あつかぜいたる「温風至」とは七十二候において今頃のことを示しますが、雨天気でも湿度が高くて暑いねえとつぶやいてしまいます。晴れたら晴れたで温風どころかもはや熱風ですし。
熱中症や熱射病には気をつけなくてはいけませんが、それでもまあ、からっとした夏は嫌いではないのです。「温風至」とは別に、しろばえ「白南風」とも呼び倣わすような、青くて白くて明るい季節です。ニッキの枝打ちをやったので、つくばーど基地の前庭も明るくなりました。
TDAの新たな開催地として期待されている山口県のコースは林業伐採管理道から起こされたものだそうで、例えばダム建設のための原石採取場が活用されるダートコースとは根本的に地形も地質も異なります。
「雨が降ったらどろどろの路面で、高低差も35mくらいある。今回は雨後のどろどろコンディションでしたから試走するにも安全第一で速度が出せませんでした」
主催者の一人である島雄司監督は、川添哲朗選手のエスクードがミッショントラブルでそれどころではなかったようですが、話を聞くだに、ドライコンディションでも競技の特性を別のところに見出さなければ安全面でリスクが高いと感じます。更に聞けば、積載車を置いておく場所が無いとか、その積載車が路面状況によっては登っていけないとか、課題がどんどん抽出されている。
広島県あたりの安定したコースまで足を伸ばした方がよさそうですが、そうすると今度は常連としてレースを盛り立ててきた九州勢が遠征しにくくなる。それでも年間五戦あるとして、うち二戦くらいは遠出設営する必要がありそう。もっとも残る三戦をどこでやるのかという問題解決ありきなのですが。
それにしてもTA74Wのミッションはそんなにやわなのか? 面倒なものを投じてしまったのではないかと心配です。
筆者がずるして楽をしていると言われそうですが、7月のスーパースージーにはマミポコさんの「お嬢01Wレストア計画」を掲載する予定で、昨日取材させていただいた「ワンオーナーで30年」は、11月まで温存のつもりでしたが、後述の展開で9月に前倒しとなります。11月の号には本来9月の予定で「Cyber‐Kさんによる林道インプレッション」を書いていただきました。なんかもうややこしいんですが、入稿の入れ替えです。
Kさん、原稿には書いていませんが、林道の走り方やリスク回避に基づいた運転者が、最新のSUVになるほどできていないと話していました。最新でなくとも慣れによる煩雑な運転は傍から見ていてはらはらすると。
そういうところも辛口に出してもらったら良かったのですが、残念ながら文字数の関係もあり書き足してと注文できません。ESPに始まる電子制御デバイスが、林道走行程度のステージだと危険回避意識のハードルを下げてしまうのかもしれません。
逆の視点で見ると、Kさん曰く「AllGRIPはモードセレクトで荒れた道も安定して走れる」という部分から、四代目がオンロード寄りになったとだけ評価するのはどうなんだ?とアピールしたいそうです。
それでもエスクードの系譜はラフロードを逞しく走ることではないのかと、Kさんは自車のラフロード仕様化を行い、あらかじめ組んでいたサスペンションをはじめタイヤやバンパーガード、ルーフラックを組んだわけですが、その様子を動画にしております。さあ、中身は羊のままか。羊の皮を被ったのか。この話が舞い込んできたので、林道編からラフロード化編へと年越し前後編の流れを作ります。ことし30年のエスクードは、ことしのうちに掲載しなくてはならないからです。
我が家で所有していたGリミテッドノマドは、維持し続けていたら今年が30年目でした。これ1台で充分だったのですが、当時は89年式のヘリーハンセンリミテッドと2台体制で家族全員の旅行に出かけていました。ヘリーハンセンは95年にカタログモデルのV6ショートに切り替わりましたが、ノマドは現役続行としたものの、親父が裏切りJB23なんか買ってしまったので、乗り手がいなくなり退役しております。
今さら無いものを相手に「たら、れば」な話をしても仕方がないのだけれど、30年を維持したクルマは、我が家にはありません。ぷらすBLUEが32年目というのは年式ベースのことで、僕が購入してからはまだ20年も経っていませんから。それを考えると、クロさんやぴるりさんがワンオーナーで30年目って、ものすごいことだと。これを取材しないでなんの「エスクード誕生35周年」かと、勝手に決めつけ明日敢行です。
「つくばーどのこの記事のオチは(私の)構想と同じだったのでドキッとしました」(笑)
などと言いながらCyber‐Kさんが送ってきたエスクードの写真でタイヤを見たら、オープンカントリーに履き替えている。既に構想内にあったことだそうで、ヤマタノオジロのオールテレーン化計画と呼応していたとも言えるでしょうか。
「225/60R17によってタイヤの外径が34mm大きくなったので、若干リフトアップに貢献してます。オープンカントリーRTは思ったよりロードノイズが気になりました。音量というより低い周波数のノイズが目立ったかなという感じです。少し砂浜を走りましたが、ツルツルのジオランダーSUVより砂を掻いてくれます(当たり前ですが)。オンロードの乗り心地は扁平も上がったおかげなのか突き上げ感が激減しました」
サイズのこともあるし、エスクードとハスラーの車体やサスペンションのこともあるでしょうけれど、履いている車によって印象は変わるみたいです。
うちの女性陣曰く「乗り心地とか燃費とか気にしてたら仕事(出張)にならないわ」「見てくれの割には静かでちょっと肩透かし」。なんというか、性能二の次な感じです。
金曜日に失敗しながらも絶妙のオドメータ数字を刻んだぷらすBLUEは、土曜日に近所での買い物などでちょこちょこと距離を詰めながら、日曜日に無事32万キロに到達しました。
初年度登録から32年、1年に1万キロのペースとして平均値に持ち上げたのは、我が家に来て酷使され始めてからです。
そして土曜日のこと。歯医者に出かけるために一度車庫に赴いたところ、幌の左後部が外れかかっているのでこれを直そうとデッキトップとリアスクリーンを外そうとしたらファスナーの固着で動かない。CRCを取りに行くためキーをこんなところに置いたまま家の中に入り、そのこと自体をすっかり忘れて別の鍵束を持って車庫に戻ったら歯医者の予約時刻が迫って作業している時間が無くなり、まったく気づかぬまま歯医者まで片道3キロを行き来していたのです。
なんですかね、そろそろ認知症を警戒しないといけないですかね・・・
既に交流の途切れた人ですが、2006年当時アフリカで家畜への診療と伝染病予防接種活動をほぼ自費で展開していた「獣の女医」こと滝田明日香さんは、サバンナを縦横無尽に走り、走ればスタックして動けなくなるという七転び八起きのドクターです。彼女がその頃使っていたのが、1993年式ヘリーハンセン・リミテッドのエスクード。これを彼女が手に入れたのが2003年。ああ、今年はエスクードについては縁のある年回りだったと思い出しました。
既にエスクードは退役してローバーか何かに乗り換えているし、マサイ・マラでの活動もかなり大きく育っています。昔、知人から「エスクードが表紙写真の本がある」と教えられ、その内容に驚きコンタクトさせていただき、2007年につくばーど®で紹介した頃はまったく無名でしたが、情熱大陸の採用あたりでブレイクしました。今考えると、無謀っちゃ無謀ですが、彼女ほどエスクードとクロカン性能と日常を結び付けた人はいないなあと感じます。
※つくばーど®サイト上のマサイ・マラ診療巡回プロジェクトリンクについては、現在はすべてリンク切れしています(うっかり解除し忘れてそのままだわ)
BLUEらすかるのフロントグラス交換が終わり、戻ってきたらば検査標章がこんなところに貼られていました。ことしの7月3日から、法令が変更施行されるものです。主治医、仕事が速い。
しかしですよ、エスクードやハスラーはフロントグラスが立っているからそれほど煩わしくはないけれど、これそんなに絶対必要な処置なのか?
検査標章の取り付け位置内容について国土交通省の自動車局は、運転者からもクルマの外側からも車検証の有効期間を確認しやすいよう、貼付位置を「前方かつ運転席から見やすい位置として、前面ガラスの運転席側上部で、車両中心から可能な限り遠い位置」と説明しています。
ただこれにはパブリックコメントでそこそこの反対意見があったようで、クルマのフロントグラス部分の角度や構造によってはかえって運転者の視界を妨げると食いつかれました。そこで運転者の視野の邪魔になるなら「運転者の視野を妨げない前方かつ運転者席から見やすい位置」に貼り付けることを認めています。
だからさ。
いついかなるときも運転者が車検情報を視認しなくてはならない理由というのが結局は曖昧なのです。そもそも自分で乗っている車の車検満了時期なんて、はじめから頭に入っているし、うっかり忘れていてもガソリンスタンドやらディーラーやらから葉書通知の営業が来ますわ。いついかなるときのうちの大半が「運転中」ということになっているこの法令を作った役人は、霞が関まで鉄道と地下鉄通勤でクルマなんか持っていないんじゃねーか? と思ってしまいます。
あるいは「なんでもいいから仕事しろ。でないと次年度の予算削られるんだぞ」などとプレッシャーでも背負っていたとかね。
蛇足ながら今回のガラス交換で気になってくるのは、これなんかより社外品って、どこのメーカーのガラス? という点です。メーカー視認プリントは、対極的に助手席側左下の端っこにあります。
つまりこれは「うちのメーカー視認プリントが運転者の視界を妨げてはならない」という意志(もしくは役所指導)があるということです。
なんのこっちゃと思われそうなタイトルですが、フロリダのマイアミからカリフォルニアのロングビーチまでの道のりが、ざっと800マイル。マミポコさんのTA01W「お嬢」は97年式の初代最終型で、車体色がマイアミブルーメタリックとシルバーのツートンでした。腰から下の銀はそのままに、青の部分を塗り替えた色が、ロングビーチブルーというターコイズ系の青緑です。ゆえに面白がって「八百哩ペイント」と呼びます。
ちょっと意外だったのは、このロングビーチブルーって、スズキの塗装色ではなくBМWのものだそうで、異国でバイエルン州のメーカーがカリフォルニアをイメージしてカラーリングのネーミングをするんだなあと・・・まあそれを言ったらスズキだってフロリダをイメージしているわけですが。
この2つのカラーイメージの街について調べてみたら、ロングビーチにはもっと意外な縁があることを知りました。東部からの入植が行われたロングビーチは、その都市名を正式に定めたのが1888年。エスクード誕生100年前のことでした。もうひとつ、あと少しで月軌道に達する「お嬢」ですが、ロングビーチ(カラー)になったということは、ヒューストンに「より近く」なったのです。もっともフロリダにはケープカナベラルがありますが。