Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ナッツの日だそうですが

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曰く、「夏に」ってことで

 

あと、こんなのも

現物だってわかんないもん

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国産名車コレクションのエスクード・ノマドの車体色が、実際の濃紺よりも明るいと感じた人は多いと思われます。それはもう許容範囲内で生温かく見てあげるしかないのですが、現物なんかこんなでしたから、色味なんて場所も含めて曇天で撮るか晴天で撮るかで大分変ってしまいます。ノマド登場時の濃緑色であったダーククラッシックジェイドパールも、日が当たっているとかなり緑を強く反射していました。うちで乗っていたG‐リミテッドノマドも、曇天だと黒になってしまうことも。

それに輪をかけて、写真の二台を見比べ、ダークブルーメタリックはどっち? と問いかけたら、どっちを指さしますか? エスクードに限ったことではなく、車の車体色としてカタログに記されているネーミングは、かっこよくも難解です。単に白といっても、それこそ三原色それぞれを加味した様々な白があるわけですし。

マミポコさんのエスクードとBLUEらすかるは同じ車体色でマイアミブルーメタリックⅡと呼ばれますが、この「Ⅱ」が未だに何を示すのかわからない。ツートンカラーだからか? でもそのツートンの青でない部分は、マミポコさんのはマーキュリーシルバーメタリック、BLUEらすかるはキーンゴールドメタリックと使い分けられており、少なくともツートンの色子弟ではなさそう。でもってマーキュリーシルバーとかキーンゴールドって、なんですかその色彩?って重ねて言いたくなっちゃう。

それを差し引いても、写真のコンバーチブルは、今だったらグレーイッシュミディアムブルーとか言われるんでしょうか。実際に見ると「DIC 2397」が近いはずなのですが。でも88年にエスクードがデビューした時、この色は単純にダークブルーメタリック。隣の93年式ノマドはディープブルーパール。いつから複雑かっこいいネーミングが始まったんだ? と思い出してみると、89年1月の初の限定モデル、G‐リミテッドのファンタジーブラック/ミディアムグレーメタリック2トーン(なんだこの長さは)で、カタログモデルだと・・・あ、デビュー時のスペリアホワイトがスズキ定番とはいえ、既にもうその域ですね。

 

 

 

 

Team WESTWIN Warriors#147

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うっかり失念していました。TDA2020の第2戦が、12日に開催されまして、ルーキー梅津知浩選手がリミテッドクラス、アンフィニクラスともに第二位を獲得しました。これほど早く表彰台に上がってくるとは驚きですが、ウエットで泥のコースコンディションに助けられて、他車のハイパワーぶりが封じられたということだと思われます。

しかし快挙は快挙、リザルトは現実です。

「勝ち抜き戦の最中、これはだめだと思って、途中でラリータイヤに交換してもらいました。オールテレーンじゃトラクションがかかりません」

梅津くんは素早い判断で泥対策を講じたそうです。なぜそれができたのかというと、チーム内外の様々な人たちが繰り出す助言を、ひとつひとつ聞き取り実行に移す実直さが功を奏したようです。島雄司監督によれば

「このところ私は主催者側の立場で、現場ではあまり面倒を見ていません。その分、あそこはこう走れ、こういうときは退け。といった声が、あちこちから聞こえてきて、ああ、かわいがられているなあと思わされます。チヒロはそれらに対してとても素直です」

しかしタイヤ一つで走りが変わるとはいえ、それほどのコンディションで、タイヤだけでどうにかなるものかとたずねてみると、今回は事前にリアデフ付近にバラストを加え、車体後部が必要以上に跳ねないよう対策を施していました。

もう一つの作戦として、梅津くんはトーナメントの中で、大きなゼッケンを取得して対戦相手を引き当てられるような駆け引きを試していたようで、これは川添哲朗選手譲りの頭脳戦ともいえるでしょう。

さてその川添君ですが

「あっ、今回僕は出なかったことにしてください」

って言われても、クルマ泥だらけじゃん。

残念ながら、燃料ポンプの不調でまともに走れなかったそうです。そういうこともあります・・・が、ポンプ類だけの不調かどうかが心配。燃料圧送系全般にトラブル要因が潜んでいるかもしれません。

ここでそんなもん使うなよ

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内視鏡検査で休みを取った午後。雨が上がり薄日も差してきたので、1/24エスクードノマドの屋外撮影をやろうと思い、車体を台座から取り外そうとしたら、なんと三角ねじで固定されているではありませんか。

おいおい⁉ 我が家じゃ三角ドライバーは配備されてねーよ。なんだってこんなものの固定にわざわざこれを使うんだよー・・・

やむなく台座固定のまま撮りに出かけたはいいのですが、やっぱり興ざめです。

車体色については、曇天の順光で撮ると、なんとなくノマドのそれに近くはなります。ただこいつ、運転席のドアが開くはずなんですが、きっちり収まっていて爪の先程度ではびくともしません。リアハッチ右下にESCUDOのロゴはあるけれど、本来その下に貼られているはずのNOMADEのデカールは付いていません。たぶん見落としではなく、モデルとなった個体に付いていなかったのでしょう。

まさかの逸品

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国産名車コレクションが大盤振る舞いの24分の1シリーズに移行していたのは知っていましたが、エスクードが再び、しかも1600ノマドをラインナップするとは驚きです。もっとも、初代の1600はハードトップもコンバーチブルもノマドも、それぞれエポックメーキングな話題を振りまいたモデルで、ノマドの登場が市場におけるエスクードのポジションを確固たるものにしたことは間違いありません。これはある意味そのことが理解された成果と言えるでしょう。

しかしパッケージにはノマド登場年次の1990年とありますが、製品の方はその後の特別仕様や限定モデルとしてリリースされた車体色で、シリーズ中一番人気だったアルミホイールを用いているのがご愛敬。このホイールも限定仕様で、オプション部品として買おうとすると一本38000円というなかなかの商品でした。ファンの間ではジェイドパールの濃緑色で出してほしかったとの声もありますが、ハイストーリーの43分の1で既に出ていますから、これはこれで良いでしょう。

ただ、塗装は色合わせが難しく、ディープブルーパールやスキューバブルーやネプチューンダークブルーのいずれも完璧な再現は困難と思われ、確かに車体もは内装色もちょっと違う。それよりも、背負っているスペアタイヤが、見映えはいいけどこんなに幅広だったかな? ノマドもクロカン四駆の端くれ、テンパータイヤは使っていなかったので、スペアもこのアルミホイールとすると、商品のモデルになったのはやはり限定仕様。太いタイヤを履かせるとカバーがかからなくなる。

基になった車体について、そのような想像をするのも面白いでしょう。製品のタイヤについて言えば、錯覚かもしれません。純正のタイヤ銘柄とパターンも既に僕の記憶からかすれてます。残念ながら解説書にはそこまで細かなことは書かれていませんが、この解説記事は車雑誌もウェブサイトも見習わねばというレベルで、参考になる記述です。ホープスターからジムニーを通して、初代を一通り網羅しているばかりか、X‐90まで紹介されています。

手前みそな話で、これまで様々な種類のエスクードのスケールミニカーを購入してきましたが、うちで乗ったことのある仕様の商品はこれが初めてです。コンバーチブルはどれも左ハンドルものだし、ハードトップは乗っていたのが限定車だったから。ましてや2000cc以上のラインナップが・・・出てくる気配がない(笑) それよりもノマドユーザー、ОBのみなさんが無事にこれを入手できるかどうか心配です。43分の1のハードトップのときは瞬殺で品切れでした。

〈境界など〉を越えて

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まさしくメーカーの境界を越え(まあだいたいアクロスとはそういう意味)ましたが、ACROSSって、確かオートバイにありましたっけ?

ОEМのニュースは以前出ていましたが、こうしてみると本家よりかわいらしさ感のある顔立ちになったんじゃないかと感じます。こりゃあイタリアとその周辺じゃ燃費や環境点数でビターラのマーケットを食いつぶしそう。なんたって向こうじゃSマーク拒絶志向無いし。

ああっ、いかん。頭の中で藤原誠さんが歌い出しちゃってる(笑)

悪路の傍をすり抜けてぇ♪

狼少年の紋章

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なんかよくわからんタイトルにしてしまいましたが、スズキが作ったエスクードなんか貧乏くさくてと言いながら買っちゃって、エンブレムを剥がして凌ぐという世間を欺く姿はまあ狼少年と大差ねーよという気持ち。

いや人のことは言えなくてですね、うちの幌車も「ESCUDO」でなくて「+BLUE」となっています。これが良くできているので、たまにそれを車名と勘違いされた伝票も出現したりします。

しかしこれとて、ぷらすBLUEと命名する以前、中古車屋で見つけたとき、すでに「ESCUDO」「SUZUKI」とも剥がされた状態だったのです。「SUZUKI」のロゴは、当時うちで所有していたノマドから移植し、復元。ぷらすBLUEの命名に基づき、せっかくだからメタルの切文字を購入して作成しました。実は「+」は「X」を斜めに張り付けています。言い訳するなら、別にESCUDOが嫌だったわけじゃないです。しかし結果的に狼少年(笑)

BLUEらすかるではエンブレムはいじっておらず、先代で使ったものとほぼ同じマーキングを施していますが「BLUEが抜けているうえに文字が赤い」と言われたり、中東方面から買い付けに来ている外国人には「なんでお前のクルマには『悪党』と書いてあるんだ?」などと問われたりしています。で、「愛車とはいえそれに名前を付けるようになったら末期症状だぜ」とか、心にもないことをうそぶいている狼少年(いやすでに中年も終わってるけど)

車体にマーキングだとか車名をつけるだとか、傍から見たらこっぱずかしいだけのことにしか見えないのはまず間違いないでしょう。だけど、これには(僕の場合に限って)原点があり、それをやってみたくてしようがなかったのです。ハーロック大尉だって「これはメッサーシュミットではない」とは言っていない。機種を弁えたうえで「わが青春のアルカディア号」と名付けている。僕も同じです。乗っているのはスズキエスクードなのです。そこには嘘はつけない。

 

 

ここらでおさらいする

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地球・月往復も完了した2020年。うちで運用し始めてから15年めにあたるBLUEらすかるは、前のユーザーによって約88000キロを走っていました。これを差っ引いてこの15年でどんなペースで走ったのかをざっくり計算したらば、平均距離は1か月あたり約45300キロ。修理入庫という足止め日数は覚えていませんが、結局、1か月50000キロは走れていませんでした。運用開始の9月までまだ少しあるものの、それでも大した変化はないでしょう。

いまさらながら、この約5300キロ分が、半端だなあと思うわけで、どうせなら1年間で地球1周分(だいたい40000キロ)と決めておけばよかったのかもしれません。それができたかと自問自答すれば、まあせっかちな性分ですから無理です。ならば50000キロペースで走らせられればねえと、ちょっと後悔しています。それでも僕のエスクード歴32年めのなかで、時間も距離も最長となりました。これはちょっとの後悔を打ち消せる、いわゆる愛着です。

何度か書いていますが、なにしろこのエスクードは中古車販売店も「お勧めはしません」と忠告してくれた、エンジンルームは錆だらけで、フレーム先端にも腐食がありました。でもそれを見ちゃったものだから、見捨てられなくなったのです。車と対話なんかしていませんけど、もう一度走らせる。でも、うちに来たら道のりは過酷だよと、言わずにもいられませんでした。そうやって紆余曲折の15年、よく持ち堪えてくれています。これは自慢です。

 

改善要請

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運航管理代行者よりぷらすBLUEの改修要請がいくつか出てきました。そのうちのいくつかは秋の車検時に手を加えるとして、優先事項だったのがパワーウインドーの動作不良と、ワイパーの無段階間欠制御機構の追加。ワイパーについては昔はそういうオプションもありましたが、もはや入手不可能。現代の自動車では電源を落としても定位置まで戻る機構が標準化されているものの、ぷらすBLUEの時代にはそれは無くて、電源が落ちたらその場で止まってしまう。

というわけでこれは懸案事項となりました。

パワーウインドーの動作不良は、左右のドアともガイドレールとゴム部品の劣化が進み、湿度が高かったり雨天時などに窓を開け、戻そうとすると、あと2センチかそこらで抵抗がかかり閉まらないという。これはすぐ対策しましょという話になり、オルタネータ交換入庫の際に手を入れてもらいました。

最近1DINサイズのポップアップモニター式ナビゲーションユニットがあるのを知り、ラジオ以外の音源についてはCD1枚入れるか別メディアを装填するかなのでどっちがいいか? と霙に聞いたら

いらんと言われてしましました。

空飛ぶ院長とドクターカー

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東北時代からその存在を知ってはいましたが、なんせ相手は救急救命の最前線。呑気に「お話を聞かせてください」と出かけて行くのも気が引けるなと思っていた矢先に、あの東日本大震災でした。その後8年、八戸市には何度か仕事で出かけましたけど、やぱり気が引けて八戸市立市民病院には足を向けられませんでした。彼らのスタッフブログで、「ドクターヘリとドクターカー」の動向を拝読し続けていたら、そのブログが再構築され出版されました。

院長先生の今明秀さんは、2010年にドクターヘリとドクターカーの立体運用を開始した、青森県における空輸救急黎明期の人です。ヘリコプターとともにドクターカー3台を駆使するためのコードが、1号、2号、V3・・・その立体運用名をサンダーバード作戦と称します。現地緊急手術設備を搭載した日産エルグランドには、ほんとにV3とマーキングされている。堅く緊張感の世界だと思っていた救急に、なんだこのユーモアにあふれた命名は。と、不謹慎にも「近しい人だなあ」と感じるわけです。

このドクターカーの何が目を引いたのかというと、2号として使われている車両です。「劇的救命日記2」の表紙に、今先生やスタッフの雄姿とともに、2号が・・・2号が、

見キレとる!

 

しかしもうおわかりでしょう。1号のトヨタRAV4とともに救急現場に駆け付ける2号は、スズキエスクードTD94Wなのです。これまで縁がなく一度も目にしていませんでした。ただ、この日記内で紹介されているエスクードの内容に腑に落ちないところがあったため、ダメもとで今先生にコンタクトしてみたらば、いやほんとに救急の速度で丁寧な返信があり、そこをきっかけにしてリモート形式での取材をお願いすることとしました。

目下、その手続き中で、後ろ盾ということで二階堂裕さんも巻き込んでいますが、ドクターを応援するコンテンツサイトを教えていただきまして、活字版の日記を漫画にフィーチャーした連載が、1話目と最新話だけ閲覧できます。会員登録すれば全部読めるのですが、医療関係者だけの限定なので、そこは自重します。

だけどこれって日産グリル?

が、本日更新される最新話で、震災時に福島県に派遣されたドクターカー2号が描かれるというので、1か月間はそれを読めるようです。

リンクはしませんので、興味のある方はコメントかメールをください。