新月サン切望のっ(笑)
〝大きい〟トマトが赤くなってきました。
もうちょっと待とうか。
新月サン切望のっ(笑)
〝大きい〟トマトが赤くなってきました。
もうちょっと待とうか。
初めてメールをいただく人から
「雷蔵さんのエスクードが長期取材車になったそうですね」
と問い合わせがあり、
と思わず駐車場までBLUEらすかるが「在る」のを確かめに行きかけましたよ。
どういうことかというと、こういうことでした。
あー・・・まあほら、同じ車体色というか、この同じボディーそのものが2000にも2500にも使われましたから無理もないのですが、良っくご覧ください。バンパーにフロントエクステンションバーついてません。エンジンフードのバグガードもありません。あおいろさんが「あれがうちらのアイデンティティーでしょ」というので載せているルーフラックも無いです。なによりうちのと並んだらたぶん、ダックスフントかコーギーかというくらい、低重心に見えるでしょう。
でもねー、一瞬どきっとするよねこの風貌。
いつもの(笑)友達夫婦と一緒に。
旦那さんが「新潟のお酒が揃ってるんだよー」と
連れて行ってくれました。
左側の写真はそのお店。
日本酒推しなのに、なぜかお品書きには
〝アジイワシの香草パン粉焼〟とか
〝鶏のレバーペースト・バゲット添え〟とか
ワインのツマミのような一品が・・・
(これがまた日本酒に合いましたわ)
まぁ確かに、どっちも醸造酒だからねぇ。
右側の写真は二軒目のお店。
焼き鳥屋さんでしたが、サイズが大きい!
直径5cmはあろうかという〝つくね〟がドンっと
出てきた瞬間、食べきれるか心配しちゃったわ(笑)
大盛り(だがこれで普通の注文サイズ)の唐揚げと共に美味しく完食いたしました。
極めて「触り」的なオフロード性能試走を春先に行い、「四代目エスクードのつくり」という枠においてはけっこう走るじゃんと感じたものの、クロスオーバーの方向性から予感するのは、四代目エスクードをこんな風に使うユーザー層はそれほど出てこないかなという結論でした。
えっ、それじゃー書けることなくなっちゃうじゃん。
だいたいウェブの方で書くこと書いちゃってるし、同じ素材で別のページも作成してるし、三匹目のドジョウなんて都合のいいことできるわけがない・・・といってボツにしたらcyber-kさんに申し訳が立ちません。
と、三分の一くらい焦りながらまとめたのが今号のスーパースージー誌の記事です。代が変わるごとに、エスクードには何かしら新機軸が投入されてきました。それがこのモデルの市場を維持し続け、ブランドとして生き残ってきたとすれば、案外エスクードはフロンティアを走っているのです。
ただその行く先が、これまでとは異なる舵を切ったなと実感する。ポテンシャルはそこそこ持っているけれど、それをすべて引き出すユーザーは少ない。というより、そこまで意地っ張りになる必要はないなと。しかしです。Scross、イグニス、バレーノという排気量に大差のないカテゴリーに、この先エスクードも排気量の縮減を行っていくとなると、ディメンションとALLGRIPだけで魅力を牽引できるのかどうかは疑問です。
過去エピソードのリピートを交えながらも、ギンガやエックスといった新機軸のウルトラマンを繰り出してきた「ウルトラマン列伝」と、続く「新ウルトラマン列伝」が早朝の枠であったのに対し、昨日放送開始された「ウルトラマンオーブ」は午前9時台に持ってきた。これは番組の持つ力が評価されたからでしょう。
いま、対象年齢の子供たちがこの時間枠をリアルタイムでテレビの前に座れるのかどうかは知りませんが、夏休みのタイミングも近づいているし、テレビ局としては英断とサービスの一打だと思われます。
ギンガ、エックス。特にウルトラマンエックスの造形やパワーアップに関しては「モビルスーツやアーマードじゃあるまいし」と、アンドロメロス時代と比べても鎧の大仰さにあきれましたが、オーブは過去のウルトラマン2人分を任意に組み合わせてタイプ別のオーブに変身するという、スタンダードバリエーションの時点で凝りに凝っている造形です。
というか、素体となるウルトラマン自身が無い?というところが驚きです。こういうのは今までありそうで無かった。と言いたいのだけれど、複数の能力体を同時に、な変身といえば、「レインボーマン」が後半取得した「合体の術」がひとつの原型でしょう。レインボーマン自身、ダッシュ1から7まできわめて特徴的な化身でしたが、能力も限定されていただけに、合体の術によって2つの化身の能力を加えたダッシュ7の誕生(額の文様が変わるだけだけど)は斬新でした。
オーブは造形ごと丸々変わる。コスト的に着ぐるみづくりの負担が軽くなったとも思えませんが、大盤振る舞いです。出足は3タイプですが今後どれだけバリエーション展開するのか。これを思うと、出され過ぎで覚えられなくなりそう(すでに各タイプの名前がまだ覚えられない)。1人で複数タイプの事例としては、仮面ライダークウガが11タイプくらい? オーブでこれに並ぶとすると、過去ウルトラマンを含め30体を越えることになるのです。
しかし主人公がネクサス的に何か背負ってるっぽいけど、それを打ち消す破天荒さはちょっとのけぞりました。なんかもう、「早川健とヤマトタケシとトッキュウ6号の力お借りします!」てなもんです。
ウルトラシリーズ放送開始50周年の企画として進められてきた感謝祭による名作、人気怪獣の投票結果が、いよいよ本日発表となるようですが、自分で思い出した「名作回」もいくつか、中間発表時に残っていました。この投票がなぜ「ウルトラQ」から「ウルトラマンレオ」までで範囲指定されたのかは解せませんが、まあ言われてみればしみじみと見ていたのはその辺まで(よくよく考えてみると、「エース」からは毎回見ていなかった)だったかもしれません。
そんなわけで、シリーズ7作品から秀作を探し出してみると、一番迷うのは「帰ってきたウルトラマン」の内容でした。世に言う「傑作選」を除外しても、二つといわず六つくらい好きな話があるし、近未来の地球(初代やセブン)ではなく現代にウルトラマンがいるとこうなんだ。というイメージの近さがあります。それは初代、セブンの中からも多数の秀作を抽出できるのですが、書き始めたらきりがないので絞ります。
バルンガ(ウルトラQ)
厳密にいうとオリジナルではなくて、海外のSF小説に元となるアイデアが存在するのですが、とにかく何やっても攻撃が吸収されバルンガの成長を促すだけという打つ手のない状況に、最後の手段で太陽に追い出して腹をこわすほど食い尽くさせ自滅させようと思いつく展開。えっ、太陽を食い尽くされちゃったらどうするの? と、本気でぞっとしたのがなんとなくトラウマ化してました。後にたがみよしひささんが「滅日」の中でこのモチーフを出してきた(こちらはヒトの無意識の産物)ときには、トラウマどころか「おーバルンガだー」と喜ぶくらいには克服してますが。
さらばウルトラマン(ウルトラマン)
超人の活躍の最後をどう描くか。そこに尽きる回。そしてウルトラマンが決定的に負けたというエポック、物語の途中にインサートされていたバラージの伝説を裏付けるように、超人が「彼」一人ではなかったという世界観の広がり、「彼」が去ったあとハヤタの記憶もファーストコンタクトの時点で欠落している結末。とまあ今だからそのように論ずることができるのだけれど、超人でも勝てなかったのにハンドガンから発射した小型弾頭でゼットンがやられちゃうってそりゃないぞと、子供心には思った。
狙われた街(ウルトラセブン)
怖い物語でした。侵略者が無言で街を混乱に陥れていくならこれはありだなと。しかも人間同士の信頼感を破壊していこうとするメトロン星人に対する、ナレーションのカウンターメッセージが「われわれ人間はまだそれほどお互いを信頼しあっていない」と告げるところがまた子供として不快に陥る怖さもあった。いずれにしてもチブル星人の「アンドロイド0指令」と双璧をなす作戦です。と、思っていたんだけど、「酒飲んで人を傷つける事件のほうが、煙草のトラブルで殺人まで、というケースより絶対に多い」と、今だとちゃぶ台ひっくり返して否定したい。
ウルトラ特攻大作戦(帰ってきたウルトラマン)
子供のころから「自然災害と戦うウルトラマン」の構図をよくイメージしていました。それはシーモンスとシーゴラス戦で津波、竜巻を描いていますが、台風そのものに対して岸田や坂田が唱える論理のアプローチが面白かった。MATが彼らなりに作戦を立案し怪獣を押さえ込む場面もある。それが成功しなかったのは不可抗力でしかない。惜しむらくはバリケーンという怪獣を出さずに、嵐そのものと戦う姿を見たかった。でもウルトラマンってバリアで防いじゃうからなあ。
さようなら夕子よ、月の妹よ(ウルトラマンエース)
制作サイドのいろいろな事情が重なっての南夕子降板を、ドラマの上でこれほど斬新に構築してしまうところに、ある意味俳優への思いやりが感じられた。いや、ありえないですよ月星人なんて。だけど輝夜姫という先人もあるわけだし。なにしろ「エース」という作品はTAC内部での初期の隊員間信頼度が低すぎることと、歴代のウルトラマンを危機に陥れ(タロウもだけど)視聴者を食いつかせようとする意図が嫌いだったので、「エース」の枠を削って「帰ってきた」からもう1話書き出したいところです。
ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦!(ウルトラマンタロウ)
「ウルトラマンタロウ」は、タロウなんて名前からしておとぎ話のウルトラだと解釈していたので、「エース」の苦肉の策設定(南夕子)をこうも鮮やかに再登場させてしまうところに拍手でした。いや、おとぎ話だと思って見てなかったらまあ耐えられない。ところで、あの移動体通信会社のCМの三太郎シリーズに、ウルトラマンタロウも出てきてくれないものでしょうかね。今年こそそういうタイミングだよね。
セブンが死ぬ時! 東京は沈没する!(ウルトラマンレオ)
うんざりするほどスポコン路線が始まるとは思いもよらず、異星人同士がまったくの異星で邂逅する幕開けが「何が始まる?」と期待させた初回。ただもうなんでこんなに終末説投影するような暗い重いスタートを切るのかなあと憂鬱になる第1話でもありました。それにしてもウルトラマンレオの角の造形はかなりの秀作だと思います。全然獅子の鬣には見えないんだけどね。
秀作なウルトラ怪獣
↑なんでデカ文字・・・まあ要するにゴジラ型怪獣ではない造形の斬新なところがいいのです。特にペスターは落書きもしやすい形でした。タッコングは・・・冷静に考えればどこがタコなんだよと突っ込み入れるべき姿かたちですが、あれほどかっこいいタコは見たことがない。
やっと食べられるぅ。
初めて生ったナスと何本目かのキュウリは
烏に食われてしまいました・・・
さて。お肉買ってきて味噌炒めにでもするかー
(除く、プチトマト)
円谷英二さんが故郷・福島県須賀川を離れ上京したのが大正5年、つまりちょうど100年前のことでした。この上京は、パイロットを志して日本飛行学校へ入学するためのもの。しかし学校自体が波乱続きで円谷さんは翌年に退学の憂き目に遭います。そこから空を飛ぶというイマジネーションを抱き続け、50年を待たずに特撮技術監督として名を上げていくのは有名な話ですが、上京から50年めというのが、あの「ウルトラQ」誕生の年。
世に云う「ウルトラシリーズ50周年」という本年は、円谷さんの夢(挫折とそこからの立ち上がり)の戸口から100年という年回りでもあります。
その年の7月、「ウルトラマン」の放送が始まり、また50年が過ぎて、ウルトラマンを継ぐものはあっても越えるものが出てきたかといえば・・・ここは人の主観でまちまちですが、とにかく50年、また50年の夏なのです。
次の50年の世界、ジェフ・トレーシー率いる国際救助隊が活動しているその頃、ウルトラの100周年は既に僕らには体験できない未来であることをいやでも意識させられる年頃になってますが、挫折の一歩から始まった円谷さんの夢は150年経っても語り継がれているのでしょう。
気づいたら芽が出てたジャガイモ。
つい出来心で、空いてるプランターに埋めたら
(当然ですが)元気に育っています・・・が。
「なんでもかんでも
植えるんじゃないっ!」
と、新月サンに怒られました・・・