んなわけないよな。
常々思っているんですが、「ロックシード」じゃなくて、「ロックフルーツ」なんじゃないか?と。まあ「機動戦士」を「モビルスーツ」と言い慣わすようなもんでしょうかね。
年末年始にはチャンネル権を奪われ、WOWOWで録りだめた映画を仙台で観ておりまして、実に久しぶりに「天国から来たチャンピオン」で泣き笑いしてまた泣きという時間を過ごしていました。持っているソフトはVHS、すでに基地にある3台のデッキはすべて寿命で動きません。6年か7年ぶりに観ることができました。
最初に観たのが10代。封切りのときですから、ずいぶん昔です。主演が「俺たちに明日は無い」でクライド・バロウを演じていたウォーレン・ベイティであることは、あとから補完される知識ですが、むしろうちの親父と2歳しか違わないってところにたまげたものでした。
当時はこの映画が1940年代にオリジナルが作られているリメイクものとは知りませんでした。ついでに言えばオリジナルには原作もあり、それらはボクシング選手。70年代のこちらの作品はアメリカンフットボール選手に置き換えられていますが、邦題のチャンピオンという言葉に過去の映画とのつながりが演出されているところも、粋です。これがさらに2001年にも、黒人のコメディアンという設定でDown to Earthという映画に再度リメイクされているのだけれど、邦題は天国から来たチャンピオン2002と付加されただけで面白みが無くなっています。
Heaven Can Waitは、もちろん原作のタイトルで、映画の題名そのもの。40年代の映画の方にはHere Comes Mr. Jordanとタイトルが付けられ、これを邦画の方では「それじゃ誰が主役かわからん」と思ったのか、幽霊紐育を歩くとひねりまくった題名になっていて、それぞれ時代を感じさせます。
え? 中味のことですか? 最初にこれを観た年にスターウォーズも見ているのですが、少なくとも僕の好みはこっちです。「ゴースト ニューヨークの幻」がご婦人泣かせの映画なら、こっちはヤローがしんみりと出来る映画ってとこでしょうか。
岩手県の沿岸を走る三陸鉄道は、北リアス線と南リアス線がそれぞれ部分開業していますが、北線の田野畑・小本駅間と、南線の釜石・吉浜駅間だけは、現在も震災復旧作業の渦中です。特に北リアス線の田野畑駅からひとつ先の島越駅周辺は津波によって駅舎自体も壊滅し、軌道復旧にも大がかりな土木工事を余儀なくされる大打撃を受けたところでした。が、先日、経営母体である第三セクターから、それぞれ4月5日と6日に再開業させ、不通区間を解消できることになると発表がなされました。写真の小本駅は、宮古へは向かえるものの田野畑や久慈方面へは行けない折り返し点ですが、ようやく復旧の目途が立ちました。
昨年の朝の連続ドラマ「あまちゃん」では、この久慈から宮古にかけての北リアス線側が舞台となっていましたが、2012年7月に北三陸(たぶん久慈)・畑野(おそらく田野畑)間の復旧を果たしていて、第156話(最終回)においては「この先へ! 平成25年全線開業へ」という横断幕が、畑野駅に掲げられていました。
その後の昨年暮れの紅白歌合戦で番外編のような続編のような「第157話」では、ヒロインの1人足立ユイを乗せた車両がなんと宮古まで走ってしまい、宮古からはタクシーで空まで飛んで、ヒロイン天野アキが待つNHKホールまで駆けつける一幕もありましたが、それはまあ余禄(鉄拳さんのアニメーションだったし)
しかしこの157話が活かされるとすれば、ダメ押しの158話を、実際の北リアス線ならびに南リアス線全線運行再開にあわせ、悪乗りの劇場作品としてやってしまうという手もありなんだなあと思うのでした。
まさかね、密かに撮影してました。なんてことはありませんでしょうよね。
挿絵に映っているメッセージを読み取れば一目瞭然ですが、来月の新年会で立ち上げたカレーコンペに「小隊規模」で参戦をもくろんでいたらしい和邇さんから、もうほとんどやけくそで「手で押し出せ!」(記事表題と連動してますが、意味の分からなかった人にはごめんなさい)的な補給物資の放出がありました。
要約すると和邇補給艦SIDEKICK1号が会社の強襲を受けて撃沈され、つくばーどへの参加ができなくなったので、洗いざらい物資を渡すぞ、と。参加者1人あたり1瓶の福神漬け(12瓶。ラッキョウ2パックとビール券付)です。ご飯1皿はいけてしまうかもしれない。
そんな和邇一家がどのような戦略でカレーコンペに臨んでいたかというと、
正統派部門 和邇パパ&和邇お嬢1号の『それなりに美味しいけどニンニクをつかってない(パパがニンニク食べられない)からけっして通好みではない“骨付きトリプルミートカレー”』
闇(?)部門 和邇お嬢2号の『市販の固形ルウをお湯でといてスイートコーンの缶詰を入れただけの“料理音痴な女子高生のキャンプカレー(失敗例)”』
レトルト部門 和邇ママの『せっかく山形の実家から送ってきてくれても、ピンク色のそのあまりにもあまりなルックスに誰も手をつけようとせず、結局賞味期限をバリバリ過ぎてしまってゴメンナサイしてしまう“東根市名物さくらんぼカレー”』
「皆さんの消化器系を文字通りノックアウトしてやろうと思ってたんですけどねー(笑)。悔しいから時限爆弾送りますんで、和邇一家いや和邇一族2000年の悲願、たっぷりと味わうがよい」(って、和邇家は補給部隊じゃなくて不知火太郎の一味だったのか?)
しかしこのメッセージを見て、うちの霙は
「でも闇?部門はそっくりそのまま再現してみますかい」
などと言ってます。
ああっ、食い物の恨みはおそろしいからそれはやめれっ!
昔、スズキ本社の広報マンに、海外で作られたリミテッドエディションはどれだけあったのかを質問したところ、
「各国で沢山出ていて把握しきれない」
と答えられたことがあります。たぶん把握しきれなかったのは本当のところだと思いますが、めんどくさがられた感も強かった気がします。だからそのとき、エルトン・ジョンリミテッドが何台生産されてのかを聞いても、わからずじまい。そんなんでしたから、海外の限定モデルや特別仕様という話題はあまり知る機会もありませんでした。
「Rossini」リミテッドエディションは、どうやらこちらで言うところのコンバーチブルのみに存在したモデルのようですが、何時からいつまで生産されていたかは不明です。しかしまた、なんだってカクテルの名前がクルマに与えられるのかという企画意図が謎です。ヨーロッパと我々との文化の違いを見せつけられたようでもありますが、だって国内で「エスクード大吟醸」なんてやろうとしたら大顰蹙を買うでしょう。
ロッシーニというのは、イタリア産の発泡ワインと苺の果汁を組み合わせて、1960年代に生まれたクラシックカクテルのこと。「ウィリアムテル」で知られるオペラ作曲家のジョキアーノ・ロッシーニを冠したところが、イタリアのカクテルという出自を物語っています。それまでのサムライ・ジムニーよりもポップでカジュアルなエスクードは、ヨーロッパにおいて、イタリアのイメージを与えやすい四駆であったのでしょう。だからこの思いっきりピンクな車体色が、カクテルのロッシーニを彷彿とさせます。後に登場するエルトン・ジョンリミテッドはJ20Aを搭載した2リッターモデルのコンバーチブルで、こちらはドイツ版という異なり方と比べても、なんとなくお国柄がラップしてユニークです。
でもロッシーニは18歳でデビューし37歳で作曲をぶん投げるまでに39作品を遺したそうですが、ヒットメーカーというよりは一発屋っぽい印象があって、その後の食道楽の方が著名なところもあります。エスクードの本質までもがそうかどうかは僕には評価できませんが、カクテルの名前すら通り越して、そんな部分もロッシーニに因まれていたんでしょうかねえ。
1994年前半のイギリス版スズキラインナップカタログに掲載されたVITARAの車種構成をみると、まだ1600ccのみの展開だったG16Aエンジンは、ロングボディの5doorのみに16バルブ仕様が与えられ、ショートボディのエステート(ハードトップ)とソフトトップ(コンバーチブル)はすべて8バルブ仕様という割りきり方でした。
この当時だけで比較すると、日本国内仕様は3型あたりと思われますが、16バルブ化されたショートモデルに乗ることができたわけで、ユーザー側にとっても恵まれていたと言えます。
この頃のVITARAはいわゆる1型仕様ですから、オートマチックトランスミッションを比べて3速時代のものです(16バルブ仕様は4速)
ところがミッションに関してはマニュアルを選んでしまえばあまり差は無く(最大馬力は低いけれど低速トルクは太めだった)、8バルブ仕様でも不便は感じなかったかもしれません。エステート(ハードトップ)はAT仕様のあるJLX‐SEと5速MTのみのJLXという差別化が図られており、インジェクションかキャブレターかの違いや、排気系に触媒が装備されていたかいなかったか、パワーウインドーとセンター集中ドアロックがついていたかいなかったかの違いがありました。
面白いのはソフトトップ(コンバーチブル)の車種構成。上記の装備の違いを持つ2車種以外に、廉価版に相当するような「Sport」、リミテッドエディションの「Rossini」がラインナップされていました。「Sport」はパワーウインドーや電動ドアミラーなどの快適装備はおろか、レブカウンターまで排除されている徹底ぶり。その代り、おそらくエスクード史上最軽量の960キログラムという乾燥重量を実現していました。「Rossini」はこれをベースに専用シート、ロゴデカールなどの装備を組んでいますが、20キログラムほど重くなっています(ただしいずれの車種もグロスウエイトは1450キログラム)
仕様の上で4車種というコンバーチブルのラインナップは、この当時のイギリス版スズキ4輪車内でも最多です。ノマド系まで含む全エスクードでは8車種(AT、MTの区別を除く)にもなり、市場に対してかなりの力を入れていたようです。それにしても、一見、北海道よりも高緯度のイギリスでコンバーチブル多種構成? と思ってしまいますが、西岸海洋性気候だから夏は暑くなく冬はそれほど寒くない(程度問題?)ことや、日本と比べて日射量の少なさなどから、オープンモデルがもてはやされたということなのかもしれません。