Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Team WESTWIN Warriors#189

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連載は無くなりましたが雑誌は送られてくるという律義さともやもやを感じるなかで、休載か打ち切りかは知りませんが、あの目を覆わんばかりのひでー漫画もページが消滅しています。まあその分ジムニーページ増量ですからいよいよ読むところなんかねーよ。

なのですが、僕が書いているわけではありませんけど、この雑誌に三代目エスクードが載る「TDA」特設ページだけは、まだ一矢報いております。

昨年から川添哲朗選手がパイロットするTA74Wは、ヨーロッパでJ24型を積んだラリー仕様ではありません。各部に補強を入れたとはいえ、現状では国内市販ものを使っています。三代目ショートのユーザーさんに良い刺激となれば幸いなのです。あちこち壊れていきなり手負いのエスクードですが、それでいてリミテッドクラスは優勝し、昨シーズンを幕引きしてくれました。結果は結果ですから扱わないわけにはいかないのです。へへんだ←大人げないよなあ

 

Before Twenty Years

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О・ヘンリーだとAfter~でしたが今の今日はまだ何も動きが無いので20年前のことを。2004年1月22日、先代らすかるの積算走行距離が35万キロに達していました。20年前だとESCLEV記録ではこの時代、尼崎で退役した1600ノマドが58万キロという途方もない距離を刻んでいましたが、ここまででも大変だったのです(今なんか更に荒行苦行ですが)。現在ではEscudoMilage括りでなら10台が30万キロを越えて現役で走っています。

秋にあらためて先代に触れる予定ですが、2004年は月軌道までたどり着いた最初の経験値を得た年でした。過去の栄光に過ぎないですよ、でもこういう節目を通過してきたことが、今の自分を形成しているよなあと思うのです。

観に行っていたら釘バットだった

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結局「ジムニーのハマー化」だったというオチで、なーんだと思っていたら見てくれだけでこのJ1のフレームとエンジンはエスクードのものだと。H25Aを積んでいると。僕の目も節穴ですがこの人だって「ジムニー」だと思い込んでる

この馬鹿助がーっ、こんなふざけたもん作るのに貴重なフレームとエンジンを浪費しやがってーっ!

←ちょうど20年前でしたよ、ありていに言えばボディワークの腕前はまだこの程度なんだなあとも感じました。偶然追い越されたことがあるんですが、この頃はまだ初代の中古車も豊富だったので、「へー、エスクードベースでこんなの作るのか」くらいにしか思わなくて済んでました。ひょっとして、この頃からフレームもエンジンもここんとこの作品まで使いまわされている?

 

これは売れる!・・・かも

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Cyber‐Kさんから左図の写真が送られてきました。

もうすぐ2歳になる息子さんと散歩中、転んで膝をすりむいてしまったそうで、このとき彼は初めて「いたい」という言葉を明瞭に発声し、とーちゃんそれに感動したのだけれど、相当痛かったらしく泣き出すほどで、応急手当てとしてドラッグストアで買い求めたという絆創膏です。

140番は四代目エスクードが発売された時のトミカナンバーで、エスクード自体は既に廃盤になりましたが、こんなところに引き継がれているんですね。

「最近トミカにはまっている息子のためにトミカのばんそうこうを探していると、あるではありませんか!エスクードが描いてあるばんそうこうが! 他のトミカのばんそうこうは見たことがありますが、エスクードのばんそうこうを見たのははじめてでした」

トミカブランドのエイドグッズがあるということを僕も知りませんでした。スケーターという会社が扱っているそうです。まあねー、娘らにミニカー買ってやることなんか無かったものなあ。その昔、霰の肌着を買いに西松屋に出かけたとき、初めてプラーゴの初代ミニカーを見つけ、これが沢山あって買い占めたのは、自分のためでしたし。

「いやいや、息子が『痛い!』と発した時の感動と同じくらいの感動が」

うんうん、わかるぜとーちゃん

考えてみれば交代時期か

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これが来るのか来ないのか

東京オートサロン2024が開幕しますが、スズキが先月発表した出品予定分に限っては、9台のうち、エスクードもジムニーも出番が無いようです。ジムニーは、出すならシエラの5ドアは避けて通れないでしょうけど今年後半の国内投入を控えて慎重スタンスなのかもしれません。

エスクードは、よく考えてみたら四代目の登場から9年目となり、ぼちぼちモデルチェンジが取りざたされてもいい頃合いです。何やらドイツじゃ「深海」、イタリアでは「夜」とかいう特別仕様が出てきましたが、ヨーロッパでの梃入れもモデル末期を感じさせます。

しかしマジャールスズキによる新型の気配が薄いというかよくわからない。一方でマルチスズキインディアでは既にグランドビターラの新型がデビュー済みで、メキシコからもグランドビターラ・ブースターグリーンが登場しています。以前はビターラとグランドビターラの車体区別が行われたこともありますが、ブランドを分けて国内投入してくるとは考えにくい。

インド版にはトヨタとの提携ОEМというしがらみがあり、トヨタにはダイハツの不正問題の影響がかかっている。するとインド版のトヨタブランドを持ってくるのではないかとも邪推できます。その風向きから、スズキ側にも何かしらのアクションが起きそうな予感がしないでもない。それがグランドビターラの冠なのか、五代目エスクードへの布石なのか、興味がわいてきます。

今そんな心配をして何になる

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と、宇宙戦艦ヤマト艦長沖田十三さんの小言が脳裏をよぎるのですが、ふと気になりだしたBLUEらすかるのオドメータ。果たしてこのメーターは、999999キロの次、ゼロにリセットされるのでしょうか。これまでⅡ型の初代1600では2度、5桁のメータでゼロへのリセットを確認していますが、6桁版も同様にリセットされるのかどうか、僕自身も見たことがありません。というか、きっと誰も見たことはないんですよこんなもの。

何でそんなことが気になりだしたかというと、初代エスクードのような機械式ギアのメーターではなく、デジタル表示のメーターを持つ自動車の中には、「999999の先が無い」実証がリポートされているのです。ああなんともったいない・・・と思ったものの、よく考えてみると、この数字のままの方が本当に走ったことを証明できるのかもしれません。

初代エスクードの場合はどうなのか。当然、出荷時にはゼロ並びだったはずですから上一桁のギアに0はあるはずですが、そこまで歯車が回らない仕組みになっているのかいないのか・・・

教えてくださいスズキの人!(お客様相談室では「わからない」ってことです)

 

足元か竜が上がる

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十二支の干支の中で、竜は唯一、想像上の存在です。辰年は陽の気の脈動によって万物が振動し活力旺盛する、成長し形がととのう年とされています。超自然的とはいえ想像上の存在ごときにそんな効能があるのかよと思うのですが、身近で突然意外なことが起きたり、急に思いついて何かしらを始めることを「足元か竜が上がる」と言い、要は気持ちの持ちようなのかと半分納得するわけです。

竜の視点から見たらきっと「行き当たりばったりで暮らしてやがるくせにどうにかなってるだろうよ」などと言われそうなのがつくばーど®の在りようです。それでもいろいろなものが重くのしかかってきているのが現実。ここで足元に潜む超自然的想像の存在に頼るか、地に足をつけて前を向くかを決めなくてはならないのが人の辛いところです。

ぶつぶつ独り言ちていても2024年は始まってしまいましたから、今までどうにかなってきたならここからもどうにかなるんじゃないの? という能天気さを捨てることも無いのです。と・・・なんともいい加減な一年の計を立てることにしました。自分の力量を願みず強大なものに抗うとか、大それた計画や無謀なことをすることを「竜の髭を蟻が狙う」とも唱えますが、何も自分で自分を蟻呼ばわりしなくたっていいじゃないですか。

そのような気分で、遂に無謀で大それた計画の後半戦に挑んでまいります。

などと能天気なことをやっていた矢先、令和六年能登地震が発災し、極めて広範囲な津波と局所的大地震の被害が時間を追うごとに拡大しています。仙台での被災を思い返すと、それこそ自分には何一つできない無力さしか蘇ってきません。被災された地域の方々が少しでも平穏を取り戻せますようお祈り申し上げます。

Жаңы жылыңыздар менен

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うっかり忘れるところだった20周年

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ダカールラリーの2003年、二代目エスクードの改造車(プロト)で出走した尾上茂さんは、完走を果たし総合45位という戦績をおさめました。いつの間にか20年も前の出来事になってしまいましたが、この大会はスタート地点がマルセイユ。スペイン、チュニジア、リビアを経由してエジプト・シナイ半島先端にゴールする、初めてパリでもダカールでもない「テレフォニカ・ダカール」でした。全走行距離は8,576km、競技区間(SS)はそのうち5,254kmに及んでいます。

この年の優勝は三菱パジェロ(やはりプロト)の増岡浩さんで、日本人エントラント初の連覇を遂げました。さすがはワークスマシンとサービス体制です。10日間くらいでこの距離を走るのは正気の沙汰ではない。でも冒険型ラリーレイドだから当たり前で、そんなところへプライベーターで9回も出て行っちゃう尾上さんもタフなおっさんでした。

近年、ジムニー歴史館の知名度が上がったのか、地元ポータルや企業人を紹介するサイトインタビューにも尾上さんが取り上げられ、ダカールラリーのエピソードが語られています。嬉しいことです。「ダカールラリー エスクード」でググるといくつかヒットしますが、うちで書いたものが混じっているところがこっ恥ずかしいですね。

うっかり忘れてました。本来ならば今年の1月19日に出しておかねばならなかった。

 

スズキエスクード 90万キロ到達

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すっごくわざとらしいタイトルですが、例えばこういうキーワードで検索しても「エスクード中古車 九十万円」なんていうネット情報しかヒットしないものなんです。それだけ想像もできないバカげた話なんだと思います。

一時は間に合わないかなと諦めかけましたが、なんとかエスクード誕生35周年のうちに90万キロまで走りきることができました。

一夜明けて12月24日現在、それはもうちまちまとした距離しか伸びていませんが、既に「残り10万キロ」ではなくなっています。もちろん残っている道のりはとんでもなく長いことに変わりはありませんし、長い距離よりも長い年月をお乗りのユーザーさんには敵わないのですが、僕だって自慢したいときもあります。

世の中にあってはバカげた話ですが、もろ手を上げずにはいられず、ここからの道のりに呆然としてしまう心境です。