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  ~懲りない傾向~

国家の威信

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松明通り

無電柱の街並み

無電柱化、というテーマに関して、言わなくてもばれるかもしれないとある大学の学食で昼飯を食っている最中に、そこの学生たち3人が議論しているのが聴こえてきました。被災地に林立する電柱と電線の功罪だとか、機能論と景観論など、いやー大学生真摯で真剣だなあとにこにこしながら聞いておりました。

災害時における送電と通信の即時復旧の手立てとしては、電柱と電線はやむを得ない手段で、景観論を挟む余地は無かったのですが、平時における全国的な風潮では、この景観論が電柱電線廃止のロジックを声高に唱えているようです。時々、一本の電柱にそこかしこから電線が這いまわされて、まるで猛禽類の巣?のような有様のものがあったなと思うと、さすがにあれはひどい。その一方で、街ぐるみで景観対策やら町並み保存を行っているところは、ケーブルボックスを街路整備と同時に地中共同溝に収めて無電柱化を進めています。

やらないよりはやったほうが良いかもしれない景観対策ですが、たとえば東京あたりで言えば、関東大震災や戦災からの復興の都市計画において、即時復旧重要だったとはいえ、なぜこれを同時に実践できなかったかという反省点があります。

そんなときに一つの契機となったのが、2度目の東京オリンピック招致成功。この機に都内の指定区間で無電柱化をやっちまえという政治の意見と、それを受けての国の動きが徐々に進められています。指定区域、とひと口に言っても、オリンピックまでにこれを達成するというのはなかなかの無理難題です。

電柱電線が生活圏の中で目障りだ。という人々の心中はわからないでもありません。でも、

「だからうちでは電化製品使わないし、電話も引いていない」

てな徹底ぶりの人もなかなかいそうもない。そういう人を探し出そうとするのも屁理屈の領域っぽいので、余計なことを言うのは控えます。

高山

実は歴史的景観なのでは?

ただ、ほっといたら遅々として進まない問題に対してある種の期限を設定しこれを推進することは大事ですが、電力と通信という基幹インフラに対して、短期決戦で臨もうというのはいささか乱暴。ましてやオリンピックまでにという論旨の柱が、「外国人観光客の目につくところを」というハナシはなんなんですか?と思うのです。

欧米先進国に後れをとっているから。という趣旨でオリンピックまでにやるなら、そんなもんはやっつけ仕事になりかねず、景観対策になっても防災対策が軽視されているような気がします。総務省にしても国土交通省にしても、調査結果や検討開始のレジュメにこの一言を組み込んでいるのは、官僚側が政治家の揚げ足を取っているのかと勘ぐってしまうのです。いやさ、揚げ足というより、そこに気づいてくれたらいいんだけどさー、という本音があるんじゃないかと邪推するのです。

 

外国人に指摘されるから。とは、なんと情けない対症療法であることか。プロパガンダとして物言いするんだったら、電柱と電線に敬意を表しつつその役目を次代につなぐ考え方があろうというものです。

本格的な事業(実際には以前から行われていますが)が2015年あたりから始まるとしてですよ。戦後70年めにして、文明開化から東京の復興と高度成長を支えてきた歴史的インフラに変革を促す。それこそが今後50年かけて進める東京の国際的平和都市づくり。とでも言ったらいいじゃないですか。50年というのは、少なくとも今ある都市骨格をいじりながらもグランドデザインを描かなければならないうえ、それはインフラのみならず、次代にそれらを維持管理できる若い世代をきちんと育てていく政策を考えたら、それくらい必要ではないかと感じるのです。が、そんなに時間が無いことも指摘されます。

要は精神論の世界なんですが、外国に比べたらってところがすでに精神論としてどうなのよと感じたら、もうちょっとましな政論ぶってくださいよと言いたいのです。仮に、箱根山や富士山が噴火しちゃったら、現在の電柱電線網は降灰によっておしゃかです。地中化は決して悪い手段ではない。しかし政治と行政がそんな論旨で語っていたら、地走りしている民間人もやってらんないぞと士気が上がらないじゃない?

などなどの思いを巡らしているうちに、学生たちの議論もだいたいけりがついたらしく、トーンは雑談に変わっておりました。

「電線の在る無しで困る困らないとすればー」

「無いとスパイダーマンが時々戦えない」

「あったらパトレイバーが活躍できない」

おお! おぢさん仲間に入れてもらいたくなっちゃったぜ。

2代目打ち上げ

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はやぶさ2初代「はやぶさ」の地球帰還からいつの間にか4年の歳月が流れ、いよいよ「はやぶさ2」の打ち上げ日が巡ってきました。初代の打ち上げは2003年5月、つくばーどのミーティングやサイト運営が軌道に乗ったころで、しかしこりはあくまで個人サイトの域でしょ? と、できるだけ個人の趣向に偏らないESCLEVの立ち上げを始めた頃でした。まあ宇宙探査機とエスクードには何一つ接点はないんですけど、この年の8月に火星が地球に大接近し、その距離はエスクードでも束になってかかれば埋められるんじゃないか? という結局は個人的な趣味でエスクード・マイレッジなんてものがあとからできてしまったりするのですが・・・

雷を誘発する可能性がある「氷結層」を含む雲の発生が予想され、当初11月30日だったはやぶさ2打ち上げは先週28日時点で12月1日に延期され、それでも天候不順で引き伸ばされていました。2代目打ち上げはライブ中継まで組まれていたほどの期待を背負っていました。エスクードの2代目もそうであったように、期待がそのまま重圧であることについては、成果を収めた初代を引き継ぐ立場としては同じでしょう。

往路に4年、帰還まで6年というミッションがトラブルなしで進むかどうかはやってみないとわからない。接点がないとは言いながらも、いろいろ言われた2代目エスクードは3代目へとバトンを渡す実績を得ましたから、はやぶさ2にも頑張っていただきたいところです。

季節だねぃ。

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ドアミラーに隠れた向こう側も満車。

ドアミラーに隠れた向こう側も満車。

日曜日。新月サンが居ない間に、猫ずのトイレ砂とカリカリの買い出しに行く途中、通りかかった大型オモチャ屋は駐車場満タンでしたよ。普段は居ない警備のオジサンが立ってましたわ。
ま、我が家は縁がなかったけど、世間はパパサンタ・ママサンタがプレゼントの準備に走り回る時期って事ね。(ジジサンタ・ババサンタかもしれないが・・・)

ああ、また一年が終わるぅぅぅ・・・(そしてトシをくうぅぅぅ)

稜線の冬

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蔵王なんか寒くなったなあと思ってたんです。

仙台からでも蔵王が見えないことは無いんだけど、山形に来ると全方位、稜線は冠雪して真っ白です。

冬の迫力がちょっと違う。

ぺろりと完食。

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味が違うよ大根の。

味が違うのよ、大根の。

先日のみかん狩りの折、背負って帰った大根2本。
無事に煮物になりました。
新月サンが「ローズポークー(茨城のブランド豚)と煮てっ!」と熱望してましたけど、言ってる本人が買いにいけず(新月サンの担当先のすぐ近くに〝道の駅〟があるのよ。ローズポーク売ってます)止む無くそこらで売ってる(失礼だよな、この言い草・・・)豚さんで我慢。

すんごく大根自体の味がいいだけに、豚さん完敗。
やっぱり私が走って買いに行くべきだったかー・・・

青く光る広い宇宙へ

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sw7もともと9部作で描かれるはずの企画でありながら、ジョージ・ルーカスをしてでも「予算的に無理だわ」と、6つのエピソードでまとめられていた「スターウォーズ」が、いよいよ最新作のエピソードⅦに手を伸ばし、1年後の公開にこぎつけました。

僕はウォルト・ディズニーが嫌いなので、この作品がディズニーで作られることは大いに残念なのですが、できるならできるで観に行っちゃうんだろうなと低い志で待ち受けております。

最初のエピソードⅣが日本で封切られた頃は高校生でした。大人が同じようにまじめに作っただろうに、日本の「惑星大戦争」や「宇宙からのメッセージ」と比べて、アメリカの映画はなんだってこんなに本気度が違うんだろうと思わされた70年代でした。

tb2015しかし、2015年は、ハリウッド版の特撮映画から10年とちょっと、その原点からは実に50年めの再起動となるサンダーバードがもっと待ち遠しい。以前から少しずつ話題が振られていましたが、なんといってもサンダーバードのメカニックが半世紀経っても古びていない(レトロ回帰という見方もありますが)

ハリウッド版以外はスーパーマリオネーションという人形劇であっただけに、今作の登場人物はCGというところが時代の流れでも、メカニックはミニチェアプロップによる特撮を主体とするところがまた楽しみです。それは来年の散財をも意味するのですが、玩具展開と本編放送が日本で行われるかどうかはまだ未定。

よもやCS放送なんてことにならなきゃいいけど・・・