もうひとつあった2015年
2015年もあとわずかになってしまいました。「バック・トゥ・ザ・フューチャーpart2」だとか「第10回サイバーフォーミュラ世界選手権」だとかで浮かれた年でしたが、先日徹夜仕事の最中に仕事をぶん投げて読み返してしまった「パスポート・ブルー」も、2015年にちょっとしたドラマが描かれていました。単行本第10巻で初営業飛行する純民間スペースプレーンと、これを見送る主人公真上直進の姿です。ただしこのシーンは2016年夏の出来事です。
2015年のドラマというのは、ここに至る途上、2月に日本国で募集開始された宇宙飛行士公募に、直進の履歴が条件を満たしていない。さあ大変だ、という展開。5話分にわたってどよーんと暗雲が立ち込め、いきなりウルトラCでインチキで強引な打開策が繰り出されるという、まるで朝の連続テレビ小説の月曜から金曜にかけてのどん底から急転直下に安堵させられるようなプロットでした。しかし、言わば土曜日の解決編では、直進はまだ沢山のハードルを抱えたままです。
第10巻は2001年8月(実際には7月)にリリースされていますが、ここで描かれるスペースプレーンは、民間開発として進められていたベンチャースターをモデルにマザープレーンを加えるという設定のようです。ベンチャースター自体は計画遅延や試験失敗が重なり、この年の3月に計画そのものが打ち切られています。その一方で、民間人初の宇宙観光旅行も行われていた、まさに21世紀の幕開けだったのです。
で、この辺りのエピソードではまだJAXAではなくNASDA「宇宙開発事業団」なのです。そのNASDAの面々が、ウルトラCでインチキで強引な打開策を周囲から押し付けられた直進の、応募書類を受理するか蹴飛ばすかが、2015年の事業団内での大事件だったようです。そこは全く描かれていませんが、冒頭に紹介した2016年夏に、朝ドラの土曜日版のように解決編がまとめられ、ついでに次のハードルが立ちふさがっていくのです。
さて。使い勝手は如何に?
ちょっと前から婆にゃずが食べ辛そうにしていたので、お皿新調。
少し高さがあって安定感もありそうなのが決め手。
が、しかし。チビにゃずのタックルには負けるだろうなー・・・割るなよー。高いんだから(そこかいっ!)
しばしば裏山を「天狗の森」と呼びならわしていますが、まあおそらくつくばーどの参加者のどなたも、天狗なんかにお目にかかったことはないと思われます。それもそのはず、天狗たちは12月の第三日曜日にしか現れなかったからです。ただし最近の催事では、麓の町の天狗まつり&ファンタジーナイトとかいうなんだそりゃ?なイベントにも出張しているそうです。しかし、このなんだそりゃ?ではない方の催事、寄ると触ると
「馬鹿野郎」
「バカヤロー」
「ばかやろぉ!」
と罵り合うとんでもない趣向で、あまつさえ天狗さんたちが山麓の各所に備えた供物を備えたそばから奪い取るというすさまじい祀りごとなのです。
これを称して「悪態祭り」。マジですか? と問われれば、「大まじめです」と返ってくる、天狗の森に江戸期から伝わる奇祭なのであります。
これでお分かりと思われますが、昨日の記事にて霰が調べ物をしていた石碑も、巡拝礼場所の一つ。翌日の阿鼻叫喚(まあそんなにすごいわけでもない)は、供物争奪戦の様子でした。天狗さんたちはどれほど罵倒されようが終始無言で巡礼を続けなくてはいけない。素早くやろうがもたもたしようが「ばかやろーっ」と浴びせられる。
あとはもみくちゃ。一団が去った後には供物など影も形もありません。こうして供物を獲得できた人々のところには、向こう一年間の五穀豊穣が訪れ、悪態をつくだけついた人々のストレスも発散されるのです。
昭和二十年代から三十年代くらいまでは、深夜に行われていた奇祭というより秘祭でした。当時は天狗も荒ぶる者たちだったそうで、供物を奪いに来る住民を実力行使で蹴散らした(らしい←あくまでも、らしい)とか、神社に上がる急傾斜の石段の上から、松明を投げ落とした(らしい←以下同文)とか、天狗が水垢離に使う手桶の水浴びせかけたとか(らしい←だってそう言うんだもん)、そりゃ中止させられるわなあという逸話が残されています。
そんなわけで、高度経済成長期には祭り自体が途絶えていたのですが、少し昔から日中の行事として、いくらか観光資源的な側面も踏まえて復活しています。ですから土地の郷土史家の方々や地元の観光協会に訪ねても、荒ぶる時代の逸話というのは聞こえては来ないはずなのですが、今回、霰が取材を始めたことで、現在の山麓に伝わる公式な縁起や慣わしと、土地の老人たちが言い伝える内容とにけっこうギャップのあることもわかってきました。
それはねえ、まさか悪態にかこつけて荒ぶり放題でほんとに阿鼻叫喚させたから一時途絶えた、なんてことは公式には記載されないよなあ。そもそも途絶える以前の祭りは、町内ではなく山麓の1集落の氏子のみで行われてきた(だからこそ奇祭などではなく秘祭という荘厳さがあったはず)わけですから、そんな荒ぶり放題の逸話が現代に伝わる術もないのです。
ところが、
「俺らの世代がやってたんだから間違いない」
と、困ったことにうちの親父が言い張るのです。
そのようなダークサイドな史実までもを、霰が論文の中にまとめるかどうかは、それを武勇伝と採るかお家の恥と認識するかで決まるのだと思われます。
写真じゃふぅも婆ぁには見えないから、親子っぽい?
運動量が増えたでん・いちは、二匹ひと塊で転げまわってます。この前はテレビラックの下が水浸しでした・・・(ラックの前に水皿置く方が悪いんだけどさ)良かったよ、延長コードにまで達してなくて。火事になるわ(汗)
フォースの隔世
「エピソードⅣ」は、次に続くとしながらも単品で完結している単純明快な物語でしたが、「Ⅶ」はもう三部作いきまっせ!な展開に終始しました。中身については触れない方がいいでしょうから放置するとして、10年ぶりだからたっぷり観てってくれと言わんばかりの尺の長さ。邦画だったらあと20分くらい縮めちゃうでしょう。飽きは来ないけれど、そこに至るまでが長げーよぉと思っていたところで、クライマックスでは館内のお客さんが息をのむ雰囲気がわかりました。
まーそれにしても、ハリソン・フォードもキャリー・フィッシャーも小汚く老けちゃったなあと唖然としていたら、「Ⅳ」→「Ⅵ」でなんでそうなった?というほど美少年が台無しになっていたはずのマーク・ハミルが、歳食ったら上手に老け込んでいたという驚き。それぞれメイクの成せるわざなのでしょうけれど、かなりのびっくりぽんです。
主演のデイジー・リドリーは、なかなかいいです。ヒロインで主演だったら、彼女連れで観に行っても、ふられたりしねーし(笑) その相棒となるジョン・ボイエガも今後の出番が楽しみです。チューバッカ・・・こいつなんとなく若返ってる気がする(劇中以外のスチルだと毛並みが良すぎ)
それにしても、「Ⅳ」は詰め込みすぎずにゆったりと作られていた(デススター内での脱出劇はある意味だらけてましたが)ことが、今更のようにわかる。「Ⅶ」も詰め込みはしていないけれど、情報量はけた違いに多い。こういうところが隔世の38年なんでしょう。ただ、「Ⅳ」に回帰させていくような風景やシーンはサービス精神だとして、デススターを何度もぶっ壊されてるのに学習能力の無い敵方。帝国時代はデススターのサイズだったから攻撃ポイントがタイトだったとい・・・あっ、なんだか外がざわざわしている?
37年矢の如し
第一作目の「エピソードⅣ」が公開された頃、十代の僕は、前年に封切られたつぎはぎ映画の「宇宙戦艦ヤマト」(STARWARSの日本公開は78年だったので)に徹夜で並ぶというスタイルがロードショーのスタンダードだと思い込まされました。ついでに言えば、いち早く映画を観るには東京へ出なくてはならない。映画を口実に上京できる(まあ親にはお見通しなんだよねそんなの)。上京=彼女と出かけて映画とデート・・・といった千載一遇の機会でもありました。
さすがにヤマトではそれ(デート)は無かったけれど、STARWARSでは徹夜はしなくとも、うかつにも彼女連れて長蛇の列並びをやっちまったのです。それであんな映画でしょ? ふられますわな。
しかしそこで宇宙冒険活劇に理解を示すような彼女だったら、後に家内との接点もなく霰も霙もこの世に出ては来ない20世紀が展開したかもしれないのだから、これぞまさしく塞翁が馬ってなものです。今の世界を過ごしてきたおかげで、霰なんかバイオリン弾きのベイダー卿と出逢ったりしてます(写真)
あの頃から37年。この間、シリーズが途絶えていたわけではありませんが、80年代には「物語はエピソードⅨまであるが、それは実現不可能だ。なぜならそれを作るだけの映像技術が無い」と、ジョージ・ルーカス氏は語り、ルーク三部作が幕を閉じ、それでも彼の公約はその特撮技術を革新させⅠからⅢに至るアナキン三部作を世に送り出してきました。
いよいよの「エピソードⅦ」。こりゃ下手をするとⅨの頃には孫がいるかもな(いやどうかな、2019年では早すぎるな)・・・とか思いながら、公開初日でも並ばず座席指定のシネコンで、レイトショー観に行きましたよ。そういえば1回の上映ごとに客を総入れ替えしやがる今のシステムも、「エピソードⅣ」が呼び水となって産み落とされたのでしたっけ。
あっ、なんだこの感慨に浸った長い前置きは。これじゃ観た感想書けないじゃん。
まぁ暖かかったからねぇ・・・
秋の開花時期が9~11月だそうなので、そんなに驚く程変でもないみたいけど・・・
でも、11月の終わりにいきなり蕾つけるのもどうかと思う。
それまで気配も無かったのになー。
もういっそのこと笑えっ
回転計の異状で「スロットルのどこかが固着?」「1気筒止まってる?」「どっちにしても(エンジン自体が)止まっちゃう前に主治医のところへ持ち込まねば」等々の逡巡を繰り返します。幸いにも横横、横羽、湾岸はスムーズに移動できたものの中央環状線と三郷線でそれぞれ事故渋滞とラジオ放送が言うので湾岸線から東関東道に進んで成田の先から圏央道を使い、どうにか常磐道も降りると、一般道での信号待ちでは完全にアイドリングが0表示。
でもアクセルを踏むとまともに走ることは走ります。
先日、BLUEらすかるをバッテリーの蓄電量だけで仙台から持ち帰るという冷や冷やをやったばかりだというのに、またもやドキドキで主治医のところにたどり着けば、ピットには見慣れた車が・・・
「エアコンのブロアーモーターが壊れちゃったということで。ああ、左リアタイヤもパンクしたからと」
ばばばば・・・ばかやろーっ! なんだってこんなときに仲良く故障しやがるんだうちのクルマたちはーっ
「まあまあ、61Wは直ったことだし、月曜にはFB15のモーター部品も届きますから」
主治医になぐさめられたものの、ぷらすBLUEの故障診断と修理はそのあとに回るので、年内に片付くのかどうか・・・
「それで・・・その61Wは?」
「あ・・・奥さんが乗って帰りました」