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  ~懲りない傾向~

突撃!と衝撃!

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この容姿はいかにも成田亨さんのデザインワークス。ウルトラ系の宇宙人や怪獣に、なんとなく似たものが散見できますが、それらとは異なるリーグで誕生した「突撃!ヒューマン!!」の1号(左)と2号(右)です。1972年10月7日に、シナリオストーリーを持ちながら、各地のステージ上演で展開された、文字通りさすらいのヒーローでした。青と赤の裏表紙製サークル状サインが児童誌でも付録配布され、テレビの前でドラマ進行に合わせて青を回すとヒューマンがやってくる。

悪の軍団と戦う岩城兄弟は赤のサインで変身するという疑似体感型アトラクションを披露してくれましたが、照明効果やスモーク程度の仕掛けとトランポリン、操演ワイヤーくらいしか持ち込めない舞台上で、きちんとシナリオが進み、1号が瀕死の重傷に陥り2号が登場し、やがて2号の窮地に1号が復帰する・・・といったヒーローもの楽屋裏実話を逆手に取る演出までやっていたのは72年の特撮もの大進撃時代にあっても先駆的取り組みでした。

その翌日の10月8日、もうひとつのさすらう巨大ヒーローが画面に登場しました。予算の関係なのか技術の低さなのか主人公ヒーロー以外のロボットやモンスター類がチープ極まりないとほほな造形でありながら、ウルトラを経験したからこそウルトラではないデザインを実現した池谷仙克さんの、「シルバー仮面」に続く甲冑式マスクの「アイアンキング」は、しかしウルトラマンよりシビアに1分間しか活動できないという極端なヒーローであるところが意外と斬新の共存。

しかも、アイアンキング・霧島五郎は国家警備機構密使の静弦太郎を支援する役どころで基本が三枚目の昼行燈。敵側のロボットやモンスターを倒すのは大抵が弦太朗。最後の最後には侵略者に心身を乗っ取られて手先に陥り、地方放送によっては逆転劇となる最終回がオンエアされず「街を破壊するウルトラマン」という大いなる誤解をも招いた衝撃のキャラした。でも、五郎役の浜田光夫さんて、日活黄金期の看板俳優です。よくぞ「アイアンショック!」をやってくれたものです。

機体を調達できないなら特撮真骨頂を

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「トップガン・マーヴェリック」への36年の歳月は、映像化技術もドラマに積み重ねられた時間もすべて(ヒロインだけやんごとなき事情なところありますけど)包み込んで作られたところが好感触で迎えられた映画かなと感じます。撮影に実機を使える国柄というのはやっぱりすごいものです。なればこそ、邦画でやろうとしてもこれは太刀打ちできない覚悟のうえで、CGやVFXの総攻撃でやればいい。ゴジラもウルトラマンもそうやって作る時代ですし。

「トップガン」2作とも優れた映画であることは間違いないとして、こういうのを観たらば「ファントム無頼」の特撮映画をスクリーンで体感したくてしょうがないわけです(左図は同作ではありません)。時系列としては神田も栗原も現役パイロットは退いていますから、そこから始めて80年代に幕を移行する方法をとれば、在りし日のカンクリコンビを今描けるのです。操縦席周りは展示実機で撮れるし、あとは日本ならではの特撮で。何より彼らは戦闘機を戦争に使わない。と懇願。

既に月齢16.8ですが

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9月の満月、つまりことしの中秋の名月は10日でした。が、ロバート・C・シェリフは月を地球に落としちゃったし、ローランド・エメリッヒも月を人工天体にして落とそうとしてます。それはまだいい(いや全然良くない)

ジェリー・アンダーソンに至っては、月を地球の公転軌道から外して何処かわからない宇宙の果てに漂流させてしまいました。

月に投棄・管理されていた核廃棄物の貯蔵基地で電磁バースト核爆発が生じ軌道を離脱したムーンベース・アルファの事故は、1999年9月13日の出来事。なにしろ13日だもんなあと思って振り返ったら「月曜日」で「大安」でした。「スペース1999」(1977年)では縁起かつぎはしていなかったようです。2シーズン作られたドラマですが、2022年の現在も消息不明。それでこの数年の環境変化や異常気象が頻発に起こるようになったのかどうかは定かでないです。

そんな原稿は書きませんから

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先だって、二階堂裕さんと雑談していた折、クラウドファンディングでジムニーが出てくるマンガ出版の企画を聞かされ、「ジムニーが出てくる映像は意外に多いよね」という展開から、そんな原稿はどうかと問われてきっぱりと

「書きません」

 

いやそれは僕の立場として禁じ手なんですから、しょーがないのですと言い訳し、結局は「エスクードが出てくる映画やアニメを書きなさいよ」という決まり手を食らうわけです。このブログを通してだと今更感ありありなお題ですが9月に出る雑誌にはそれが載るでしょう。

それで、スーパースージーには「書きません」と突き放しましたがジムニー動画。おおかみこどものなんとかやら空の青さをどうとかだのシン・エヴァンこうたら等々あーもう勘弁してくださいな本数で、最近だと「映画 ゆるキャン△」です。

いずれのアニメ作品とも過度の使い方をしていなくとも、ほぼ誰でもジムニーだとわかってもらえるところがすごいのですが、「ゆるキャン△」あたりだと、ゆるキャン△ゆえにクロカンのようなことはしませんが、絵になりすぎなうえに逆に没意外性な出てきて当たり前車種に思えてしまいました(映画の内容とは関係ないです。内容の方はあれでいいんじゃない?)。でもあそこでパジェロミニの中古車なんて扱っていたら、似合わないとか違和感とか言われるのでしょう。

「映画 ゆるキャン△」では主要登場人物が皆それぞれ就職して地元にいたり他所に引っ越していたりの日常ですが、所得と実生活を考えると軽自動車でも維持するのは大変かなあと余計なことを考えて観る映画じゃありません。それでも維持費のことや知名度を総評して、中古のエスクードが選ばれる余地は無いようです。せめてねー、トライアンフを孫に譲ったおじいちゃん、コンバーチブルにでも乗って現れてくれたらなあと、まあ地団駄踏んでます。

 

行く先はどれくらい遠いの

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1977年9月5日に打ち上げられたボイジャー1号は、45年の歳月をかけて太陽から約233億キロ離れた宇宙を飛行中です。ボイジャーと地球とでは、光の速度でも20時間30分以上のタイムラグを乗り越えなくてはなりません。これほどの長期間運用が可能であることを、当時の技術者は半信半疑以下の確率でしか認識していなかったそうですが、太陽系外探査ミッションはまだしばらくの期間続行されるのだとか。4万年もすると、きりん座の方角にある赤色矮星付近へ到達するはずです。

1996年式のうちのエスクードが26年で85万キロ走っている距離を直接比べることは愚かなんですけど、国家規模のミッションであろうとも、これに向き合う一個人の道楽って、根っこは同じような気がします。逆立ちしてもエスクード1台では火星にさえたどり着けませんが。

 

 

1971年早春の風景

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これ、なーんだ? と問いかけ、「ベルコの96‐A」って答えが返ってきたらば、正解過ぎて「つまんねーやつだなー」とチコちゃん風に言うしかないのですが、今考えると71年にデビューしたこの車体にエンジンも架装されて、同年4月2日の放送に乗せられていたという当時のことを思い返すと、最先端やっていたんだなあとあらためて感心します。さてこのレースマシン、ドラマ内で走ることはありませんでしたが、何の番組に登場していたものでしょうか。

懐かしの風都

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仮面ライダーWを素材としたコミカライズ版「風都探偵」がアニメーション化され放送開始間近なのですが、このコミカライズは第1巻を読んでみて、少し前に始まっていたコミカライズ版「仮面ライダークウガ」のウルトラスーパーへたくそな作画に対して洗練された画風ながら、吹き出し内のセリフを表示する文字数がやたらと多くて2巻目以降を読んでいません。探偵は寡黙だと状況説明にも謎解きにもならないジレンマがあるなあとあらためて思わされました。

アニメだと聞き流せるからこれはいいなあ。と根性のないことを考えながらも、動画の世界で描かれる彼らの街、風都には当たり前のことですが彼らの仕事場である鳴海探偵事務所が間借りしている「かもめビリヤード場」が、往時のままに登場してくるところがうれしい。現実の街の方では3年前にこの建物の解体が行われ、宿泊施設に建て替えられてしまいました。時の流れには逆らえません。それが作画や背景で再現されるのは、目から鱗です。

置くところ無いので無理です

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「週刊ウルトラホーク1号をつくる」なんて・・・なんて凶悪な企画なんだと恐れおののいたものの、全長と全幅を考えたらこんなスケール用のプラケースあるのか? 水槽でも買ってこないとダメなんじゃないかという視点で、それこそそんなでかいものを置く場所が無い。

本日創刊だそうですが、企画が予告された時点でもういいやのアイテムとなりました。

ホーク1号と言えば、最初に手にしたものは親父と叔父貴が嬉々として作ったプラモデルでしたが、まあ幼児だったのでいくらしたのか知りません。自分自身では、小学校の帰り道の駄菓子屋で売っていたフックトイのはしりもので、軟質プラ製でランナーからα、β、γをそれぞれ切り離し、αにあけられている穴にβとγのピンを差し込み1号を完成させる仕組み。色なんか整形色の銀色だけで、塗料も受け付けない材質でしたが、これが10円。5個くらい買って1号編隊を成立させられたのですが、なんでかこういうのって残っていないんですよね。

走馬灯の70年代

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小林清志さん、オリビア・ニュートン・ジョンさん、大竹宏さん、三宅一生さんの訃報が立て続けに報じられ、2030年代には回帰流行するかもしれないイッセーミヤケファッションなど70年代が薄れていくなあと感じます。こと「ルパン三世」第1期は、主要キャスト声優陣の大半が鬼籍に入ってしまいました。今考えると、ルパンの第6期が始まるとき、配役引退しながらもわざわざ制作したエピソードゼロの小林次元は、この日を予見してのことだったのか。

次元大介はマリリン・モンローとクラシック音楽ファンでしたが、70年代といったらオリビア・ニュートン・ジョンかカーペンターズかスリーディグリーズか(超偏重)の女性シンガー時代だったのです。いや、もうそいうことにしといてください。でもって77年に発表されるのが「クラッシャージョウ」って、何の脈絡もないですが、これが6年後に映像化され、パイロット・タロスの声を小林清志さんが担当しておりました。このキャスティングは絶妙でした。

70年代をさらに遡れば、僕の世代だったら小林さんとの邂逅は1965年の「宇宙パトロール ホッパ」のダルトン隊長です。ジェームズ・コバーンの吹替もあるけどダントツに演じた数の多さは次元なのか。大竹宏さんは後半の「パトロールホッパ宇宙っ子ジュン」に出てくる敵側ムー帝国のフック役でした。でもやっぱり初代のアルベルト・ハインリヒ役ですよね。走馬灯を回すと、薄れると言いながら、声や歌の妙技はしっかりと遺りますね。たぶんファッションも同様でしょう。

 

 

立秋って何なんだろうと常々思いますが

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秋が始まるんで、暑いのはみんな積み残した夏なんでしょう。