと天体の大きさを知りたいという衝動は、忠敬さんにとってはひょっとすると、人生で初めて、極めて能動的な目的を描くきっかけになったのだと思われます。

天体の大きさを知るために、という発想は、当時としては奇異にとられていたかもしれませんが、幕府としては国防上の情報管理として、国のかたちと大きさを知ることは重要事項でした。この測量はやがて、国家事業へと拡張されていきます。これがビジネスマン雑誌好みのサクセスストーリーですが、忠敬さんにとっては、肝心なことは日本列島の距離と形を知ることよりも、地球の大きさを知る手がかりをつかむことだったのではないでしょうか。

そんなわけで、1800年の6月に開始された第一次測量は、蝦夷地を目指して、深川から太平洋沿いに北上、半年間の作業に従事します。この事業の中で、忠敬さんは江戸の深川から青森の野辺地との距離をもとに子午線延長を算出し、緯度にして1度の移動距離を「約二十八里二分」と導き出しました。この計算を下地に、彼は地球の外周を知ることになるのです。

東北道を北上していくと、要所要所で、緯度を知らせるボードを通過します(青森から南下しても同様)。もちろん、道は右に左にうねり、アップダウンも繰り返すため、それぞれの緯度間の距離は均一ではありませんが、これがおおむね100から110キロくらいの移動目安になります。「約二十八里二分」というのは、キロメートルに直したら110.7。GPSで測定する現代の数字に対して、0.1%ほどの誤差だそうです。

忠敬さん、200年後の今、あらためてこの技術と情熱に感服しております。

梅雨入り

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そろそろなのかなと思っていたら、いとも簡単に梅雨入り宣言を出されてしまった土曜日。なんだよ、台風が通過した直後の梅雨入りって・・・と、ずぶ濡れになりながらの撮影。

「誰だよ雨天決行なんて言っちゃったのはー」

で、そんな撮影班のひとりごちなど、現場監督は聞いてもくれません。

「すいませーん。車間距離空きすぎ。もっかいやり直してー!」

ちくしょー、いつか仕返ししてやるっっっっ

30000000km突破

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つくばーどサイトの中でも地味とノリと悲壮感で成り立っている「エスクード・マイレッジ」が、6月3日の更新で、2006年のスタート以来遂に3000万キロを越えました。目標の火星まではまだ2600万キロもありますが、まあ継続はなんとやらというわけで、いつかは必ずたどり着ける(はず)。今回、狼駄さんことシン太尉がエスクードを離れるという残念な出来事が巡ってきましたが、彼のエスクードと、もっくんさんのエスクードが走行距離更新をおこなったところで、大台を刻んだというのは、やはり何かの縁です。

 

特にシン太尉は、最も古くからエスクードのコミュニティーを築いてきた立役者ですから、これが彼にとって記憶にとどめることのできるエピソードになれば幸いです。

コンテンツのページ構成上、ちょっとわかりにくいと思いますが、エスクード・マイレッジは、この企画にエントリーしてくれた人のエスクードが走る走行距離をすべて加算し、5600万キロ彼方の火星へたどり着こうというものです。その距離の根拠は、2003年に大接近したときのものを採用しています。なせ火星かといえば、月までの距離は、既に個人レベルで達成されているから。金星じゃないのか? という声については、「火星にたどり着くということは、金星までの距離もクリアしている」という考え方をとっています。

みんなで火星へ行く。という趣旨には、登録されている誰かのエスクードが退役しても、そのエスクードとユーザーさんも、火星到着の際には一緒に到着するという約束も含まれています。退役していなくて、まだ数千キロしか走っていなかったとしても、この企画に登録されているエスクードは、やはり一緒に火星に到着することになります。

だからどうした? という声は、幸いにも聞こえてこないので、それをいいことにしてマイレッジを続けているわけですが、残念なことに、この企画の広告塔として設定しているVOYAGER BLUEのエントラントが、二名ともリタイアとなってしまったのです。なんだって人身御供広告塔が要るのかといえば、根っこは話題の提供で、企画のノリと悲壮感を背負っていただくことで、数千万キロを積み重ねることって、ただ事ではないのねという大変さと、おもしろさ(面白いかどうかはあくまで主観)を伝えようというものです。

BLUEらすかるや、kawaさんのν弾丸おたふくノマドでも、その役目は果たせますし、実際それを背負っていることには変わりはありませんが、この2台では新鮮味は得られないため、火星へ向かうボイジャーは、広く募集しています。

VOYAGER BLUEは、任命されたといっても、とてつもない距離を走る義務を負いません。あと数年、マイレッジが火星への距離に届くまで、エスクードに乗り続けていてくれることだけが最低限の条件です。可能ならば、半年単位で近況レポートと写真を提供していただければ、さらにありがたいのですが、このノリと悲壮感を背負うとか、レポート提供というのが、案外面倒と思われるのかもしれません。日常のなんでもいいのですけども。

とまれ、タイトルと形には妙な凝り具合が散見される企画ですが、「うちのでいいなら先導するぜ」という方がいらしたら、ぜひご協力願います。それから、しばらく走行距離の更新をされていない方々も、ちょっとメーターを確かめてみてください。地道な刻みこそが、火星への一歩々々なのであります。

やっつまった・・・

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あまりに大きくなりすぎて、外に出したアボカド。冬の間に水を切らしてしまい枯れ枯れに(泣)

今度はアブラムシの餌食になりそう・・・

「みっともないから早く処分しろ」という新月サンの言葉を無視して、様子を見ること4ヶ月。・・・だってゴマ粒くらいの〝芽〟っぽいものが幹に出てたんだもん。予想は当たり、無事に新芽が伸びました。

今度は枯らさないようにしないとな。

MANIWAのソフトクリーム

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那須高原のチーズケーキ工房「MANIWAFARM」さんが、新たに開発した高原のソフトクリーム。一般的な濃い目のソフトに対して、牛乳の量を更に高い比率で使用し、加えて自社生産のチーズもふんだんに取り入れた、コクのある逸品です。目安としてこれ一個に使った、MANIWAのチーズを作るために消費される牛乳の量を聞いたら、とんでもないコストだと驚きました。

要するに、採算のことを考えていないんじゃないか? というのが、小売価格の実際です。

 

まあこういうものはくどくどと説明するよりも、行って食ってみるのが一番。ということで、三代目エスクードのユーザー取材を兼ねて、あす9日にお店の軒先をお借りして、不良なオヤジ(なんて無礼な表現)二人がコーヒーとケーキなんか楽しんでいる様子を収録してきます。

冷やかしに行ってやろうという人は、午前中のうちに現地へどうぞ。雨天決行です。

見頃。

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会社で育ててるアマリリス(だいぶ放置気味だけど)

およ、満開。

気がつけば綺麗に咲いとりました。肥料を一切くれんかったせいで花が少ない・・・ 今年は植え替えしてやるかねぇ。

ご帰還

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二泊三日なんてあっという間です。三十三間堂でスプリンターごっこだとか、枯山水で「飛び魚ターン」だとかをやってきたかどうかはまだ聞いておりませんが。

って、今の中学生が「飛び魚ターン」なんてわかるわけないだろうとお思いでしょうが、実は昨年暮れ、霙が東京へ連れて行けと言った折に、巣鴨にも連れて行っているのであります(おいおい、余計にわかんない話になっているぞ。巣鴨には「金メダルへのターン」のロケ地があるのです)

送られてきたお土産の写真。

霰の命令で生八つ橋をたくさん買って来いと言われていたようですが、

「お父さんが帰ってくるまでもたないだろうから、バームクーヘンも買ってきた」

とは、なかなか泣かせる気遣いであります。

が・・・なんでバームクーヘン?

枝豆の前に・・・

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伯母夫婦からの蚕豆。

独り占めしたら何日分?

月曜の昼過ぎに家に戻ったら〝不在通知〟。数日前に伯母から「豆送るからねー」と電話があったっけ。配達の人に電話して「職場に持っていってもらえます?」と聞いたら『重いですよ?』って。(自宅と職場は同じ配達区域)「いいです、会社で分けちゃいますから」って言ったら笑ってたわよ。

箱の中身は6軒分に分けたけど、それでも一度に食べきれる量じゃないぞ・・・。

復旧から復興へ

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東北の話題でなく、家内の生家の街のことでこの表題を扱うことになろうとは思いもしませんでしたが、5月の竜巻被害から一ヵ月になるつくば市の現地は、まだまだ屋根の無くなってしまった家屋をブルーシートで保護するところが多いものの、折れた電柱が差し替えられ直立しただけでも見違えるような風景。

ライフラインの復旧はもとより、大工さんの手も入り始めて、少しずつ以前の姿を取り戻そうとしています。地元の人々や、何処からか応援に来てくれたボランティアの人々の力は、東北でも茨城でも素晴らしいの一言に尽きます。

家内の親戚筋宅での片付けも一段落し、僕の恩師の自宅復旧にも目処がついて、役に立ったか立たなかったかは定かでない通いの手伝いは完了。あくまで縁者のところだけの手伝いですから、街を立て直そうとしてくれたボランティアのような無償の努力の足元にも及びません。

街づくり振興会が設置したこの掲示板は、地域においては、「インターネット社会が必ずしも世の常識ではないよ」という判断によるもの。ときにはアナログも役に立つ、というより、アナログな方法こそに価値を見出して活用する取り組みに、感動します。緊急のお知らせや伝達が、最近だと街なかに花を飾る企画だとか、お祭りの準備だとかに切り替わってきて、元気の度合いも読み取ることができます。

亡くなったお子さんのことや、この被害で床に伏せってしまった人、長年の住まいを失ってしまった人の無念に対しては、東北同様何一つしてあげられることがなかったのですが、犬小屋ごと吹き飛ばされて行方不明になってしまった飼い犬が、3日後に飼い主のところへ自力で帰ってきたなどというエピソードもあり、ほっとする対話ができるようになっています。