ぷらすBLUEは車検を終えオーバーホールに入っております。月末には戻ってくる予定ですが、G16Aのオイル上がりとオイル下がりの併発により、あちこち手を入れなくてはなりません。このところの対話で、霙はエスクードの乗りやすさ(当社比)もあり長く乗ってくれそうなお言葉も賜っているので、ここで大がかりに整備せねばなるまいよと、後が怖いけれど必要部品の大量発注となりました。
大量発注って・・・どんだけ?
ただし、初代ウルトラマンと新ウルトラマンのような相関図ではなく、おいたマンさん本人です。三代目エスクードの2700からスイフトRSを経由し、四代目の初期型に戻ってこられました。1400ターボは、ご当人の走らせ方には合わないということで、NAの選択もおいたマンさんらしいです。
最初の連絡をいただいたのが9月28日の昼頃で、納車待ちだと。仕事で猪苗代にいた僕は勘違いして「試運転でひとっ走り来なさいよと」言ってしまったのですが、正式な納車は6日だったそうです。納車時点で積算走行距離200キロ未満で、エスクードマイレッジにエントリーしたときには500キロ。この週末は早速、ご家族を乗せて走り回ったのでしょうね。
島監督から連絡があり、先日広島で開催されたダートレースJ‐ONE・GPにおいて展開された川添哲朗選手とエスクードの戦いが、スーパースージー誌上でも取り上げられる算段になったということです。夏前の転倒で全損状態を修復した手負いのTA52W、整備してもなおフロントデフに信号が伝達されず四駆に切り替えられない、そのトラブルがよりによってJ‐ONE本戦当日に発生、練習走行をあきらめ現地でデフ玉を割っての修理、本戦5分前の修理完了、そして準優勝。
というのがウエストウインのダイジェストでした。
そりゃーこんなドラマを残しておかない手はありません。これを取材しているのは、九州かわら版や九州J通信のライター・高橋陽介さんなので、ウエストウインのチームスタイルや後藤・川添両選手とエスクードの戦歴には精通しているし、安心して次号を待つことができます。
「なんだか、場合によっては2ページ扱いだとも言われたんですよ。J‐ONEそのものが始まったばかりのレースなので、まだスーパースージーなどでは大きく扱われたことがないようで、この機会にレースの紹介を主にするのだとは思いますが」
それはそれでスタンダードな記事構成でもいいじゃないですか。ただ、ドラマであるとか臨場感であるとか、セコンドを書くというのは案外大事なことで、遠征組のウエストウインが広島まで十分な装備の用意なく出場して、まさかの故障という事態に、居合わせたチーム内外の沢山の人々が物資の調達やら工具の提供・借り受けやら、まんじりともしない時間の中で奔走した。その人々に対して、本人は負けて悔しかったと言っていますが結果ではなく記憶を刻みつけた(それでも2位獲得、準優勝はすごいんだけどね)という、その部分が血沸き肉躍るわけです。
スーパースージーのレースレポートに、そんな切り口の記事はなかなか出てこなかった。だから楽しみで仕方がありません。思わず「それはもう、つまんない原稿書けないよねえ。って伝えといてください」と、監督に伝言頼んでしまいましたよ。
四代目がどんどんマイナーチェンジをしている時代に、いまさら過去のデザインがどうとか持ち出しても風化しまくるだけの話。そもそも比較するなら現行モデル同士、過去モデル同士ででやんなさいよ。
二代目を残念というなら、その二代目はアジアを意識したものではなかったことを明記しておいてもらいたいものです。GMがダサかったのだとね。
これまた引き合いに新型シエラを秀逸と言われるわけですが、要するに先代のデザインがエスクード同様気に入らなかったというバックボーンでの見方だとすれば、ある種スジは通っているのか(笑)
しかしですよ、あのまったく新車感のない原点回帰デザインは、他社の四駆が二代目エスクード並みに角を削り、派生モデルは続々とクロスオーバー化して「RV然としなくなった」ところへ、かなり無難にコンサバティブなカタチを繰り出してきたから目立つ。OBの意見具申もかなりうるさかった。でもそれこそがニッチのチャンスなのであって、実はダサかっこよさの体現じゃないのかと。
昔、二代目ユーザーさんにお話ししたことがあります。たれ目だたれ眼だと言われる二代目エスクードのヘッドライトと、初代のそれを、エンジンフードのラインではなくランプユニットで比較してごらんなさい。本当は二代目の方が吊り目なのです。
普段だったらこの手のムックは我々には縁がない(エスクードなんかほぼ相手にされないから)のですが、これだけ年月を経ると超有名な国産車だけでは企画が持たないと見え、我が家で乗っていたような地味な車も取り上げられている。うちの霙には目の毒な日産パイクカーのページも割かれている。ってんで、手に取ってみました。珍しくなのか珍しくないのかわかりませんが、初代パジェロとか初代ジムニー(間違ってないけどなんか聞き慣れない読み慣れない響きだ)も出ています。
パジェロはともかく、ジムニーに関しては誕生48年目という半端な年回りでも、先頃20年ぶりのフルモデルチェンジ(ほんとうにフルなのかどうかはまあまた別の機会にでも)があってのことで、雑誌の販売・・・と広告戦略的にマストアイテムでしょう。なんせ8ページも使って歴代の解説やら開発の歴史を綴っています。・・・と思ったら、実はジムニー企画は7ページまでで、最後のページをめくったらなんかこう見慣れすぎたものが。
一通り読んであきれて物も言えない気分なんですが、普段ほとんど相手にしないだろうから知識も無いし調べる努力もしていない。もういちいち記事が間違っててそのまま書店入り口の屑籠に放り込んでやろうとしたけど逆手にとって遊ぼう。「このページの記事のどれほどが間違っているか」。これがわかったら貴方も立派なエスクード通です。ま、いずれまともに旧車扱いでエスクードを掲載する際、こんな程度の記事しか書けないなら月刊自家用車も旧車FANもその程度の雑誌だよ。
スズキUKでは2020年までにビターラのPHVモデルを投入すると。
そういうことが書いてある・・・と思う
そこに「華」を見出し認めるかどうかの世間の評価は今後の動向を見守るのみですが、時代の潮流を読むのであれば、クロスカントリー4WDの衣を脱ぎ捨てた四代目に必要だった競合性やブランド力のピースとして欠けていたものはそこかもしれません。いや実際、その対象としてビターラ/エスクードが選択されたことは歓迎すべきでしょう。
この背景論として、プラグインハイブリッドパワートレーンにかかわるコストが約10000ポンドと試算するUKの理屈があります。ざっくり150万円弱のコスト上乗せ?は、少なくともヨーロッパにおいてはS‐CROSSやビターラクラスでないと需要が無いということでしょう。まさかその額面を丸ごと上乗せしていくとは思えませんが、上級モデルならそれは可能です。
向こう10年間で、PHVの販売戦略を確固たるものにしていこうとするスズキの新たな戦略モデルとなるビターラ。これはかつてディーゼルモデルがありながらも国内投入してこなかった先代とは異なり、「エスクード」としても実現してきそうな予感があります。しかし波乱万丈だね、テンロクNAが廃止され、1.4ダーボが出たかと思うと、それが1.0ターボへのダウンサイズといううわさが流れているときにこれだもの・・・
16日、広島県で行われたダートレース・J‐ONEに、川添哲朗選手が参戦しました。夏初めの転倒、普通なら全損という状態から修復されたTA52Wは、まだいろいろと不具合を抱えていますが、一番のトラブルは「四駆への切り替えができない」。これが今回も現地で発生し、島雄司監督とHANGARSPORTSの高田浩三社長は「もう腹をくくってデフ玉割るぞ」と、十分な工具も無しで作業に入ります。
「どうも転倒の際にデフへの電気信号を送るどこかが破損したまま」
という診断から応急処置が続き、走り出せる段階になったのが本線出走5分前。ぶっつけ本番で臨まねばならなくなりましたが、走れないよりはずっとマシと、川添選手はエスクードに乗り込みます。
島監督からの第一報がそういう内容でしたから、無茶なことになったなあと思っていたら、第二報は「BEST4に残っていますよ」。その後の結果連絡は「本人はしょげてますが、準優勝でした」
フレーム修正までやらねばならないほど車体全体がひしゃげていたエスクードでしたから、直す側の意地も相当なものだし、それを受けて表彰台に乗せてくるドライバーの技量と執念はすさまじいと思わされます。ついでに言えば、川添君のエスクードもまた、エンジンはノーマル仕様なのです。
「広島に出かける前にうちの工場でデフの分解整備をしてわかったんですが、後藤君のTA51Wとはデフの構造が細部で違うんですね。技術的に進化している。だけど顧客もディーラーもそんなこと知らずに二代目エスクードの時代を過ごしていたと思うと、二代目は逸材であったことを評価されなかったのが悔やまれます」
島監督は、準優勝を高く評価しています。んー、日頃「褒めませんけど」というのが口癖の人なのですが、最近ちょっと変わってきています。
状況をご存じない方には何のことかお分かりにならないと思いますが、1週間のうちに二度もぶつけられる、笑い事じゃないけど失笑するしかない8月でした。
ようやっと修理が完了したのですが、左後方側面をぶつけられたパネルにあったマーキングが無くなってしまいました。そこをどうするかは懸案として、とりあえず復帰。
一見ダメージは少なそうなんですが、ドアが開かないくせに「半ドア」警告でルームランプが消えないとか、アルミホイールはガリガリに削られセンターキャップは粉砕する(なんでそんなところに当る?)とか、タイヤのトーがずれちゃうとか。
しかし実際には、最初の追突時で破損したリアバンパーの取り付け部の修復に時間がかかりました。バンパー自体も細かくチェックしたら割れておりました。結果的にバンパーは交換しないといかんということで、部品の取り寄せでまた時間を要したと・・・ そんなわけで現在、左側面はすっぴん。主治医の手配でとある自動車メーカーの関連会社がマーキングを切り出してくれたのですが、「フォントが違いすぎてボツにしました」と主治医。別のところで再生中です。
先日、ツイッターの海からこんなつぶやきを見つけました。大分前のものですがこれはひょっとして、先代のことかBLUEらすかるのことでしょうかねえ。
おかげさまでまだ走れています。が、ごめんなさい、100万キロというのは、運転手がそれまで持たないでしょうねえ。
ぼちぼち借り受けて3週間になる3代目の初期型XS。当初はやっぱり「重いなー」と感じていたレスポンスとやらにも慣れて、2速の無い5ATの加減速と特にエンジンブレーキのパターンもつかめました。V6の2700は、奇しくも2代目のグランドエスクードと基本的にはほぼ一緒のエンジン。これくらい車が重いが故にフルタイム四駆なのか、前輪も常時駆動のために重いのか。とか言いながら踏み込むと「前から引っ張られる」感覚がちょっとあったり。
しかし慣れてくると思いのほか路地裏にも入っていけるし、どうにかこうにかリッター10キロは走らせられるし、この押し出し感のあるサイズですから質実剛健な感じもありで、ユーザーには好まれたのだなあとも思えます。
その分、4代目を「これぞ求めていたSUV」と愛でる人々には、びっくりするような重厚さと前時代さが際立つのかもしれません。事実、4代目でアクセルを同じように踏んづけたら、かなりすごいことになります(やったんかい)
まあね、北米市場を狙ってのことでしたから、3代目はこうなったしDセグメントが届くところまでフルラインへの道を歩んでいた時代ですから、13年前にありったけの技術を放り込んだという意味でも、秀作だと言えるでしょう。
何度も引用している「すべてを一新」した3代目は、エスクードというブランド維持のためには、結果的に一代限りのモデルとして、一新したものの多くを捨てざるを得なかった。そういう宿命を背負っているんだなあと感じながら使わせてもらっています。