Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

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5年も前のことなので既に忘れ去られているかと思われますが、2007年の夏、利根川河川敷でデイキャンプを行って、雲行きが変だしそろそろ撤収だねと片付けをしている最中のできごと。

川上から堤防沿いに黒い柱が来るのを見つけた次の瞬間、突風は縦列駐車の車たちを揺さぶりながら通り抜けていきました。

威力は弱かったけれど、竜巻です。弱いといっても、車と車の間に入って身を守ったから無事たった。

竜巻が通り抜けていったのが、堤防下の道路上だったこと、縦列方向に吹き抜けて行ったことは、ラッキーだったのだと思います。草地を直撃していたら、片付け途中の人たちに被害が出たかもしれないし、横腹にまともに当たってこられたら、一台や二台は転がっていたかもしれません。この車両の列に当たったことで、竜巻の根元は力を相殺されて、直後に崩れていきました。

竜巻を発見する直前の川上方向。このあと「のまちゃん」のところまで移動したところで竜巻を見つけ、「ぷらすBLUE」の前に入って身をかがめていました。

発見から1分もなかったのではないかと思います。

ことしの5月のときと同じような空模様です。関東平野は田園地帯で、上昇気流が発生しやすいのだと想像しています。川筋は上流からの冷えた空気を運びやすい地形でもあり、上空に寒気が入ってくれば、大気のマイクロバーストが起きるのも自然の流れです。

このときは、ここでデイキャンプをしていて雨に降られたことはあっても、こんなのは初めてだと思った程度でしたが、よくよく考えてみると、筑波研究学園都市に出かけていて、近くでダウンバーストを経験したことが過去にあったし、利根川を高速道路で渡っている時にとんでもない量の降雹に出くわしたこともある。そして今年の被害。意外と竜巻やダウンバーストに関して、油断のならない地域だったのです。

 

卵は世界だ

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と綴ったヘルマン・ヘッセによれば、生まれ出るためにはひとつの世界が壊されるらしいのですが、これだけでかい卵だと、もしも孵化が始まったら、なんかもう世界がひっくり返るんじゃないか。以前、須賀川にあった「ゴジラの卵」に比べればずっと小ぶりではありますが、いったい何の卵なんだろう・・・

事の起こりは、1992年まで遡るそうです。久慈市(旧山形村)にて。

 

20th VITARA

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青影さんに教えていただいた、海外での企画映像に登場するVITARAたち。我々は海外仕様をショートのビターラ、ロングのグランドビターラと認識していましたが、実際には両方出ていると「グランド」は省略されてしまうこともあるようです(呼称しているシーンもある)

ヨーロッパ、ロシアでの人気は安定的で、グラベルラリーに投入される事例も少なくないようです。けれど、この映像内に出てくるイエローカラーの三代目が最初にテレビ番組で流れた当時(2007年に見たことがある)、三代目ユーザー間ではまったく話題にのぼりませんでした。

企画映像自体は、スズキがエスクード誕生20周年のときに作成したものや、海外でのCFプロモーション、カタログ用撮影なども混ざっていますが、ライトクロカンシーンにこれだけ沢山の三代目たちが並んでいたり走っていたりする構図は、ショートがいないことを除けば、我が国でも決して負けてはいないでしょう。うらやましいのは、スペインあたりだとこれだけ走らせ甲斐のあるフィールドがあるんだねえ、ということです。

そして後半に出てくるモデルのドアパネルにマーキングされている「20th VITARA」(ロングだけど)。向こうでも20周年当時は、このようなアニバーサリーモデルが存在したようです。地味というかシックというべきか、ここ以外の外観上の変更は何もなさそうですが、何が雄弁かって、実際にフィールドを走らせて、三代目の能力を見せていくというところですね。

復活の 「やあ」

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基地にはVHSのレンタル版とセル版があります。実は双方、特典映像の置き方が異なっているのです。しかしDVDはいつ売り出されていたかを知らないため、今頃になって中古ソフトが手元にやってくるというありさまです。

するとなんと、これまた特典映像に、今まで知らなかった企画物が増やされておりました。劇中で展開した東京・伊豆・伊那へのスタンプラリーを再現するという趣向のガイドもの。劇中では語られながら登場しなかったボンネットバス「踊り子号」の「カーグラフィック風」探訪もあります。

ところで、こちらはCDのドラマに出てくるエピソードですが、成原成行博士の万能工学研究所に立ち入る際、

「超紐理論と私とかけて四文字熟語で述べよ」

という課題を出されるのですが、あ~る田中一郎は「米穀通帳」(熟語か?)と答え、博士の息子のあきらは「大化改新」(だから熟語なのか?)と答えます。と・・・ここからこのブログの記事をどうすっかなと考えあぐねてましたが、まあ、そういうことです。

 

 

大風呂敷

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あ、間違い。バンダナです。寸法が一辺53cmなので、まあ大風呂敷とは言わぬまでも、大きめの手ぬぐいくらいにはなりますね。春先に行った「欲しい人いる?」のリサーチでは、ありがたいことに合計230枚のオーダーを賜りました。ということで、いよいよ300枚を発注です。配布単価も1枚500円に確定しました。色については、この最終見本よりも多少明るくなると思われます。ESCLEV・つくばーどで配布するのは、オレンジ色のみです(単価についてもESCLEV・つくばーどでの配布の場合のみ)

配布は11月のつくばーどin朝霧高原Ⅴにて。

地球大 紀行

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その昔、NHKで放送していたスペシャル番組「地球大紀行」ではありません。「地球大 紀行」です。1周すると、約4万キロ。光の速度だったら、たった1秒で7周半も回ることができるけれど、スズキエスクードには光速を突破できる出力のエンジンが搭載されていないので、10周するのに7年近くかかってしまいました。

2012年6月16日に到達しました。積算走行距離、40万キロ。やれば、出来る。

Team WESTWIN Warriors#052

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「ちょっと伺いたいことができました、今いいでしょうか?」

と、Team WESTWINの島監督から電話が入り、これがいつもの陽気な彼ではなく、けっこう真剣な声色だったもので、こりゃあ少なくとも「過去にエスクードが登場したことのある特撮番組って何と何?」ってな問い合わせじゃあないよなと、こちらも姿勢を正して「何事でしょ?」と応対します。

「実は、川添くんの車のことなんですが」

おお、ついにE-376Ⅲの大掛かりなモデファイが始まるのか。開幕戦を頭脳戦で勝ち抜いた川添選手でしたが、車両の方はほとんど手を加える時間がなく、肝心のミッションにも1速が入りにくいという問題を抱えた状態だったと聞いています。足回りはデータが蓄積できているだろうから、ミッションか駆動系をどうにかしたいのかな・・・

「彼の車に、初期型のTA01Wのラジエターグリルは取り付けられますかね?」

はいー? と、一瞬何を言いだしたんだ監督? などと混乱しながら、瞬時に脳内情報処理を開始。どういうことだ? インテークとして見た場合は確かに51Wのそれよりは開口部は大きい。もっとも、彼の車のグリルパネルは51Wではなく、11Wのものに交換してあるのだけれど、こんなことは誰も気がついていないだろう。いやしかし、そんなことよりなぜ01Wのグリルを使いたがるかを知らなくてはならないのです。

「結論から言うとですね、排気量が上がった11W、31Wの時点で、ノーズラインやバンパーのデザインが変わっていて、エンジンフードの先端がほんの少し前に出ているんですよ。当然、前面のパネルラインがそれに合わせて変更されているので、ツライチで仕上げることはできない。ついでに言うとヘッドライト周りのパネル構成も変わっているので、左右のフェンダーともピタリと合わせられない」

「あ、なるほど。そう言えばエンジンフードも盛り上がっていましたっけねえ」

ん? そこか! ひょっとして川添選手は、フロント側の軽量化を考えていて、J20Aのオイルパンをとっぱらって移設するか、まさかのドライサンプ方式に改造して(そこまでやるかよ)エンジンの取り付け位置を下げたい。そうすればエンジン上部のストラットタワーバーも、エンジンを避ける形のアーチタイプな純正部品を撤去してフラットなものに変えられる。結果的にフロントを構成する全パネルを01W用に交換できて、少なくともエンジンフードの重量を現在よりは軽減できる・・・

いやしかし、実際に計量したことはないので、2リッター用のフードと1.6リッター用のフードとで、どれほどの軽量化になるのか(後者のほうが軽いはずではあるが)。そこを軽量化しても、フェンダーパネルにはフロントタイヤのトレッドに対応させるため、2リッター用パネルからオーバーフェンダーを移植しなくてはならない。バンパーは・・・おそらく外してしまうのだろうけれど、いずれにしても一番大掛かりなのはエンジンの構成ということになるのでは?

などなどと思いめぐらしたことを一通り説明すると、監督はちょっと困ったような口調になって、こう言うのでした。

「いやー、そういうことじゃないんですよ。あいつ、テンロクの顔の方がかっこいいとか言い出しやがって。どうしてもテンロク顔にしたいって頼み込まれてるんです」

その言葉が入力されたこちらの脳髄は、5秒ほどフリーズ。

しまったー、Team WESTWINのドライバーは、島監督の時代から、「かっこいいことは武器の一つ」という、カタチから入る妙な伝統があるのを忘れていた。しかしどうなるんだ? この案件・・・ どうしてもやるというなら、チーム所有だった黒いテンロクが、初期型ではないけれどトレード用に使えるはずだが、

「あれはよくよく調子が悪くなって故障続きで、処分しました」

じゃあ・・・昨年ひっくり返って不動になったと聞いているハンガースポーツさんのコンバーチブルから移植するか。

「それ考えて車を見に行ったら、ニコイチされて1台復帰してましたよ。よりによって復旧用に移植されたのがフロント全般」

あー・・・いずれにしても先が思いやられるというか、波乱の第二戦前です。

 

先は長いぞ。

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昨日の夕方、やっと245,000km超えました。

209,000km足して下さい。

皆さんの加算っぷりには到底及ばないんですが・・・最近遠出もしないので、なかなか距離が伸びませんわ。

先日所要で宮城へ行った新月サンが「キミも是非行こう。アレは自分の目で見て体感しないと分らないや」と言っていますので、のまちゃんでたずねてみようかと思ってます。

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イギリスのマン島TTレースと言ったら、1961年のホンダ・・・を取り上げるのが定石ですが、私ゃスズキの車に乗っている人間なので(なんか了見が狭いなあ)、63年のスズキRM63で50ccクラスの優勝を遂げた伊藤光夫さんを持ってきます。

当時はまだ、マン島TTがオートバイレースの世界選手権に名を連ねていました。だからこそホンダも、戦後の技術力アピールとともに名を馳せるべく、59年から参戦し、61年に優勝を果たすわけです。スズキは1年遅れの参戦でした。写真は伊藤さんのマシンではなく、デグナーの乗機(型式がひとつ古い)

スズキは前年、この年にわたって、マン島TTでは50ccクラスの優勝をもぎ取っており、選手権でもメーカー、個人タイトル両方を獲得しました。スズキのライダーとして、というよりも、日本人初のマン島ウィナー。ものの本によると、このあと日本人のWGP優勝は77年の片山敬済さん(ヤマハ 350ccクラス)まで出てこないらしいうえ、マン島TT自体が76年いっぱいでWGPから外されたため、伊藤さんの記録というのは、ただひとりの「WGPマン島TTウィナー」として刻まれています。あっ、念の為に、日本人初のWGP優勝者は、61年西ドイツでの高橋国光さんです。

伊藤さんの記録が刻まれたその日が、63年の6月14日。この年、誘拐や暗殺、刺殺といった殺伐とした事件が多く、マン島レースのニュースが流れていたのかどうかは、それ以前の推して知るべしな話題だったかも。ホンダはトラックのT360やスポーツカーのS500を、東洋工業はファミリアをリリースし、高度経済成長が世の中を変えつつある頃でした。

 

 

風   化

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6月13日って何かあったはずだよと思いめぐらして、小惑星探査機はやぶさ(写真)の地球帰還のことはすぐに記憶が蘇ったのですが、それじゃなくてなんだっけ? 何かあったのよとしばらく考え込んでしまいました。いや、けっしてジェイソンの誕生日、ってやつじゃなくて・・・ 

と、しょーがないので百科辞典を調べました。ありました。1983年、木星探査の役目を終えたアメリカの宇宙探査機パイオニア10号が、海王星の軌道を越えて、太陽系の外へと乗り出していった日です。

パイオニア10号は1972年に打ち上げられ、翌年に木星へ到達しました。その距離だけでも1年かかる途方もない道のりですが、太陽系を出るには、さらに10年を費やさねばならなかったと、気の遠くなる距離を進んでいました。現存していれば、太陽から約105億キロ以上離れた宇宙を、今でも移動しているはずですが、残念ながら2003年1月に通信が途絶しています。

この2003年こそ、小惑星探査機MUSES-Cが打ち上げられ、その5月の打ち上げの日に、はやぶさの愛称が公表されたのでした。はやぶさは小惑星1998 SF36 (後にイトカワと命名)まで飛行し、サンプルリターンの偉業を成し遂げるのは記憶に新しいところですが、これが2010年の、やはり6月13日というのは、プロジェクトチームの意図するところだったのでしょうか。

パイオニア10号、はやぶさ、どちらの探査機も異なる形で消え去っていった。そしてパイオニア10号のことは、すっかり記憶が風化していたように、いつしかはやぶさのことも忘れていくのだろうなと、ちょっと申し訳ない思いに駆られます。なんせ、けっこう、密かに思い入れした帰還だっただけに。そのくせ、最初の頃はMUSES-Cとはやぶさが同一の個体だと分かっていなかったんだよね。

しかも、MUSES-Cだったら筑波のJAXAで、実物なのかレプリカなのかはっきりしませんが、それを見ている上、探査機に載せて署名を宇宙へ飛ばすという企画に一口のっかったにもかかわらず、しばらくそのこと自体を忘れていました。

自分が何かを忘れていくことに、実はさほどの痛みも感じない。忘れてしまうのだから感じるはずもない。それでは、忘れられ風化させられていく方の対象に感情があるとしたら、どうなんだろう・・・