今頃になって「君の名は。」のことを書いても乗り遅れもいいところなんですが、あんなに世間が盛り上がっているときに迎合して観になんか行けっかよ(笑)という天邪鬼だったので、今さらの今頃なのです。
ちょっと驚いたのは、監督の新海誠さんは、彼にしてはこれまで世に送り出してきたいくつかの作品とは趣を変えているんだなというところで、突き放されて切なく終わることの多かった作風が、そこから先へコマを進めた感があります。
配給会社のコントロールが入ったからであるとか様々な要因による構成だそうですが、これはこれで「よかったよかった」と思えるエンターテイメントで、新海らしくないともいわれるけれど、いろんな都合の整合の有り無しも含めて良いんですよこれで。
思わせぶりなタイトル(ただしこの作品には「。」が付く)、逢えないかもしれないすれ違いという昭和20年代のラジオドラマのあちらの方にあやかったふりをして、まずまず面白い物語を作り出したと思えます。公開当時の評論家の論評を読むと、興行成績に対して意外と辛辣なものもありますが、若い人たちの反論に「大人の論旨を押し付けるな」というものがけっこうあり、それはその通りだと感じます。
それにしても、物語の軸となっている彗星の最接近と核の分裂による地表落下が、接近周期ばかりでなくピンポイントで同じところに落ちてくるというのは、はた迷惑な話です。おそらく1200年後の最接近時にも、またもや糸守のあたりは大騒ぎになり、その頃人類が滅んでいなければ、宮水神社の子孫の娘が誰かと「入れ替わり」を果たして危機回避を遂げるのでしょう。
あの彗星ティアマトがいつごろから物語上の軌道を描いているのか知りませんが、糸守の町で確認できる現代以前の落下痕跡はふたつ。湖となっている隕石痕が平安時代くらい? ご神体といわれるクレーターらしき痕がその前にも落ちているものだとすると縄文時代の終わる頃となり、彗星のことに限って「前前前世」となるとまだまだ縄文時代ってことになるのか?(ほんとにつまんねーことばかり書いてるなあ)
もう一つはソフトならではの特典というか、RADWIMPSの楽曲を英語版にトラックできる点で、その方が劇中で煩く感じないような気がします。
それからおぢさん的な蛇足を書いてしまうと、この映画でぐっときたぐっときた若い人たちに、今じゃなくていいから何年かあとにでも「HEAVEN CAN WAIT」という洋画を観ていただけたらと思っております。邦題は「天国から来たチャンピオン」。9割までラブコメですが、ラストの余韻は「君の名は。」の大人版ともいえるので。