本日午後の便で出発。また月末に帰ってこられるといいのだけれど、まさかこっちに居る間にあっちが震度6強をくらうとは思わなかった。まともに出かけられるのだろうか・・・ ところで白状しますが、旅客機に乗るのって、今回が15年ぶり。国内線に至っては30年以上記憶がない・・・ 新幹線と言い在来線と言い、なんなんだこの田舎者っぷりは。仙台や山形以前に、羽田にちゃんとたどり着けるのか?
今年はどこに行ってこようかなーと思案中。
行ったこと無くて大振りな桜の木。さて、どこにあるかしら・・・
たまに食べたくなる
・・・ラーメン。
で、夕飯が野菜タンメンになったの図(笑)
今回の一時帰還で、山形と羽田を使うルートを選択したことで、行動の範囲は限られたものの、使える時間はそこそこ捻出できました。仙台から山形へ向かうための高速バス混乱も比較的収まっていましたが、大事をとって前夜に山形に入り、待機。この時間に付き合っていただけたのが、最終型テンロクエスクードで36万キロを越えてなお現役の、しろくまさんです。
晩飯を食いながら各地方の民俗学的見地による人の暮らしや、東日本大震災をどのように復興するかという視点での、一般市民のあるべき姿への課題と期待を、気がつけば3時間近く喋っていました。
お互い意気投合しまくりながら、しろくまさんにお目にかかるのはこれが初めてという、誰かが傍で見ていたら絶対にそうは思わないだろうという対談です。もちろんお互いのロートルエスクード談義にも花が咲き、翌朝は彼のエスクードで空港まで送っていただくという特典つき。考えてみれば、自分の車よりも距離の出ているエスクードに乗るのは初めてです。
「廃止論で畳み掛けられていた山形空港も、今回の避難経路として存在を認められたと思います。山形が元気であることは、今の東北にとって大事なことだし、東北と各地をつなぐ役目を果たすためにも、地域の若者に元気でいてほしい」
しろくまさんに見送られて一路羽田へ。山形・羽田の航路って、窓の外を眺めていたら筑波山のやや東をかすめていく。するってえと、途中下車が可能なら(考えるなそういうことっ)、基地には離陸後30分で差し掛かるのかとかうなっているうちに、都合19分ほど遅れて着陸。考えてみれば2カ月とちょっとぶりの東京。しかも桜前線の満開日。いいタイミングで戻ってきたものです。ここから基地へ戻るためのトランジットとして、八重洲に向かいます。そこで待っていてくれたのが、あおいろさんと、はまたにさん。ちょっと遅めの昼飯を食いながら(食ってばっかりだ)、発災のときの東京の様子をあらためて教えてもらいました。
「東北では、とか、首都圏は、という地域を区切った見方をしてはいけないし、今、わっと盛り上がってしまった復旧と復興でがんばれ云々という風潮は、あるときぷっつりと息切れして消えてしまう怖さもある。ブームと一過性というわなにはまっちゃいけない」
「うちのボスなんかは世間が驚くような被災地救済の手を打ち出していますが、そういった手腕を手早く決断できる企業であったことは、若い社員にとっては士気につながる。全産業が同じことをできるわけじゃないでしょうけど、民意の力には希望を持ちたい」
2人とも阪神・淡路を知っているだけに、復興という言葉が一筋縄ではいかない、それがなぜかをよく分析しています。勉強させてもらえた2時間のトランジットでした。それを思い出しながら、自分が喋っていたことを振り返ると、かなりばかっぽいことしか言っていなかったんだよなあ・・・
ちょっと嬉しかった事。
震災翌々日の日曜日。新月サンにのまちゃん強奪されたので、家で掃除やら洗濯やらしていたら〝ピンポ~ン〟・・・?何のセールスだ??と思いながら玄関を開けたら、宅配のオジサンが佇んでおりました。(我が家のインターホンは壊れてて、単なるドアチャイムと化している)
何も買った覚えが無かったので、受領の判を押しながら箱を見ると
あら、カリカリget(笑)
こんなにも青い空の下で
などと書いて、晴天でなかったら様にならんなとは思いますが、ここは気取っておきたい親心です。我が家のエスクードの名付け親にして、幼児期には自ら、エスクードのイベントにおいて泥の水たまりにはまって真っ黒になったという長女、霰の高校への入学式です。
東北地方では災害と向き合いながらの厳しい新生活を送る同世代の子たちもいる中で、予定通りに制服が仕上がり、式に臨めるのは、幸福なことだと思います。だけど茨城もまたなかなかに被災しており、妹の霙と協力して家事を切り盛りしてきた霰もまた、褒めてやらねばならないと感じております。
まあそれにしても、式が済んだら久しぶりに父娘で、がっつりステーキちょっとはお洒落な昼食でもと考えていたら、入学式の終了後にクラス分けを伴う学力診断テストだと? はー、そんなのをこの段階からやるのかとため息をつかされます。どうも3月中に実施するはずだった予定が震災で交通機関がマヒしたために延期されていたらしい。いきなり難儀な奴だなあと同情したら、
「お母さんが入学式の日に仕事がかぶってしまったー。お父さん、式のあとの保護者説明会に出てねっ」
ななな、なんだとーっ、俺もかいっ! とーちゃんは学園祭以外の学校ってやつが大の苦手だというのに・・・
御使い先の駐車場にて(正確には隣の敷地だけど)
私の背丈よりもはるかに高い塀に阻まれて、近づけなんだわ。もっと近くで見たかったよーん。
昔、東武東上線の志木駅(あそこって埼玉県志木市かと思ったら新座市なのね)からちょっと歩いた住宅街に、「詩季」という名前の喫茶店があって、数年ほど前に閉店したと聞きました。
この店には最初の一人暮らし時代、東上線の大山駅まで歩いて行って列車に乗って珈琲を飲みに行っていたことがあります。でも珈琲というよりは、その店の看板だったのか定番だったのかまではわからないのですが、ホットサンドを目当てにしていた部分も大きかった。特筆すべきホットサンドなのかというとそうでもなくて、ハンバーグサンドの具などは、あのマルシンのハンバーグそのものだったりしました。
それでもわざわざ電車に揺られて喫茶店に行くという変な趣向をかきたてるお店の一つではあったのです。その当時は住んでいるところに車を置いておけるような環境でも懐具合でもなかったしね。
その東京時代にしか通わなかった名前と同じ字面の喫茶店を、盛岡の駅前で発見することになろうとは、思いもよらぬことで、しかしその佇まいから見ても、小耳にはさんだ「詩季無くなっちゃったよ」というあの店が、岩手に越してきているはずはないなとも確信しながら、店のドアを開けたのでした。案の定、古びた調度品やカウンターのお店が、ここ数年で開店したのではないことを物語っていましたが、このお店の看板メニューがホットサンドであることには驚きました。すれ違ってしまったけれど、なんとなく再会したような、そんな気分で、ツナメルティーサンドとやらを注文したのが、ほんのひと月前のこと。もう一度出かけてみたい盛岡ですが、本日はかなりすれ違って山形から羽田へ向かいます。
この際だから禁煙しなさい。などというリアクションやコメントを寄せてくるような人には、「そんなやつぁー友達じゃねーっ」と泣きを入れますので、ゆめゆめ刺激しませんように。
JTの宇都宮、郡山の工場が被災し、全国的なのか東日本的なのか定かではありませんが品薄になってしまった例のあの嗜好品というやつが、まさか食い物や水や燃料に続いて危機的状況になろうとは思いもしませんでした。
来週あたりから、人気銘柄を仕分けして少しずつ生産再開し出荷を始めるとのことですが、僕が嗜好している例のあの銘柄は、順番としては5月中旬からだという。
「オゥ! なんてこったい!!」
幸い、心優しくご理解の深い仲間からの補給によって、この時期くらいまでは節約しながら過ごせば、手持ちの例のあの在庫が底をつくのは避けられそうです。いやもう、いざとなったらお茶っ葉とか紅茶の葉とかを、漢和辞典だとか英和辞典だとかのページを破って、巻いて火をつけるかと思っていたくらいでした(いろんな意味で危ないから絶対真似しないように)。だけど、工場出荷が停止しただけで、あっという間に店頭から消えてなくなるってことは、嫌煙絶煙環境と健康第一の世の中という風潮は、実はそれこそ世論の操作か幻想の独り歩きではないのか?と、疑惑を抱きたくなります。
えーやめませんよ、やめませんとも。でも消費量はいくらか見直しされそう。