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  ~懲りない傾向~

GreatPumpkin

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毎年毎年ハロウィンやジャック・オー・ランタンのことを書き綴っていたら、さすがにもう書くことがなくなってしまいました。それでも毎年、ハロウィンはやってくるので途方に暮れて、ことしはどうしようかとあちこち文献をあさっていると、本来はケルトの祭りに源を発していても、部分部分で似たような風習風物が、日本にもあるなあと気づきました。が、それらの理屈付けというか、咀嚼しきれないのでそれは明日に回します。←なんだそれは

それでもって、ことしの挿絵のカボチャには、あのランタン顔がくりぬかれていないのがみそと言えばミソ。つまりジャック・オー・ランタンの話ではないのです。

その、たいていの人は信じていないから「見えない」グレート・パンプキン。またの名をかぼちゃ大王。彼はハロウィンの夜にかぼちゃ畑から飛び立ち、彼を信じる子供たちに贈り物を届けて歩く存在です。なんだかサンタクロースが混同しているような気がしますが、「PEANUTS」におけるライナス・ヴァンベルトは、どんなに友人に笑われようとも、「グレート・パンプキンはいるんだ」と信念を揺るがしません。

ライナスの友人であるチャーリー・ブラウンに言わせると「宗派の違い」だろうとのことですが、原作者が異教のガジェットを使って、新興宗教をからかったのか、宗派によってハロウィンを容認したりしなかったりのキリスト教そのものをからかったのか、定かではありません。

世界中の、最も誠実なかぼちゃ畑にこそ、グレート・パンプキンはいるんだ。と、ライナスは毎年、自ら信じて選んだ畑に通い、「彼」を待ち続けます。だけど、ライナスを単に裸の王様と一緒くたにできない何かをも、読者の側は感じ取るのです。

テレレテッテテー

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どこでもドアではナイ。

なぜか突如出現した〝枠〟
荷物運搬用のエレベーターで使っていたシャッターの
「音が五月蝿い」
と、社長が突然交換工事を依頼したという・・・
(何年使ってたんだよー・・・という外野の声)
シャッター取り外して横にスライドする扉を付けたので
フルに開口を確保するとどうしても出っ張る戸袋部分。
で、どうするんですかこの穴。

 

教えられた時代の差

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本論に持って行くのにけっこうかかります。茨城県の「かたち」についての話です。土浦市で工房「futashiba248」を開いた染色クリエイター、関さんご夫妻にお目にかかり、草木染の話を伺った際のことです。

藍染風布の丹羽さんの個展を拝見した際の、藍の青さも美しかったけれど、草木染が表現するアースカラーは目に優しく落ち着きます。これはまさしく失われていない古代の産業技術文化だねえ。

「futashiba248」って、どんな意味があるのかを聞いたらば「ふたりで営む工房」「廃棄野菜などを原料に染料を作るので、ふたたび世の中に出せる」(関さん)という理念と、「私が柴犬大好きなんです」(奥方)の言葉。これは、僕の中では、つくば―ど®的なセンスと琴線に合致しました。三桁の数字はそれをもう一度表現しています。

が、柴犬好きでって、つくばーど®的すぎ。

「えっ、でも、私たちがいる茨城県の形は、犬が遠吠えする姿に似ているじゃないですか」(奥方)

これが、聞いたことはあるけれど、僕にはピンとこない喩えだったのです。なぜかというと、僕が子供の頃は、小学校の社会の授業で地図帳を開きながら担任教諭が言ったのは「鉞を逆さまにした形」だったのです。それを刷り込まれていたので、関さんたちの描いた茨城「犬」は、目から鱗が落ちる瞬間でした。

ご夫妻は平成元年生まれの同級生同士。三十代です。彼らが見聞きした茨城県の形は今では一般的になっているわけですが、昭和の半ば生まれ世代とこれほどギャップがあるのかと痛感させられました。

彼等の草木染は、剪定され廃棄される果樹園の木枝、規格外で捨てるしかない野菜や果物が原料というユニークかつとても大事な提案で染められています。ここは「物を大事にしろ」と教えられた僕らと共通。ちょっと安心(自分に)

通りすがりの一枚。

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イイ具合にコスモスで隠れたナンバー

駐車場にとまってるのが大分手前から見えてたけど
丁度真横では止まらなかったので、ドアミラーを
最大に傾けて撮りました。
滅多に遭遇しないご同輩ですもの、撮らいでか(笑)

居なかった地元人と居た余所者

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「おかえりモネ」が本日の放送で大団円となります。二転三転の急展開ではなく、割と短い時間軸の中でじれったいほどゆっくりと丁寧に、主人公の人生を描いた良作だと思います。高卒後(一部で中卒時も)から現在までの数年間の変化を、主人公自身が驚くほどいでたちも表情も大人になっている(設定上、霰と同い年)のが印象的です。清原果耶はまだ19歳。「あさが来た」「透明なゆりかご」「なつぞら」といい仕事をしています。

気仙沼の離島を故郷とする主人公は、東日本大震災の日、たまたま高校受験の合皮発表を見に行き仙台で被災したため、島における津波被害や被災者の修羅場に居合わせませんでした。家族や友人たちに対するどことない後ろめたさが、郷土で誰かの役に立ちたいという思いに変っていき、気象予報士の道を選び、お天気お姉さんに抜擢されながらも島に帰ってきます。ゆっくりやってる割にはこのあたりの、予報士としての仕事場面が少なかったとも感じますが、朝ドラヒロイン随一の地味なキャラクターでありながら、存在感があります。

その日、地元にいなくて葛藤の日々を送った彼女・百音に対して、あの頃の僕は、「気仙沼に『大島』があるのかよ」くらい余所者になり立てで被災していました。仙台在住の前任者から引き継がれたのはただ一言「東北人は寡黙で腹の内を明かさない」(失礼なようだけど、本当にそう言われた)。まあ僕なんか行き当たりばったりの男ですから「そんなこと言われたって俺は俺でしかないよ」と返事をしたものの、マジかよとも思いながらの仙台赴任。あいさつ回りを終えたら震災という、百音と真逆の経験でした。

ドラマを見ながら、全く反対の立場を過ごしてきた彼女と自分に唯一、共通するものがあるなあと感じたのは、周囲が与えてくる先入観の種。それにどうやって向き合うのかが、それぞれの軸足として大事でした。同業者は僕のいないところで「しょせん腰掛の外人部隊」だと揶揄していたそうですが、二年で転勤していく国の役人とは違いましたから、居られるだけ居ようとせせら笑って揶揄など無視していたらば、東北のあちこちの人々は「そうか、お前はあのときここ(東北)にいたんだな」と、揶揄自体が逆効果になるような変化をいただくことになりました。

写真は被災一年後の気仙沼。百音の住む島は右端に位置し、今は架橋されていますが、当時は橋の袂の工事現場まで行くのに「冗談じゃねーよ」という時間を要しました。今だったら仙台から二時間で行けちゃうはず。でも、いち早く復興した街の一つだけれど、これから十年、二十年後、地元の後継者が元気で居続けてくれないと、世の中自体が先細る中、街の未来も変わってしまいます。百音と幼馴染の若者たちは、家族や地域の人々の軸足を担うことになります。

まあ、予想はついたけどね。

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なんの抵抗もなくもげましたとさ

ジャム煮てて、香りづけに使おうと
ブランデー開けたらこうなりました。
・・・40年以上前の瓶ですもの(汗)
(更に言うなら保管も適当だったし)
とりあえず、転がってたワインのコルクで栓しました。
(合う太さのコルクがあって良かったわ)

かえるよ

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諸事情あって霰の職場に置いてこられたヤマタノオジロを回収に行かされ、乗り込んだらば燃料計の残量がひとメモリしかないしで、しょーがねーなーと近場のセルフスタンドに立ち寄ったらこいつが張り付いてまして。

あのさー、俺はこれから帰るんだよ。お前そのままだとテリトリーに帰れなくなるよ?

三か月過ぎて

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丁度信号で止まれた。

5000km走ったあおいちゃんです。
このペースでフラフラすると
一年で2万㎞いってしまいますが・・・
どこほっつき歩いてるん・・・?

 

マッテレソウル?

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だけど「マッテレ」っちゃあこういうことだぞ

「BRIDGESTONE sole Technology(ブリヂストン ソール テクノロジー)シリーズ」、なんてものが存在すること自体知りませんでした。なんでかって言えば、ここのお店に僕が着られるサイズが無い(なさけねーっ)から、行ったことも無い。

SUVのタイヤ性能を、というところを宣伝材料にするのは良いけれど、マッドテレーンのようなパターンがなんというか使う場所と性能論も含めてちぐはぐ感。ボディの方が哀しくもビジネスシューズのままってのは、かえって履くのは厭だわ。

 

 

久しぶりに

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すっぽり。

新月サンの膝の上に乗るでん助。
滅多に乗らないから貴重(笑)
私の膝の上だと乗り切れなくてはみ出るんですが。
どう考えても新月サンの膝の方がゆったり丸まれると
思うんだけど、なんで乗らないかなぁ?
そして、ゴロゴロと言う音が聞こえそうな画ですが
あまり言わないという・・・